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わたしゃ音楽家、お山の指揮者。

 不安はぶよんぶよんと歩く足取り鈍らせる。期待はぼわんぼわんと踏み込む一歩ずつを弾ませる。僕らが履いているのは気持ちの上げ下げを歩く心の靴だ。ときにシャボンみたいに光の虹を纏っては煌めき放ち、屋根まで飛んではじけて消えたりなんかして。
 一度消えてしまっても、へこたれるわけにはいかない。また吹いては空に放ち、鼻歌の音階を上げていくんだよ。ときに下がったりもするけれど。

 まるで僕たちは音符製造機そのものじゃないか。
 そうは思わないかい?


 闇に一閃、甲高い高いシの音を奏で、それが尾を引くこともある。馬の群れが踏み鳴らす地響きみたいに重低音のドが連らなることもある。舞うメロディに乗ることもあれば、一気に音階を転げ落ちることもある。

 いたたたと転んでしまっても、7回転べば8回起きろと教えられ、1オクターブ8音目でドはドに戻るのだと学び取り、人生に音符をしっかり刻み込みながら、音階を上へ下へとおおわらわで行ったり来たりするんだよ。

 僕たちひとりひとりは、いろんな音色の楽器奏者を抱えた交響楽団。心の内で金管楽器に叫ばせたり、木管楽器で宥めに入ったり。怒りで打楽器、雅な弦楽器。楽器の特色使い分け、気持ちを音色に託して記録して、一大矜持詩へ向けて指揮棒ふるう。

 永久不滅の未完の大作に、今日も新たな音符をまたひとつ。

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