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魔法少女の系譜、その4~『魔法使いサリー』と『コメットさん』~

 某SNSからの『魔法少女の系譜』シリーズ、その4です。どんどん行きます。


 「魔法少女の系譜、その3」までで、日本の魔法少女草創期の作品を二つと、それらに直接、影響を与えた米国の映像作品を二つ、挙げましたね。

 日本の作品は、『魔法使いサリー』と、『コメットさん』です。
 米国の作品は、『奥さまは魔女』と、『メリー・ポピンズ』です。

 今回は、これら四つの作品を比較します。比較することによって、日本の「魔法少女もの」が、米国作品から、何をどう受け継ぎ、どのように発展したかを探ります。
 例によりまして、「六つの視点」から、探りを入れます。

[1]魔法少女の魔力は、何に由来しているか?

 これについては、四作品に共通していますね。どれも、ヒロインは、「生まれつき、魔法が使える種族」です。

 この部分は、米国から日本へ、そっくりそのまま移入されました。
 『サリー』や『コメットさん』の後の作品でも、この設定の作品は、たくさん生まれています。米国直輸入の思想でも、日本に根づいたといえるでしょう。

 日本にも、天狗や鬼のように、「不思議な技を使える異類」の思想は、ありましたからね。「生まれつき、魔法が使える種族」という考えは、受け入れやすかったのでしょう。

[2]大人になった魔法少女は、どうなるのか?

 米国の二作品には、この問題は、ありません。ヒロインが大人だからですね。

 日本でも、『コメットさん』のほうは、ヒロインが大人なので、この問題はありません。
 『サリー』だけに、この問題があります。

 なぜ、サリーちゃんだけが、少女なのでしょう?
 それは、『サリー』だけが、実写ドラマでなく、アニメであることに、ヒントがあります。

 当時、アニメは、子供向けの媒体だと思われていました。今でこそ、「大きなお友達」向けの作品も、多いですが(笑)
 子供たちが感情移入しやすいように、ヒロインを子供にしたのですね。

 そして、『サリー』がヒットしたことにより、似たような―少女が魔法を使う―作品が、次々に作られます。「魔法少女もの」というジャンルの誕生です。

 ヒロインを幼くしたことにより、このジャンルは、「大人になった魔法少女は、どうなるのか?」という問題を、潜在的に持つことになりました。

 ただし、しばらくの間は、その問題は、顕在化しません。
 なぜなら、『サリー』などの魔法少女たちは、生まれつき人間ではない、異類だからです。異類は、異類の住む世界へ帰ればいい、という選択肢があります。

 問題が顕在化するのは、ずっと後のことです。その時に、また、この問題を取り上げましょう。

 ところで、米国には、「少女が魔法を使う」作品は、なかったのでしょうか?
 あります。有名なところでは、ハリウッド映画の『オズの魔法使』ですね。米国では、一九三九年に公開されています。日本では、一九五四年(昭和二十九年)に公開されました。

 『オズの魔法使』では、ヒロインの少女ドロシーが、魔法を使います。でも、彼女は、生まれつきの魔法使いではありません。普通の人間です。
 では、どうやって魔法を使うかといえば、道具の力を借りています。魔法の靴で、空を飛ぶ場面があります。

 映画の『オズの魔法使』は、公開当初は、ヒットしなかったそうです。
 けれども、のちに何度もテレビ放映され、米国民に親しまれる映画となりました。

 にもかかわらず、米国では、「少女が魔法を使う」作品が、一大ジャンルになるほどは、栄えなかったんですね。日本とは、対照的です。

 なぜ、日本では、「少女たちが魔法を使う」ようになったのでしょうか?
 少なくとも、『サリー』の段階では、「子供たちに受けるように」でした。

[3]魔法少女は、いつから、なぜ、どのように、「変身」を始めたのか?

 これまでに取り上げた、四作品の段階では、まだ、ヒロインたちは、「魔法少女としての姿」には、変身しません。

 ジャンルの草創期には、日本の作品も、米国の作品の特徴―変身しない―を、そのまま受け継いでいたんですね。

 それが、いつから、どのように変身を始めたのか……いろいろな作品を取り上げる中で、迫ってゆきます。

[4]魔法少女は、「魔法の道具」を持っているか? 持っているなら、それは、どのような物か?

 『奥さま』を除いて、ヒロインたちは、魔法の道具を持っています。
 『サリー』は、箒【ほうき】に乗って空を飛びますね。『メリー・ポピンズ』は、パラソルと鞄【かばん】とを持ちます。『コメットさん』は、バトンを持って魔法を使います。

 道具を使う三作品でも、ヒロインたちは、道具に完全に頼っているわけではありません。自分の魔力の補助として、道具を使っている感じです。

 三作品の中では、『コメットさん』が、一番、道具に頼る率が高いようです。
 道具への依存率が、もっと高まれば、別の形態の「魔法少女もの」になりますね。例えば、『ひみつのアッコちゃん』のような作品です。道具がなければ、魔法が使えないという設定ですね。

 『コメットさん』の段階で、道具への依存率が高まる傾向が見えていたのは、興味深いです。
 「道具によって魔法を使う」作品が、ここから発展してゆくわけですね。これは、米国の影響から離れて、日本独自に発展した傾向です。

 先に書いたように、米国にも、「道具によって魔法を使う」作品が、なかったわけではありません。
 『オズの魔法使』では、ドロシーが、魔法の靴を使っています。

 とはいえ、米国では、「少女(大人の女性)が、道具によって魔法を使う」作品は、栄えませんでした。「魔法少女もの」自体が栄えなかったことが、大きいでしょう。

[5]魔法少女は、マスコットを連れているか? 連れているなら、それは、どのような生き物か?

 米国の二作品には、マスコットに相当するものは、登場しません。

 日本の作品には、すでに草創期から、マスコットに相当するものが見られます。

 『サリー』には、マスコットとトリックスターを合わせたような、カブが登場します。
 『コメットさん』には、マスコットらしいマスコット、ベータンが登場します。

 日本の魔法少女のマスコットの祖は、ベータンと言ってしまってよいでしょう。ここから、マスコットの歴史が始まりました。米国には、見られなかったものです。日本独自の方向性です。

[6]魔法少女は、呪文を唱えるか? 唱えるなら、どんな時に唱えるか?

 これは、米国の作品と日本の作品とで、くっきり分かれます。

 米国の二作品は、呪文を唱えません。
 日本の二作品は、呪文を唱えます。

 米国の作品で、呪文を唱えさせなかったのは、おそらく、従来の「魔女」のイメージを払拭したかったからでしょう。
 欧米圏で、呪文を唱えて魔法を使ってしまうと、邪悪な魔女のイメージが強すぎるのだと思います。「良い魔法使い」にふさわしくないと見なされたのでしょう。

 日本には、そもそも、邪悪な魔女のイメージが、ほとんどありませんでした。それよりも、「魔法使い」という、輸入ものの新しい概念を、どう視聴者に定着させるかのほうが、問題でした。

 呪文は、「魔法を使っている感」を出すのに、ちょうどよいアイテムだったのだと思います。

 『サリー』では、魔法をかける時に、いつでも「マハリク、マハリタ」と呪文を唱えます。
 『コメットさん』では、普段は、呪文を唱えません。マスコットのベータンを呼び出す時にだけ、「チンチロパッパ」という呪文を唱えます。

 『コメットさん』の場合は、魔法をかけるのに、「バトンを使う」という動作が入ります。これで、視聴者には、「魔法を使うんだな」と、すぐにわかります。ですから、わざわざ、呪文を唱えさせる必要がなかったのでしょう。

 ただ、「マスコットを呼び出す」のは、他の魔法と違う、特別な魔法だと示したかったのだと思います。だから、その時だけ、呪文を使わせたのではないでしょうか。

 ちなみに、米国の作品で、「良い魔法使い」が呪文を唱える場面が、登場するものもあります。
 ディズニーのアニメ映画『シンデレラ』が、そうです。米国では、一九五〇年に公開されました。日本では、一九五二年(昭和二十七年)に公開されています。

 『シンデレラ』には、「優しい魔法使いのお婆さん」が、登場しますね。このお婆さんは、「ビビディ・バビディ・ブー」と呪文を唱えて、カボチャを馬車に変え、ネズミをウマに変え、シンデレラのドレスを美しく変えます。

 実際に見ればわかるのですが、この呪文の場面は、とても楽しいミュージカル仕立てになっています。お婆さんの呪文「ビビディ・バビディ・ブー」は、そのまま曲名になっていて、今でも、親しまれている曲です。
 欧米圏では、このように、入念な仕掛けをしなければ、「良い魔法使い」に呪文を唱えさせることは、できないのだと思います。

 『サリー』や『コメットさん』の後も、しばらく、日本の作品では、魔法少女たちが、呪文を唱えますね。
 でも、最近の作品では、呪文は、流行りません。

 いつから、魔法少女たちは、呪文を唱えなくなったのか……これも、興味深い問題です。


 と、今回は、ここまでです。
 次回は、もう一回、この四作品を取り上げます。伝統的な口承文芸と、これら四作品とを比較して、分析してみたいです。



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