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流星360。

 高度成長期の騒音と空気汚染が日本の元気の源に思えることがある。出過ぎた音も行き過ぎた空気も規制され、たしかにきれいになったし静かにもなった。だけれども、すべての臭いものに蓋をされた感のある現代は、元気までにも蓋をされ、まるで閉じ込められた檻の中でくすぶっているようだ。
 昭和には、耐え難い苦痛がいくつも存在した。終わってしまったものへの美化を差し引いても許せない汚点が。
 大量消費の経済循環に、企業はメチル水銀化合物を河川・海域に垂れ流し、巡り巡って消費者たる人類を貶めたことがあるし、落ちたと同時に跳ね返りの危機にケツを上げなければならなかったぽっとんトイレは今となっては言語道断の不潔の極みだし、人も歩けば犬の糞に当たることなど日常茶飯事。ローカルバスに乗り遅れれば、巻き上げられた土煙に霧中のち煤だらけ顔にひんむいた目ん玉だけが白く浮かび上がるありさまだったし、不安をあおるために作られた暗さを放つ電柱電灯の下を歩けば、決まって悪いい気配がひたひたと後ろを着いてきた。
 地下鉄はイヤホンの音漏れをものともしない爆音で地下トンネルを駆け抜けていたし、車内で新聞・雑誌を広げても車内灯は電源が切り替わるごとに落ち、車内真っ暗、読書の邪魔をされどおしだったじゃないか。今ではにわかに信じられない至らなさが、そこかしこに蔓延っていた。

 それでもお膳立ての途中にあったあの頃は、誰もが押さえつけられない頭をフルに稼働させ、好き勝手に『おもろいこと』に向かっていた。
 箱根の山を走れば欧州車に敵う国産車は皆無で、チョコレートは砂のようにざらついていた。スパゲティはうどんの亜流だったし、コーヒー牛乳は発展途上で参加型、粉末を瓶に投入すればもれなく牛乳がこぼれ出た。そう、当時のコーヒー牛乳は、まずは牛乳をひと口飲まなければ完成しない不完全な商品だった。
 近代化が進み、なんでもかんでも便利になった現代に入手する、あえて選択する『不便』とは違う。《ピュアに不便》で世の中が構築されていた。
「ギブミィー チョコレート」のノリで、スマホの出現など予想だにしなかった人々は「ギブミィー より良い暮らし」に届かない手を伸ばすのも自然の成り行きだった。地上の星が無尽蔵に生まれる土台が踏み固められていたのだ。

 今に生きる人々は、電話ひとつ取り上げたってスマートを手に入れている。公衆電話に走る必要もなくなったし、夜中に腹が減っても「開いててよかった」のコンビニがある。現金の持ち合わせがなくても「ペイペイで」で済むし、観逃したくなくてもVHSは要らない。テープばかりでなく、デッキも必要としない。TVerもあればアマプラもある。

 でも、もうできなくなった。『おもろいこと』をやろうと思っても、誰も許可しちゃくれない。規制が自由の手足をきっちり縛りあげてしまったから。
 物理的なルールのことだけを言っているのではないよ。同調圧力が、社会的体裁を考えろと圧をかけてくるものだから。

 いいのかね、こんなので。どこかで詰まった息を抜いてやらないと、そのうち破裂しちまうよ。すでにその兆候があって、抑圧による不満が高まって、膨張しきっているのじゃない? 
 犯罪は今に始まったことではないけれど、事件は一部の悪いやつが引き起こす暴発ではなくなっている。その可能性をはらむ黒い腹が、あまりにも広範囲に蔓延ってしまった。今や誰もが犯罪者予備軍になっちまったということさ。交通ルール、自分の正義を貫けば煽り運転の犯罪者、世話のつもりがセクハラで、路上で一服条例違反、しまいにゃ認めてもらいたい欲求の転嫁で、牛丼屋でジカバシ紅生姜に突っ込む輩がSNSで拡散し、逮捕者が出る始末。

 世の中、ますます世知辛くなっている。

 昔は良かった……。少なくとも今よりマシなところが多々あった。

 君も着いてくるかい? これから犬の糞を踏みにくところさ。
 迎えもきてる。ほらあそこ。見えないのかい? 同乗できるよ、席は空いてる、狭いけど。
 流星ワゴンのご先祖、流星スバル360さ。知らない? 地上の星でも紹介されたあの名車さ。
 車掌コスチュームの運転手が、ほら、窓から身を乗り出して手を振っているだろう? あの車だよ。



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