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#やさしさってなんだろう

 「やさしさってなんだろう?」と問われた時に、思い出すのはセーラー服で怒鳴っていたM子さんの睨み顔と「そういうのつまらないよ!」といういままで聞いたことのないドスのきいた低い声だ。

 時期は定かではない。たぶん中学生になったばかりの頃だったと思うのだけれど、私の所属していたクラスがすごく嫌な雰囲気になった瞬間があった。いわゆるいじめや、いやがらせが発生しそうだったのだ。私は教室の端っこで、本を読んでいるふりをして、はらはらしながら「どうしよう」と息を殺してその様子をうかがうことしかできなかった。

 しかし、M子さんは違った。

 私と同じように教室の端っこで、問題集を解いていたのだが、ふいにパタンと問題集を閉じて立ち上がった。何をするのかとみていると、顔を真っ赤にして俯く女の子と、はやし立てる学ラン姿の男の子に向かって「そういうのつまらないよ!」と怒鳴ったのだった。

 「そういうのつまらないよ!」。中学を卒業してからもう十年以上たったので、薄情ものの私は、当時の担任を務められていた先生の名前もすぐには出てこない。ただM子さんが「そういうのつまらないよ!」と怒鳴った事はよく覚えている。当時の私は、息を殺してオロオロと様子をうかがうことしか出来なかったのに、M子さんは誰かの為に怒鳴ることが出来たのだ。それは最高にかっこよかった。そしてM子さんの一喝は、嫌な雰囲気をその日のうちに霧散させてしまった。

 「やさしさってなんだろう?」。その問いかけに、私はM子さんの怒鳴り声を思い出す。いまにして思えば、M子さんの声は少し震えていたかもしれない。私は「やさしさは、他者の為に自分の勇気を掘り起こすこと」だと思う。あの日のM子さんくらい、誰かの為に怒鳴ることはまだ出来てはいないけれども、例えば電車で席を譲る時やマナーの悪い方に注意をする時に自分の勇気が目覚める感じがある。あの日のM子さんのことを私がずっと覚えているように、自分が勇気を出した日の事を、いつか誰かにずっと覚えててもらえたら素敵なことではないだろうかと思う。たとえそれが睨み顔だとしても。

まずは記事を読んで頂きありがとうございます。もしもサポートを頂く事があれば、次回公演の制作費の一部として使わせて頂きます。いちかわとも。