見出し画像

魔法少女の系譜、その104~『ウルトラマンA【エース】』と先行作品~


 前回に続き、『ウルトラマンA【エース】』を取り上げます。

 『ウルトラマンA』は、ウルトラシリーズの第五作ですね。主役のウルトラマンAは、M78星雲からやってきた、正義の超人です。それまでのウルトラシリーズの作品、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』、『帰ってきたウルトラマン』と、基本的な設定は、同じです。

 ここで、ウルトラシリーズの過去作品と、『ウルトラマンA』との設定を、比べてみましょう。「正義の超人」が登場しない『ウルトラQ』は、便宜上、除きます。

 『ウルトラマン』では、主役のウルトラマンが、地球へ来た時、誤って、科学特捜隊のハヤタ隊員を死なせてしまいます。ウルトラマンは、自分の不注意でハヤタ隊員が死んだことを申し訳なく思い、彼に自分の命を分け与えます。
 ハヤタ隊員とウルトラマンとは、一心同体になり、普段は、地球で、科学特捜隊のハヤタ隊員として暮らします。怪獣が現われると、ハヤタ隊員はウルトラマンに変身して、怪獣と戦います。

 『ウルトラセブン』では、地球にやってきたウルトラセブンが、薩摩次郎という地球人を目撃します。薩摩次郎は、命がけで友人を助けます。その姿に感動したウルトラセブンは、薩摩次郎をモデルにして、地球人に変身し、モロボシ・ダンと名乗ります。
 モロボシ・ダンは、ウルトラ警備隊に入隊して、普段は、隊員として暮らします。怪獣が現われると、本来の姿であるウルトラセブンに変身し、怪獣と戦います。

 『帰ってきたウルトラマン』では、主役のウルトラマンジャック―後世に設定された名称ですが、初代ウルトラマンと区別するため、ここでは、この名称を使います―が地球に来た時、ちょうど、怪獣タッコングが日本を襲っている最中でした。そこで、郷秀樹【ごう ひでき】という青年が、少年と犬を救おうとして、命を落とすのを目撃します。彼の正義感や勇敢さに感動して、ウルトラマンジャックは、初代ウルトラマンがハヤタ隊員にしたように、郷秀樹に命を分け与え、彼と一体化します。
 郷秀樹は、怪獣と戦う組織、MAT【マット】に入隊して、普段は、隊員として暮らします。怪獣が現われると、ウルトラマン(ジャック)に変身して、怪獣と戦います。

 そして、『ウルトラマンA』でも、これらの設定を、そっくり踏襲しています。
 ウルトラマンAが、地球に来た時、北斗星司と南夕子という地球人が、他の人を助けようとして、死んでしまうのを目撃します。初代ウルトラマンや、ウルトラマンジャックと同じように、ウルトラマンAは、二人に、自分の命と能力とを託します。
 蘇った北斗と南は、超獣と戦う組織、TAC【タック】に入隊し、普段は、隊員として暮らします。超獣が現われると、二人そろってウルトラマンAに変身し、超獣と戦います。

 『ウルトラセブン』だけ、ちょっと異質ですが、他はすべて、「一度、死んだ地球人に、自分の命と能力を与えて、蘇らせる」点が、同じですね。ウルトラマンなどの宇宙人が、地球人に憑依していると言える状態です。

 私は、憑依という言葉を使いました。じつは、この状態は、伝統的なシャーマンの状態と、よく似ているからです。
 シャーマンと言える存在は、かつては、世界各地に分布しました。日本ですと、東北のイタコと、沖縄のユタが有名ですね。
 シャーマンは、死んだ人の霊や、神さまなどの超自然的存在と、接触できる存在です。現実にそうかどうかは別として、そういうことができる存在だと、昔は信じられていました。

 シャーマンのあり方はさまざまで、常に、まったく、普通の人と変わらない状態の人もいます。しかし、一時的に、超自然的存在に「憑依されて」、別人格が現われる場合も、多いです。肉体的には同じ人のはずなのに、顔つきやしゃべり方や声などが、まるで違う人のようになることもあります。
 これは、一種の「変身」といえるでしょう。

 また、シャーマンがシャーマンになる過程では、多くの場合、病気を経験します。日常生活が送れないほどの重い病気にかかり、社会的には、ほとんど死んだ状態と扱われることが多いです。

 意外に思われるかも知れませんが、たいていの人は、喜んでシャーマンになるのではありません。シャーマンになった人のインタビューを読むと、「普通の人生を送りたかった、普通の人でいたかった」と言う人が、多いです。
 シャーマンというのは、重い役目なんですね。少なくとも中世くらいまでは、シャーマンは、他人の人生の問題をしょい込み、他人の人生の行く末を決める人でした。現代であっても、シャーマンに頼ってくる人は、人生の重大な問題に悩んでいるために、頼ってきます。
 そんな重い役目を、進んで引き受けたい人は、そう多くありません。昔であれば、普通に農業や漁業や林業に携わって、一生を過ごしたいと思う人が、多かったわけです。

 ところが、そういう「普通の人」が、どういう理由でか、重い病気にかかります。それは、「神さまに呼ばれている」んですね。シャーマンの世界では、そう解釈されます。巫病【ふびょう】と呼ばれる状態です。
 原因はともかくとして、巫病という現象は、実際にあります。症状が重くなると、死にかけたり、死んでしまったりすることもあります。現代の医学でも、巫病の原因は、完全には、明らかにされていません。

 巫病にかかった人は、神さまから、「シャーマンになれ」と呼ばれている状態だと解釈されます。たいていの人は、「そんな重い役目は嫌だ」と、抵抗します。抵抗している間は、巫病は治りません。最後まで抵抗し続けると、死んでしまいます。
 諦めて、シャーマンになることを受け入れると、巫病は治ります。社会的には、「普通の人」が死んで、シャーマンとして蘇ったことになります。

 前述のとおり、一人前のシャーマンになれば、自分の意思で、死者の霊や神さまなどの超自然的存在と、コンタクトが取れるようになります。一時的に超自然的存在と一体化して、普通の人では知り得ない、問題の解決法を提示することができます。

 これ、「神さまや死者の霊」の部分を、「宇宙人」に入れ替えれば、『ウルトラマン』、『帰ってきたウルトラマン』、『ウルトラマンA』に似ていると、思いませんか?
 「宇宙から来た正義の超人」は、神さまのようなものですよね? 普通の地球人では対抗し得ない怪獣や超獣と戦って、追い払うことができる超人です。

 『ウルトラマン』の場合、主役のハヤタ隊員が死んだのは、純粋に事故です。とはいえ、ハヤタは、もともと、科学特捜隊に入れるほど、能力があって、正義感にもあふれた人物でした。「正義の超人」が選ぶ「シャーマン」にふさわしいですね。

 『帰ってきたウルトラマン』と、『ウルトラマンA』では、自分の命を顧みず、他人を助けようとした人物が、「シャーマン」に選ばれます。郷秀樹も、北斗星司も、南夕子も、正義感や勇敢さを、その行動で示します。視聴者にも、明白に、「正義の超人」に選ばれてしかるべき人だと、わかります。

 現実のシャーマンと違って、物語では、視聴者が納得する理由を付けなければなりません。現実のシャーマンは、必ずしも高潔な人物とは限りませんが、物語ならば、「正義の超人」が選ぶのは、「正義の人」でなければ、納得できませんよね。

 『ウルトラマン』の放映が始まった昭和四十年代(一九六〇年代後半)には、すでに、多くの日本人にとって、シャーマン的存在は、馴染みが薄いものでした。にもかかわらず、『ウルトラマン』の設定がすんなりと受け入れられ、大ヒット作になったのは、日本人の心の中のどこかに、シャーマン的なものを、受け入れる余地があったからだろうと思います。

 近未来的な科学―放映当時には―の装いをしたウルトラシリーズが、伝統的なシャーマンにつながるのは、面白いですね(^^)

 今回は、ここまでとします。
 次回も、ウルトラシリーズを取り上げます。



この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?