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思い出、伝言ゲーム。

 雑多に放り込んだ『いつか整理しなければ写真BOX』から数枚を探し出さなければならなくなった。探し始めると、目的の「コレダ」に行きつかない。まるで世田谷の路地で迷ったみたいに、方向感覚が滲み、ふやけてくる。

「コレハ!」
 まるで関係のない写真に、心のピンが刺さる。こんな時代もあったねと、目的はずれた寄り道、迷い道。「コレモ!」いちど外れた軌道は坂道くだる雪だるま。数枚の目的からはずれて、無関係の小山が二つ三つと増えていく。

 写真の小山にはそれぞれ何かしら、誰かしらが絡みつき、誰かしらが絡んだ小山にはこちらから望む山肌の向こうを眺める誰かがいる、なんてことを、四つ五つと増えていく小山を見下ろし考えた。
 ぼくの思い出はぼくのもの。わたしの思い出はわたしのもの。同じ写真を胸にしまう写真に写った人たちは、画題ならぬ写真題でこそ繋がっているけれど、きっと別の角度からその写真を見すえるに違いない。

 写真は、言葉を誘う。でもその言葉は、同じ写真を見入ってもまったく同じには綴られない。それぞれで、違う。
 思い出写真は、繋がらない言葉の伝言ゲーム。
「こだまでしょうか」
 いいえ、それぞれ。

【自分だけの宝物】


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