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未だ消えない敗戦国ノルマ。

「敗戦国加算があるから、日本ではまだ使えないよ」

 PD、パブリックドメインこと著作権が効力を失い、経費計上なしに著作権フリーで自由に使えるようになるには、「その楽曲は時期尚早だった」というわけだ。

 外国の楽曲を使用料を払って利用するには、弱小プロダクションには荷が重すぎる。強力な著作権管理部をもつ放送局なら金に物を言わせ一括使用料どっかと振り込み、使いたい放題もできるのだけれど、一弱小企業じゃそんな豪胆は叶わない。権利所有者を調べ、使用用途と使用量を書類にまとめ送信し、相手からの許諾を待たなければならない。
 国内に著作権代行を行うエージェントが存在すれば日本語での交渉は可能になるが、中間に業務が生じるぶん、デメリットも生じる。
 それでなくてもロイヤリティは国内の楽曲に比べれば割高だし、そのことが影響して使用を諦めたところも数多いと聞く。だからPD曲に的を絞る企画で練り上げてきたというのに。

 なまじ英語に堪能な社員が新卒で入ってきたものだから、直接外国とのやりとりとしたことが仇とでた。海外の著作権事情にウチの会社はあまりに疎かった。著作権は国内と同じ、50年で切れるとすっかり思い込んでいた。

「ダメ元で訊いてみる?」

 著作権料を入れなくたって利益が出るかぎりぎりの案件なのに、計算外の出費を経常したら、皮算用はたちまち火を吹く車となる。

「訊くだけ。後学のために」

 メール経由で尋ねてみることになった。

 返事は2日経っても3日経っても返ってはこなかった。
 1週間目、やっとレスポンスがあって、イニシャルで2万ドル、ロイヤリティも国内楽曲の倍の金額をふっかけられた。

 本当にふっかけられているのか? それともあちらの国ではこれが当たり前? それすら確信のある答えにたどりつけなかった。

 いずれにしても、持ち上がった案件からすれば法外な額である。

 使おうとしていたその曲は時代に埋もれ、堆積した土砂の下敷きになって化石と化していたのに、そこまでの金額を支払うのは無謀以外のなにものでもない。

「これって、リバイバルのチャンスにもなるじゃないか。ヤツら、おごっちゃいないか?」
 ディレクターが怒りを露わにした。だか、お願いしているのはこちらであり、支配権はあちらにある。
「この条件でなら受ける」と相手は強気で言ってのけている。こちらの都合に合わせた交渉は、持ち出した時点で決裂を招く。

 交渉の余地はなし。英文で書かれた文面には、イエスかノーかの返信以外、受け付け余地のない気迫があった。

「もしかして、使ってもらわなくてもいいと思っているんじゃね?」

 プロデューサーが口をはさむと、みなが口元を横一文字に結んだ。その場にいる誰もが考え、誰一人として口に出さなかった本音。言葉にすると、とたんにアイデアが無に帰す激震の震源地。誰もが踏みたくなかった地雷を、プロデューサーがあえて踏んでみせた。

「ダメならダメだと受け入れて、早めに切り上げてしまったほうがいい」

 あの時だった。日本の戦後がまだ終わっていなかったことを思い知らされたのは。

 著作権の敗戦国加算。通常著作権は著作権者の没後50年で解かれるが、対戦で白旗を上げた枢軸国にはペナルティが課せられ、未だ連合国の管理する著作権には延長措置が取られている。世界的には双務的処置が取られ歩み寄りの措置が見られるものの、日本だけは唯一の孤高、別格で、『ベルヌ条約 加盟国による戦時加算』で規定された60年マックスの戦時加算が脈々と受け継がれている。

 2007年、都倉俊一氏が当時のJASRAC会長として、戦時加算を管理するCISACという組織に訴えたが、こんにちまで解消されるような動きは少しも見られない。

『敗戦国条項』は、戦争に勝利した国々の人々のDNAに今でも刻まれている。それは、楽曲以外の立ち居振る舞いにも少なからず現れている。

【60年間、じっと耐えてきたであります】

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