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なぜ社会人になって10年以上経つのに税金についてこれほど無知なのだろうか

先日、ふるさと納税と確定申告の失敗の記事を挙げた。

そして思ったのが、自分はどうして社会人になって10年以上も経つのに税金についてこれほど無知なのだろうかということだ。

必死に働いて得ている給料を何でどれくらい引かれているのかを知ろうともしなかった

必死に働いて得ているお金が何にどのくらい取られているかを(その是非はともかく)知ろうともしなかった。
それは何故か
なんとなく難しそうだし知る必要に駆られたことがなかったからだ。

知らなくても生きていく上でなんら不都合はない

個人事業主ならいざ知らず、正直サラリーマンであれば確定申告の必要もないし年末調整さえ出していれば税制上問題はない。大きく損をすることもほとんどない。

手取りが毎月どの程度あるということさえ知っていれば人生設計は可能だし、元々どのくらいの年収でどのくらい控除があるのかという子を知る必要性はほとんどないと言える。

そう思っていた。
しかしそれはよく知らなかったからに他ならない。
何せ数年前までは医療費控除どころかふるさと納税すらやっていなかったのだから

消費税には敏感なのに社会保険料や所得税住民税には無頓着だった

消費税が上がる時、それは目に見えて明確に家計にダメージが来る。
買い物の時の値段が上がるのだから実感しやすい。
しかし社会保険料や所得税、住民税については正直気にしたことがなかった。
給与明細も手取りの欄くらいしか見たことがなかったのだ。

税金に対して無頓着な人は、お金に対して無頓着

正直お金に対する意識が低かったのだと思う。
税金に対する意識が低く、お金に対して無頓着だった。
その結果、細かいけれども合わせれば大きくなる支出(無駄遣い)がちっとも減らず、お金が全く貯まらない状態になってしまっていた。

お金に対して無頓着なのは、仕事への意識にも関わる。

正直お金に対して無頓着な状態の時は、仕事もうまくいっていなかった。
うまくいっていないというか仕事への意識、責任感が持てていない状態だった。
自分が元々はいくら頂いているかを把握できず、さらにそれがどのように消えていっているかも把握しきれていない状態だったので、対価が曖昧となっており、仕事の意識もフワッとした状態になっていたのだ。

学校では教えられなかったが、お金に関する知識は探そうと思えばいくらでも落ちている

よく、日本ではお金に関することは学校では教えてくれないという。
投資の勉強を叩き込まれるアメリカの教育と比べて、日本では家庭内や友人間でもお金の話はタブー視されてきたというのはあながち間違っていないと思う。
しかし、今はどうだろうか
少し探せばお金に関する情報はSNSやYoutubeにいくらでも転がっている。学校の先生なんかよりもずっとわかりやすく解説しているコンテンツが山のようにあることに気づいた
そして気付いた、お金のことは"知らない"というだけで損していたということに

無知というだけで多くのものを失ってきた

少し学んでみると、知っているのと知らないというだけで大きく損失を重ねてきていたことを知った。

意識が変わると見えてくるものも変わる

給与明細を事細かにみるようになり、例のこっそり給与が減らされた問題にも気づくことが出来た。
これこそ意識の差が大きな損失を生んでいたわけだ
このあたりの話はこちらの記事に

お金の価値に意識がいくようになる⇒自分の労働の価値の意識も変わった

お金の価値や意識が少しあがってきたことで、労働に対する意識も変わってきた。
これが自分の場合、
「これだけ頂いているのだからもっと頑張らなきゃ」
とはならず
「これだけ長時間働いて貢献もしていてこれだけか・・・」
と思ってしまった。
実際会社の状態を考えると給与がこれ以上上がらないのも理解していた。会社として利益が十分に上がっていない以上は給与には反映されない。
そして転職に踏み切ったのだ。

お金の意識が人生を変えた

とまぁ大げさに書くとそうなるが、まぁこんな感じである。
お金への意識の低さはそのまま自分の人生への意識の低さにつながっていたのかもしれない。
お金への意識が変わって、今のままじゃ自分の人生だめだと思い、転職に踏み切れた
そういう意味では、人生を変えたといってもまぁ大げさすぎることはないかもしれない。

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