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『氣』を養うとはどういうことか



□氣虚状態だった身体

野口整体では、
愉氣という手当て法を行ったり、
自主稽古でも氣功体操を行ったり
『氣』という考え方が欠かせません。

修行当初の私は最初、
『氣』という実体のないものがよく分かりませんでした。
ですから、愉氣をする。
と言われても、
手を当ててなんだか温かい気はするけども
単純に人の体温を感じているだけでは
ないかと思っていました。


私自身、今でこそ自分の身体を
心配することはなくなりましたが
昔は不定愁訴がとても多くありました。

肩凝りや慢性的な便秘、
血便、過敏性腸炎は日常茶飯事で、
過呼吸症状になったり、
とても疲れやすく、
8時間働くなんてしんどくて、
家に帰るとぐったりし何も手につけられず眠り、
仕方がないから翌日また仕事に行く。


あらためて文章にしても
元氣も希望もない人間代表のような心持ちですね。


同じ業務でも他の人は耐えられるのに
私はどうして身心がこんなに
疲れやすいのだろうかと情報を探し
食生活を改善してみたり
ヨガをしたり、
オイルマッサージに通ってみたりしましたが
どれも根本的な改善には繋がりませんでした。


□HSPだから、仕方ない?

いつかのタイミングで
臨床心理士の知人との出逢いや本を読み、
自分はHSP (Highly Sensitive Person)タイプではないかと思いました。

人の気持ちや空気を察知し過ぎて疲れたり、
深く考え過ぎてしまったり、
店の雑踏やBGMが騒がしく感じ、
自分と人との境界線が薄く、影響を受け易かったり
刺激のないところにこもりたがる。
そんな特徴をもつ人のことを指します。


ただ、自分がHSP気質だと理解したところで
疲れが改善されることはなく、
不定愁訴は続きました。

自律神経の乱れ
と言われても、自身で自律神経が
見える訳ではありませんし、
非現実的な空間を求めて
好きなカフェや旅行に出掛けても、
その瞬間は安らぎましたが、
元の生活に戻り、身体も元に戻る
という繰り返しでした。

「本気で自分のこの疲れやすさを、
            なんとかしたい」
と思って探し、
興味をもったのが野口整体でした。


□「氣を養って下さい」とは?

私は当時北海道在住でしたが、
野口整体指導を受けられるところを探し、
横浜の芳田整体の教室に伺いました。

人に治してもらう身体から、
自ずと治る身体に変わりたい。
と心から思いました。 

初めて施術受けた時には
スッキリはするけど、
手当てはなんだか物足りないなあ。
という印象をもちました。
今思うと、当時の私が大変未熟で、
「人に治してもらう身体」にすっかり慣れ、
鈍くなり、強刺激を求める身体に
なっていたように思います。

あれこれ不定愁訴をご相談して、
「わたしは何をしたら改善出来るでしょうか?」
と先生に尋ねると、

「氣を、養って下さい」

と一言。

氣を養うとは.....?
一体どうしたら氣が養われる?
先生には教えてもらえませんでしたが、
私にとっては初めて一生をかけても
この先生は信頼に値するような気がしました。

ですから、教室に通い続けるために
北海道から横浜に越してくる決心をしました。


6年ほど横浜で勉強した内容を
北海道で人の身体をお借りして
繰り返し、型や手技を練習しました。
写真を見るとこの時はまだ
目線、肘の張り方、
空間全体への意識に欠けているのが
わかります。

□『氣』を養う

横浜に越してきてからは稽古三昧でした。
朝起きて稽古をし、仕事に行き、
ご飯を食べたら稽古。
整体教室には喜んで通い、
教室終わりや仕事が休みの日には
同期や後輩のお身体を借りて稽古。

背中や骨盤、内臓、呼吸の様子は
先週と比べてどうだろうか。
食事の前と後でどう違うだろうか。
なんだか今日はこの人、弾力がなく
元気がない身体だけど、どうしたのだろうか。

口にして語らずとも
言葉より物語る身体の観察は本当に
興味深いものです。

後頭骨の調整の稽古。
二人羽織のように相手の頭を操作して
頭の疲れをとります。
緊張させずフワッと近づき
患部に氣を通す稽古です。


自分や人の身体の、
無駄なものが削ぎ落とされて
内側から改善されていく様を見るのは
とても気持ちがいいことでした。

目に見える小さな変化だと、
物をひろう所作、座り方、茶碗洗いの姿勢、
日常の動作が綺麗で落ち着いてきたり。

話し方が早くて、理詰めをするような方が
穏やかに人の話を聞くようになったり。

過度に愛想やリアクションを良くして、
人の機嫌をとるようなことがなくなったり。

『氣を養う』の意味はわからないままでしたが、
気功や体操、呼吸法や手技をひとつひとつ覚えて実践し、ひと通り手技が身に付いた頃には、自分自身の肩凝りや便秘も全くなくなっていました。



腎臓の調整に使う
脇腹つまみ。
腰椎3番は身体を捻る動きと関連し、
腎臓の疲れによる腰痛や
ギックリ腰もあります。


快適な身体ってこんなにかろやかなんだ。
と感動し、稽古してきて良かったと
心から思いました。

あの氣功、体操、手技、どれが私に
必要だったのか。
実際はその全ての時間と経験が、
私の『氣』が満ちるのに
必要な経過だったのではないでしょうか。

そして必要な経過というのは、
皆ひとつとして同じものはなく、
その人のペースで辿るものなのだと思います。


□身体という器


わたしは、ご飯を食べることがとても好きで
毎日の食卓を囲う時間を大切にしています。
料理も、美しくあたたかみのある器には
美味しい料理を盛り付けたくなります。

器の始まりは、人の手と言われています。
両手をくぼませ、水をすくって飲む。
これがうつろな器の始まりです。

整体では人の身体という器が変化しますが
その変化は自ずと心にも及びます。
心がよどみ、身体が重くなるような環境から
自ら抜け出す選択をしたり、
心持ちが変わり、人の顔色を伺うことをやめ、
自分主体で人生が好転していく人を
この目で見てきました。


稽古を始めて2年程経った頃には、
「氣を、養って下さい」
と言われたことも忘れていました。
でも、フと気がついた時には、
自分になんの不定愁訴もなく、
HSPであるという意識や劣等感もなくなりました。

HSPタイプという気質が改善された
という訳ではなく、
そういったラベルを気にすることが
なくなったのです。

持ち合わせていた繊細さを
大切に生かしながら、
要らない影響は受けぬように
身体面で足腰の土台を鍛えるような
呼吸法(深息法や氣合法)や、
過剰なエネルギーの発散のための
氣功や体操などのアプローチは
身体面のみならず、私の精神面に
ゆっくりと確実に作用していきました。


稽古を始めて3年程経ち、
教室を卒業することにしました。
その時には、
自分の身心は自分で整えられる。
という知恵と技術、安心感が残っていました。


これが、
『氣が満ちた』ということではないかと
今は思います。


□結局、『氣』とは何だったのか。


『日本人のこころ』
Heart&Soul of the Japanese
著:山久瀬洋二
訳:マイケル・クーニー

最近手に入れたこちらの本、
日本の伝統的な価値観や思想といった
「日本の心」を欧米の人にいかにして伝えるかを考慮して構成された本です。

今となっては日本人でさえも忘れかけている
ワビサビや、本音と建前、
しがらみや節度、根回しなど
良くも悪くも日本文化特有の価値観や
物の考え方が日英で簡潔に書かれています。


『氣』を英訳すると、
the movement of unseen energy in our world
この世にある目に見えないエネルギーの動き

だそうです。

『気』とは古代中国に生まれた概念で、この世にある目に見えないエネルギーの動きを意味します。
たとえば、会議をしているとき、お互いに意見が対立して、何も前に進まなかったとしましょう。そのとき、会議室の中になんとなく鬱々とした雰囲気が漂います。その雰囲気も「気」の一つです。
(中略)
すなわち、「気」がよければ人は前向きで元気になり、「気」が悪ければ人は精神的にも肉体的にもくたびれてしまいます。
(『日本人のこころ』
Heart&Soul of the Japanese
著:山久瀬洋二
訳:マイケル・クーニー   p76  気 より)

私は昔はこういった実体のない類の話は
怪しげで嫌いでしたが、
今は『氣』の考え方を大切にしています。

元気、正気、やる気
気まずい、気の置けない、気のせい、気を張る
殺気、覇気、狂気、色気

『氣』がつく言葉は日本に沢山あります。
どれも目に見えるものではありませんが、
私たちが日常で確かに感じているものです。


別れ話の最中に漂う鬱々とした氣、
神社に行くとなんとなく心身が凛とする氣、


そんな空気や気持ちの変化に、
科学的根拠なんてものはありません。
でも、たしかに目に見えない『氣』を
人だけではなく『場』や『作品』にも、
たしかに感じて私たちは生活しています。


整体教室でも、
□天心にポカンとしながら、好転を方向づける愉氣(手当て)
□悲しみや恐怖に溢れる想像をしながらの愉氣
□型がだらしなく、よそ見をしながらの愉氣

と、様々な愉氣のパターンで
受け心地、手当ての心地を比べています。


たしかに、目には見えませんが、
『氣』が変わるのを身体で感じます。
心地よい愉氣と、
なんだか息が詰まるような愉氣、
身が強張る愉氣、
自身に意識をむけられていないような感覚等、目をつぶっていても感じられます。


□まとめ : 整体は誰のために


心身に触れるというのは、
なにも介護やセラピストの人だけが
必要とする術ではありません。
快適なからだを養うということは
全ての人に有効な
快適で幸せに過ごすための生きる術です。

施術や教室にいらっしゃる方も
様々な人生の中で生き、
身内を亡くされたばかりの方や、
過去のトラウマや家族関係に悩む方など、
今がまさに踏ん張り時というトラブルの渦中に
いらっしゃる方もいます。
指導者となった私も含めて、
誰しもがまだ、人生の道半ばです。

それでも語りたくないことは言葉で語らずとも
稽古や施術、手当てを通しての身体をつかった
コミュニケーションの積み重ねは
そんな困難を乗り越える支えになります。

自分と同じように心身に純粋に
取り組む人たちとの交流は楽しいもので、
ゴールのない一生の学びです。
私自身も、手も、いまだに変わり続けています。


整体で育てる微細な変化を感じる五感や、
身体の違和感や状況を察せられる感受性を、
自分や大切な人を守るために活かして頂ければ、こんなに嬉しいことはありません。


解毒の臓器、肝臓の調整。
最初は皆さん、
肝臓がかたいかやわらかいか
分からないものですが、
数をこなし、手の感覚を鋭敏にして
皆さんで肝臓比べをしてみます。

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ご予約をお願い致します。



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