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魔法少女の系譜、その13~『さるとびエッちゃん』~


 今回は、『魔法少女の系譜、その12』の続きで、『さるとびエッちゃん』を取り上げます。

 『さるとびエッちゃん』のヒロイン、エッちゃんは、さまざまな「忍術」を使います。前回に書いたとおり、「魔法」の説明として「忍術」を使っているだけで、「忍術」を描くことが、この作品の目的ではありません。

 エッちゃんが「忍術」の修業をしているところは、一切、出てきません。修業を積んで、だんだん「忍術」が上達することも、ありません。彼女が練習をさぼって「忍術」を使えなくなったり、自分の能力について悩んだりする場面も、ありません。

 エッちゃんの能力は、最初から全開で、最後まで、全開のままです。彼女は、自分の能力について、「ごく当たり前」と受け止めていて、まったく悩んでいないように見えます。
 作品中で、能力についての詳しい説明も、ありません。

 能力についてだけではなく、ヒロインの個人情報が出てこないことでは、魔法少女史上、有数だと思います。
 何しろ、エッちゃんの両親すらも、登場しません。

 ここで、「エッちゃんは小学生なのに、一人暮らしをしているのか?」と思った方がいるでしょう。
 エッちゃんは、小学校の同級生であるミコの家に居候しています。ミコの両親が、エッちゃんの世話をしています。エッちゃん自身の血のつながった家族は、登場しません。

 唯一、彼女の出自に関わるのは、ブクという名の犬です。ブルドッグです。大阪弁をしゃべります(笑)
 ブクは、「エッちゃんを追いかけてきた」という設定です。エッちゃんの生まれ故郷で、一緒に育った犬なのでしょう。
 エッちゃんが「忍術」少女なら、ブクは、忍犬でしょうか? パピイ、GO!(笑)

 このブクが、「魔法少女もの」における、マスコットの原型と言われることがあります。
 確かに、時代的に考えて、マスコットの原型と言えなくはないでしょう。

 けれども、「魔法少女もの」のマスコットとしては、すでに『コメットさん』で、ベータンが出ていますね。ベータンこそが、原型です。
 ただ、実写ドラマではなく、アニメで、「マスコットらしきもの」が登場したのは、『さるとびエッちゃん』が、最初期だと思います。

 前回の日記で、「エッちゃんの能力が、忍術であるならば、後天的に、修業によって身に付けられた可能性がある。それならば、テレビの前の視聴者、凡人たる子供たちも、エッちゃんのようになれるかも知れない」ことを、書きましたね。
 これは、あくまで「可能性」の話です。何回も書いているように、作品中では、エッちゃんの修業は、描かれません。他の人が、エッちゃんにならって修業して、「忍術」を身に付ける、などという場面も、ありません。

 それでも、当時の子供たちは、「自分も、エッちゃんのようになれるかも? なれないかな?」と、胸をときめかせたと思います。これは、娯楽作品としては、大きな利点ですね(^^)
 生まれつき型でもなく、魔法道具型でもない、第三の魔法少女のあり方として、エッちゃんは、大きな可能性を示しました。

 ところが……結論から言いますと、この第三の魔法少女のあり方―修業型、とします―は、普及しませんでした。現在に至るまで、修業型は、非常に少ないです。

 これは、興味深いですね。男の子向けの「ヒーローもの」では、修業の場面が描かれることが多いのと、著しい対比をなしています。

 「女の子向けのアニメでは、修業させるのは、受けない」と思われたのでしょうか?

 それには、反論があります。魔法少女ものではない、他のアニメでは、女の子たちが「修業する」場面が、頻繁に出ていました。
 スポ根アニメの世界ですね。

 例えば、女子バレーボールを描いた『アタックNo.1』は、一九六九年(昭和四十四年)から一九七一年(昭和四十六年)に、テレビ放映されています。このアニメは、ものすごくヒットしました。

 『アタックNo.1』は、とても厳しい練習風景が描かれていることで、有名です。「苦しくったって~、悲しくったって~、コートの中では、平気なの♪」というオープニングの歌が、それを、よく表わしています。

 このような前例があるのに、なぜか、魔法少女ものでは、修業しないんですね。
 『さるとびエッちゃん』でも、エッちゃんは、事実上、生まれつき型の魔法少女のように描かれています。彼女は、何の苦労もせず、「忍術」を使いまくっています。

 ここを掘り下げると、面白いものに当たりそうです。しかし、ここでは、事実を指摘するのみとして、掘り下げないでおきます。
 今は、まだ、掘り下げられるほど、考察が進んでいないからです(^^;

 修業型を、いっぺん置いておいて、生まれつき型の魔法少女として、エッちゃんを見てみましょう。
 すると、『さるとびエッちゃん』もまた、典型的な「異類来訪譚」だと、気づきます。

 彼女は、「どこかわからない、山奥の村」から、三つ葉小学校へ転入してきます。不思議な「忍術」で、周りの人々に福を与えます。時々、災難をもたらすこともあります。
 これで、最後に、「山奥の村」へ帰れば、異類来訪譚としては、完璧ですね。

 『さるとびエッちゃん』のアニメ最終回では、エッちゃんは、帰りません。いつもと同じように、「忍術」で問題を解決して、みんなで笑って、終わりです。最終回らしくない最終回です。
 エッちゃんは、『魔法のマコちゃん』と同じように、「忍術」を使える状態のまま、ずっと普通の人間界で暮らすのでしょうか?

 私には、そうは思えません。
 エッちゃんは、いつの日か、突然、三つ葉小学校や、ミコの家から、いなくなりそうな気配があります。ふらりとやってきて、ふらりといなくなる、口承文芸の「異類」と同じ匂いがします。

 これは、エッちゃんについて、わからないことが多すぎるからだと思います。
 彼女の能力についても、家族についても、生まれ故郷についても、わかりません。そもそも、なぜ、三つ葉小学校に来たのかも、わかりません。
 彼女には、ずっと「人間界」にいる理由が、ないように見えます。もちろん、三つ葉小学校では、ミコをはじめとする友達ができて、楽しくやっているのですが。

 エッちゃんの「忍術」をもってすれば、どこでも生きてゆけそうです。三つ葉小学校にこだわる理由は、見つかりません。
 むしろ、彼女は、あちこちの小学校へ、ふらり、ふらりと現われて、そこでも、楽しくやっていそうです。

 当時の視聴者の子供たちは、「自分も、エッちゃんみたいになれるかも?」と思うと同時に、「いつか、うちの学校にも、エッちゃん(みたいな子)が現われるかも? 現われないかな?」と、期待したのではないでしょうか?
 「とてつもない力を秘めた、謎の転校生」という設定を出した作品として、『さるとびエッちゃん』は、初期のものでしょう。

 エッちゃんの個人情報が描かれないことと関連して、興味深いのは、「視点の外在性」です。
 「外在性」なんて、いきなり、難しい言葉を出して、すみません(^^; 要するに、「エッちゃんは、常に、他人から見た姿で描かれる」ということです。

 「ここで、この能力を使うべきか否か」と葛藤するエッちゃんとか、「さっき力を使っちゃったから、今は力を使わないでおこう」と能力を出し惜しみするエッちゃんとか、そういうのは、描かれません。彼女の内面が、出てこないんですね。

 これは、むろん、わざとそう作っているのでしょう。エッちゃんを、神秘的な存在のままにしておきたいのだと思います。

 この点で、『さるとびエッちゃん』の原作漫画の題名が、示唆的です。
 『おかしなおかしなおかしなあの子』です。『おかしな』を三回も重ねて、神秘性と、ユーモアを出していますね。
 そのうえに『あの子』です。『あの』は、「その」や「この」よりも、距離がある表現ですね。エッちゃんの外から見た表現です。ちょっと離れて、「何だろう? あの子」と見ている感じが、伝わります。

 『さるとびエッちゃん』の視点が外在的ならば、『魔法のマコちゃん』の視点は、内在的でした。視点は、ヒロインのマコちゃんにべったりです。マコちゃんの悩みや葛藤が、描かれます。
 だからこそ、「マコちゃんは、悩みながらも、ずっと人間界で生きてゆくんだろう」と、視聴者は思いました。エッちゃんとマコちゃんとが、大きく違う点です。

 エッちゃんを、「神秘的で、いつ、人間界からいなくなるか知れない存在」としたことで、『さるとびエッちゃん』は、伝統的な異類来訪譚に回帰する傾向があります。

 今回は、ここまでとします。
 次回は、『さるとびエッちゃん』の「視点の外在性」について、掘り下げる予定です。



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