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ナースママの私が起業を決意したワケ8

~ コロナ禍 義母の看取り ~


ナースママの私が起業を決意したワケ、
ということで始まりました、このブログ。

前回は、訪問看護をとおして、
自分が何を大事にして生きていきたいのか、
自分軸が整ってきた、というお話でした✨

今回は、訪問看護師中に義母を自宅で看取った、
お話です。

看護には、力がある。

この感覚をしっかりと自覚した、
自覚させてもらった、
そんな感覚を得た話です。


ちょうど、
地に足がつかないフワフワした感じから、
気付いたら、
この口が勝手にしゃべっている (笑)状態に。
自分らしく、
訪問看護が板について、慣れてきたころ😌


夫が、
「母ちゃんが、癌だって。膵臓の。。。
 とりあえず実家行ってくるわ。」

夫の目にはすでに涙が…

自宅から30分ほどの距離に夫の実家はあって、
電話連絡を受けた夫はそのまま実家へ。

(しまったな…あの症状膵臓から来てたんだ…)

全てが繋がって、
これからの予後まで想像が安易についてしまう…
私は、静かな覚悟を決めたのを覚えています。

夫が出てすぐ、私は義母へ電話。
今出たからね、
の報告とともに義母の声が聞きたくて。

まだ他人事よね、よくわかってないのよ
と、明るい声の義母。

しっかり親孝行させてもらいますね
とだけは、伝えた。


すでにコロナが始まって、緊急事態宣言中。
病院では、入院しても面会は禁止。

病状的には、抗がん剤治療をして、効けば2年の予後。
治療しなければ、もって半年。

急に突き付けられた、義母の命。

当初は入院するつもりでいた母、
よくよく話を聞いていると、混乱していて、
判断ができていない状態だとわかりました。

夫の両親は、見た目?
子供たちよりは目上、
として普段は、振舞っていて、
子供たちの意見はあまり取り入れず。

それでいいかと私も甘えていた部分があり、
ただ、看護師目線では、
突っ込みどころは満載だった (笑)

自分たちで判断して、生活しているのだからと、
あまり踏み込まずに来てしまった。

今回は、そうもいかない
母の人生、母らしく、を叶えたい。。。

膵臓の解剖から、治療の流れ、現状の治療成績、
治療による効果、副作用、生活の変化予測

治療をしない決断をした場合の流れ、

両親の反応を見ながら、説明しました。

そもそも当初の医師に不信感があった母、

合わないだろうな~とは、思ってました。

母が信頼して安心できる病院に繋げなきゃ。
最初の私の大仕事。

訪問看護をしていたので、
どこの病院の先生が良いか
セッティングする仕事も訪問看護の役割
だったりしたので、

2候補上げて、あとは両親で決めてもらいました。

これが、ドンピシャ。
母、大好きな主治医に出会えて、
2週間に1度の外来通院が始まりました😆

そう、母は結局、
入院して家族に会えず体力が奪われていく
抗がん剤治療は、しない、と決断したのです。

外来通院は、
私にも付き添ってほしいと甘えてくれたので、
2週に1度は外来へ。

義姉が他県から月半分は実家で
過ごしてくれるようになり、
日常のお世話、サポートは義姉にお任せして、 
私は訪問看護を続けられました✨

娘が2人 ♡
両脇に嫁の私と、義姉。
娘が2人いて、幸せ♡ って母。
みんなでいる、幸せを嚙み締めた瞬間もありました💕

療養中に母は誕生日を向かえ、
私の作った、シフォンケーキで孫たちにも囲まれ
お祝いもできました🍰🥂

母は、子供が大好きで。
孫たちを膝にのせて、
かわいいかわいい 大事大事って🥰
噛み締めて、孫たちにも愛情を注いでくれました。

私も、母に会うたび
大好きだよ😍を伝えました。
夫を産んでくれてありがとう も。

小1の下の国語の教科書にもなるくらいの本、
「ずっと ずーっと だいすきだよ」というお話。

普段から、大事な人には大事だと伝えておこう
という内容。
伝えておけば、離れても、さみしさが減るからと。

これ、実験でやってみましたが、
効果あり。
言葉で伝えておく、大事ですね。

そろそろ、外来通院を止めて、
訪問看護導入のタイミングを
図ろうとしていました。
5か月経過した頃です。

お気に入りの主治医が、
そのまま訪問診療に来てもらえるよう
算段を付け、訪問看護に先に入ってもらいました。

(自分の所属する訪問看護も
選択肢にはありましたが、
主治医が変更してしまうこと、
自分が娘としていられる時間も
欲しかったので、依頼することにしました。)


母は、痛みのコントロールが難しくて、
いろいろなお薬を調整しながら
なんとか自宅で過ごしていました。

話をするのが好きな母なので、
義姉にたくさん想いを語る時間、
夫や義兄に対する想い、
いまだに背負っている想い、

いろんな感情や肩の荷を下ろせた時、
母の眠る顔は、少女のようにかわいらしく、

母への尊さ、
人としての敬う気持ちが自然とこみあげてきました。

唯一、後悔していること。
義母は、自律神経失調症、でした。
2週に1度の外来で、母と過ごしてみて、
よくわかりました…

もっと、早くに気付いて、介入していれば…

私が起業したい、と思うようになった、
ひとつ、大きな後悔。

自律神経を自分で整える
これができる女性を増やしたい、
当時は後悔しかなかったけど、
今はエネルギー源でもあります。


そして、その時はやってきました

なぜか、よく眠る母。
医療従事者的にも、???
病院で検査もして、
一応できる最後の治療、
点滴をしながら自宅に戻ってきました。


私も義姉からの電話連絡を受けながら、
訪問看護の仕事をこなし、母の自宅へ。

もう、あり得る、と覚悟はしていたので、
事務所を出る時、
同僚たちは、良い時間をすごしてきて、と
見送ってくれました。


実家に着くと、
義父はとんかんかん、金槌片手に
リクライニングできる簡易ベッドを作っていて (笑)

(いやーお父さん違うけど~)
と思ったけど、
何かしていないといられない、父の心境から
なのだろうと、思い直し😥

義姉もどこか、楽観的に、
この点滴が終わったころには良くなってるかなーって
看護師さん明日来るって。って😰

(やばい、コレ、誰も現実見れてない…)

家に入って、すぐ感じた雰囲気…

やばい、と感じたのには理由が。
訪問診療がまだ、開始されていなかったのです。

もし自宅で亡くなる場合、
絶対条件、医師が自宅で診療を始めていること。
そうすれば、自宅で死亡診断書が書けます。

母は、訪問診療が始まっていなかったので、
このまま自宅で看取ることができない状況でした。

そう、もう意識レベルがない母を救急車に乗せて、
最後は面会謝絶のまま、
病院で死亡診断してもらうために病院へいく 
という現実が待っていました😰

日勤帯がぎりぎり動ける時間まで、
母の病状を見守りつつ、
義姉が、母の髪を洗えていないと気にかけていたので、
お布団の上で洗髪しました🧴🫧

母と二人きりになった時、

(あ、お母さん、やっぱり逝くんだね。)

はっきりと確信に近いものを感じました。

かわいらしい表情から、一変、
凛々しく覚悟を決めた、かっこいい母の
表情に変わっていました。

もう時間がありません。

まだ逝くわけないと信じ切っている、
みんなの前では、電話はできず、

ちょっと、外出てくるよとだけ伝え、
家を出ました。

わーーっと、
こらえていた涙を一通り、流して、

訪問看護へ電話しました。

たぶん今晩ありうるので、お願いしますと。


事態が変わっている=訪問診療していない
すぐに状況が伝わって、

訪問看護師から主治医へ連絡してもらいました。

30分後、今から医師が行きますと実家に電話。

主治医は日勤後、夜の当直予定だったので、
当直が開始されるまでに、訪問診療を終わらせ病院に戻る
必要がありました。

本当に危機一髪だった!!
医師が来てくれなかったら…と思い返すと、
いまだにヒヤッとします。


医師は、診察後、
義父に向けて、
状況が変わりましたね。
御迎えがきていますね。と。

母はその後、
30時間は省エネモードで過ごし、
みんなの準備ができた時、
みんなに囲まれ、手を握られたまま
旅立ちました🛏️😇

医師に連絡をする前に、
看護師は、ペンライトで瞳孔散大の確認と
呼吸停止、聴診器で心音の消失の確認をする必要が
あります。

出来なかった…
ない音を聞こうとする行為は、さすがに、、、

母の顔にホットパックを施して、
口と目が自然と閉じるよう、
家族に手を添えてもらい、

私は、来てください(死亡診断しに)とだけ、
訪問看護師に電話しました。

全神経を集中させた時間だったので、
母が亡くなって、3か月くらいは無気力状態に。

仕事や日常はこなしていたのだろうけど、
記憶がない、そんな感じです。

母は、私が看護師としてイキイキしている姿を
喜んでくれていました。

看護師として、娘として、受け入れ、
家族の仲間として扱ってくれて甘えてくれて…

遺族となった、義父や義姉からは、
和子さんがいなかったら、家で看取れなかった、と
感謝の気持ち、尊敬してくださる気持ちをたくさん頂いています。

これは私がすごいのではなく、(もちろん笑)

『 看護には力がある 』

この確信ができた、看取りのお話です。

遺族となった、私ですが、
悲しみや後悔、ゼロとは言い切れませんが、
母とは、深い部分で繋がっている
そんな感覚もあります。

私が、起業の準備を加速させるようになった、
きっかけも、母のお墓参りに行ってから、
進んでいるのです😊

母が応援してくれている、と思うと
安心で、心強いかぎりです✨✨

そして、家で看取る時、
家族の家族力が必要です。

村上家は、心底、人に対して
優しい気持ちが高い人たち。

夫と過ごしていても、
娘たちが引き継いでるなと思う時も、
この、心底の優しさには、リスペクト
しかありません。

母が大好きな家で最期まで過ごせたのは、
この優しい、家族力あってのこと。

今日もここまでお読みいただき、
大変ありがとうございます。

次回は、エピソードとしては最後になります♪

次女の胎内記憶とスピリチュアル女子、
というお話です😊

ps. 冒頭写真は、
 特にピンクの薔薇をこよなく愛していた義母へ🩷

 そういえば、葬儀の棺には、薔薇を敷き詰めて
 見送りました。義母が何気ない会話で話していた
 ことを思い出して…
 大切な人との、何気ないおしゃべり、
 大切に過ごしていきたいなと思います😊
 


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