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魔法少女の系譜、その14~『さるとびエッちゃん』の視点の問題~

 今回の記事は、訂正が多いです(^^; 元の某SNSの記事に、訂正が多いのです。このために、だらだらした長い記事になってしまいました。御容赦下さい。


 今回も、「魔法少女の系譜、その13」の続きで、『さるとびエッちゃん』を取り上げます。

 前回の日記で、『さるとびエッちゃん』の「視点の外在性」を、指摘しましたね。
 主人公の忍術少女(魔法少女)、エッちゃんは、内面が描写されません。彼女の葛藤や悩みは、作品中に出てきません。

 例えば、エッちゃんは、小学生なのに、血縁の家族と離れて、ただ一人、同級生の家に居候しています。この状況では、ホームシックにかかって当然でしょう。
 けれども、エッちゃんが親や故郷を懐かしむ様子は、まったくありません。

 エッちゃんの使う「忍術」は、事実上、生まれつきの能力と変わりません。彼女は、呼吸をするのと同じように、それを使います。
 能力を使うことに疑問を持ったり、ためらったりする様子は、やはり、まったく見られません。

 前回に指摘したとおり、これが、『魔法のマコちゃん』なら、まるで話が違います。
 ヒロインのマコちゃんは、常に、故郷の海を懐かしんでいます。自分が、元・人魚でありながら、ずっと人間界で暮らさなければならないことに、悩んでいます。それが、視聴者の前に、はっきり開示されています。

 『魔法のマコちゃん』と、『さるとびエッちゃん』とで、視点の内在性/外在性を分けたものは、何でしょうか?

 『マコちゃん』がシリアスな作品で、『エッちゃん』がギャグだから、という答えは、もちろん、ありですね。
 とはいえ、それだけではありません。

 これには、「秘密性」が、大きく関わってきます。

 『さるとびエッちゃん』では、エッちゃんの不思議な能力は、隠されていません。エッちゃんは、他の人がいる前で、平気で能力を使います。
 対して、『魔法のマコちゃん』では、マコちゃんは、他人のいる前では、決して魔法を使いません。それは、「秘密」になっています。

 じつは、魔法少女の魔法が、「秘密」にされたのは、『ひみつのアッコちゃん』からなんですね。
 その前の作品である『魔法使いサリー』や『コメットさん』では、魔法の存在は、公【おおやけ】にされています。隠されていません。

2015年5月12日追記:
 すみません、上記の部分に、誤りがありました。
 『魔法使いサリー』でも、魔法の存在は、秘密にされています。魔法少女の秘密要素が始まったのは、『ひみつのアッコちゃん』からではなくて、『魔法使いサリー』からです。


 魔法少女の草創期には、「魔法が秘密」という要素は、ありませんでした。
 『サリー』や『コメットさん』が参考にした、米国の作品でも、魔法の存在は、隠されていません。『奥さまは魔女』や『メリー・ポピンズ』でも、他人の前で、大っぴらに魔法が使われます。

 「魔法少女の魔法が、秘密でなければならない」のは、もはや、日本の魔法少女ものでは、お約束ですね。二十一世紀の現代では、それが当たり前になっています。
 最初期の魔法少女では、それは、当たり前ではありませんでした。そのお約束を、最初にやったのが、『ひみつのアッコちゃん』でした。

2015年5月12日追記:
 すみません、前記のとおり、「魔法は秘密」のお約束を最初にやったのは、『ひみつのアッコちゃん』より前の『魔法使いサリー』です。
 それでも、『ひみつのアッコちゃん』が偉大な作品であることは、変わりありません。『アッコちゃん』は、魔法の秘密性を、強く打ち出した作品でした。


 『ひみつのアッコちゃん』は、偉大な作品ですね(^^)
 そもそも、題名からして、『ひみつ』を強調しています。「魔法の秘密性」は、この作品によって、大きな魅力になることが示されました。

 誰も知らない、自分だけが、魔法の力を使える。
 これは、わくわくどきどきしますよね。「自分だけ」という部分に、強烈な優越感を持てます。「秘密がばれちゃうかも」という点には、スリルがあります。

 「魔法の秘密性」は、日本の魔法少女ものが獲得した、新しい要素でした。
 この点で、また一つ、日本の作品は、米国の模倣から抜け出しました。
 また、伝統的な口承文芸の形からも、脱け出しました。

 口承文芸の「異類来訪譚」では、異類の魔法は、隠されていません。異類は、人間たちの前で魔法を使って、人々に福や災いをもたらします。
 ただし、伝統的な「異類来訪譚」でも、異類が現われた最初のうちは、魔法が隠されていることが多いです。

 新しい要素、「魔法の秘密性」の獲得には、ある条件が必須でした。
 「視点の内在性」です。

 魔法の存在を公にできないために、ヒロインは、魔法を、自分一人で、こっそり使います。
 このため、作品中の視点は、ヒロインべったりにならざるを得ません。魔法少女ものなのに、魔法を使うシーンが見られないなんて、作品の最も美味しいところを捨てることになってしまいます(^^;

 でも、「他人の目から見たヒロイン」は、あくまでも、魔法を使えない「普通の女の子」でなければなりません。この矛盾を解決するには、視点を内在的にして、ヒロインの自分語りを許す構造にする必要があります。

 結果として、「魔法の秘密性」を抱えたヒロインは、内面の葛藤や悩みも、描かれることになります。
 最も典型的なのは、「魔法を使って人を助けたい! でも、みんなの前では、魔法が使えない」という葛藤でしょう。このネタで、無数の「魔法少女もの」の話が作られていますね。

 『ひみつのアッコちゃん』で獲得された魔法の秘密性と、視点の内在性とは、『魔法のマコちゃん』に引き継がれます。非常に魅力的な要素だからですね。
 ところが、『さるとびエッちゃん』では、それらが放棄されます。『アッコちゃん』より前の、魔法が秘密でない世界に、逆戻りです。

2015年5月12日追記:
 すみません、ここも、訂正を入れさせていただきます。
 魔法の秘密性を最初に獲得したのは、『ひみつのアッコちゃん』ではなく、『魔法使いサリー』ですね。『サリー』で獲得されたものが、『アッコちゃん』で確立しました。
 ですから、『さるとびエッちゃん』は、『アッコちゃん』以前ではなく、『サリー』より前に戻ったことになります。


 「魔法少女もの」という一つのジャンルが、まっすぐに発達してきたわけではないことが、これで、わかりますね。
 時おり、『さるとびエッちゃん』のような、先祖返り的作品が、現われます。

 視点が外在的で、魔法が秘密でない『さるとびエッちゃん』は、伝統的な口承文芸の匂いがする作品となりました。
 ヒロインのエッちゃんは、口承文芸の異類に近いです。どこからかやってきて、人々に福や災いをばらまいて、また、どこかへ消えてしまいそうです。


 さて、これまで、『魔法少女の系譜』シリーズで、作品を分析するのに、「六つの視点」というものを出してきましたね。

[1]魔法少女の魔力は、何に由来しているか?
[2]大人になった魔法少女は、どうなるのか?
[3]魔法少女は、いつから、なぜ、どのように、「変身」を始めたのか?
[4]魔法少女は、「魔法の道具」を持っているか? 持っているなら、それは、どのような物か?
[5]魔法少女は、マスコットを連れているか? 連れているなら、それは、どのような生き物か?
[6]魔法少女は、呪文を唱えるか? 唱えるなら、どんな時に唱えるか?

 の、六つです。

 これに、七つ目の視点を加えたいです。

[7]魔法少女の魔法は、秘密にされているか否か? それに伴い、視点が内在的か、外在的か?

 です。
 これまでの日本の魔法少女もので、この視点がどうなっているか、まとめてみましょう。

『コメットさん』……秘密でない、視点は外在的
『魔法使いサリー』……秘密でない、視点は外在的
『ひみつのアッコちゃん』……秘密、視点は内在的
『魔法のマコちゃん』……秘密、視点は内在的

2015年5月12日追記:
 すみません、ここも、訂正です。

『魔法使いサリー』……秘密、視点は内在的


 ですね。

 以下に、『さるとびエッちゃん』を、六つの視点改め七つの視点で、分析してみます。

[1]魔法少女の魔力は、何に由来しているか?

 これは、不明ですね。
 一応、「忍術」という説明が付いてはいますが、何も説明していないのと同じです(^^; 明らかに、普通の人間が修業して身に付けられる「忍術」の範囲を超えています。

[2]大人になった魔法少女は、どうなるのか?

 これも、不明です。
 「ひょっとして、エッちゃんは、大人にならないんじゃないか?」とまで思わせられます。エッちゃんが大人になるというイメージが、まるで浮かびません。子供ならではの視点で、大人を告発する、といった話が多いからです(あくまで、ギャグですけれど)。
 永遠の子供、というピーターパン的存在ではないでしょうか。

[3]魔法少女は、いつから、なぜ、どのように、「変身」を始めたのか?

 エッちゃんには、変身の要素はありません。この点、「原始的」です。

[4]魔法少女は、「魔法の道具」を持っているか? 持っているなら、それは、どのような物か?

 エッちゃんは、魔法の道具も持っていません。体一つで、「忍術」を使います。

[5]魔法少女は、マスコットを連れているか? 連れているなら、それは、どのような生き物か?

 マスコット的存在は、登場しますね。犬(ブルドッグ)のブクです。大阪弁をしゃべる、おもろいやつです(笑)
 このブクが、魔法少女ものにおける、マスコットの元祖的存在です。すでに、『コメットさん』でベータンが現われているので、本当の始祖ではありませんが、マスコットの源流の一つだとは、言えるでしょう。

[6]魔法少女は、呪文を唱えるか? 唱えるなら、どんな時に唱えるか?

 エッちゃんは、呪文も唱えません。普通に人間と話すようにして、動物と話しますし、普通に走りだして、超スピードになります。

[7]魔法少女の魔法は、秘密にされているか否か? それに伴い、視点が内在的か、外在的か?

 エッちゃんの「忍術」は、秘密ではありません。視点は、外在的です。


 こうしてみると、全体的に、『さるとびエッちゃん』は、シンプルですね。魔法の説明や魔法道具など、難しい部分は、ばっさり切り捨てられています。

 中で、一点、マスコットが登場することだけが、新しさで目立ちます。
 このような先祖返り的作品に、現在まで通じる、新しい要素が生まれていたことは、興味深いですね。

 今回で、『さるとびエッちゃん』の分析は、終わりにします。
 次回は、『エッちゃん』と同時期に現われた「魔法少女もの」を取り上げる予定です。




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