見出し画像

『作りたい女と食べたい女』(原作)とアセクシュアル ―『ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のこと』―

 『作りたい女と食べたい女』(以下、『つくたべ』)がアセクシュアルレズビアンを扱ったことが英語圏で好評となっているようです。日本での反応を遥かに上回る勢いで話題です。

 それで、本記事のサムネイルに書影を使用している『ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のこと』を手に取ってみたのですが、おそらくですが『つくたべ』はこの界隈の思想が気に入って、アセクシュアルに手を出したように感じさせます。

 もちろん『ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のこと』は2023年に日本語版が出版されたので、時期的に『つくたべ』が参考にすることはまず不可能なのですが、ノリとしてはこの本が最も近いので、おそらくは同じような界隈から影響を受けたように思います。

 この『ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のこと』は、社会、およびマジョリティがいかに偏っているかを糾弾するのにかなり紙幅を割いており、その論調は『つくたべ』における“矢子可菜芽”(ドラマ版ではともさかりえが演じるキャラクター)に共通しているように感じます。

 ただ、『つくたべ』はその社会に物申す部分だけを粗雑に流用しており、肝心のアセクシュアルをきちんと理解した上で創作に用いているとは、とてもではありませんが言えません。

 そもそもアセクシュアルについては「性欲が無くて、恋人を作るのも興味がない人」という理解をされるのが日本では大勢ですが、『ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のこと』によると「恋愛的に好きになる人を性欲とは別次元で決め、セックスもする人」にまでアセクシュアルの定義を広げているので、一言で表現するにはかなり難しいものになってきています。

ゆざきさかおみ:著『 作りたい女と食べたい女 3』
(2022年11月15日初版発行)収録 第21話より
レズビアン映画を鑑賞し終えた直後の野本ユキの描写

 アセクシュアルの本には大抵「アセクシュアルには幅がある」というようなことが書いてありますが、『つくたべ』におけるアセクシュアルはその具体像に一切触れません。よくわからない匂わせだけをして「私だけの型抜きクッキー!」で終わりです。上記引用の「違和感」の正体が何であるか読者はまったくわからないまま、春日十々子との性的マッチングは何一つ問題なく成就するという、非常に雑な展開へと処理されます。

 いくら「アセクシュアルには幅がある」と言っても、それはあくまでもアセクシュアル解説のための文脈であり、読者が望むのは作中のキャラクターが具体的にどうなのかを把握できる描写があることです。専門用語を理解し、創作に落とし込むという作業を初めから放棄しています。

ゆざきさかおみ:著『 作りたい女と食べたい女 3』
(2022年11月15日初版発行)収録 第25話より
バレンタインデー談義

 それだけアセクシュアルの描写が不誠実にも関わらず、性的マイノリティーからの社会批判(?)はむしろ熱心に描くというバランスの悪さが『つくたべ』の問題点です。(『つくたべ』の問題点は数えると星の数になりますが。)

 欧米のLGBTQ系の談義を見ていると、どうもこの「誰かを納得させるためではなく、ありたい在り方で」が主流っぽいのですが、自分自身の在り方と、パートナーがそれを納得して上手く関係を構築できるかどうかはまた別問題であり、そこを理解できないからこそ野本ユキというキャラクターは第45話のように日頃から孤立するのだと思います。



 さて。そういうわけで『ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のこと』は『つくたべ』を理解するには良い1冊であると思いました。当事者の半生からの解説もあり、比較的わかりやすいように感じます。

 『つくたべ』の参考文献として挙げられていた『見えない性的指向アセクシュアルのすべて 誰にも性的魅力を感じない私たちについて』も大まかには近いことが書いてありますが、『ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のこと』のほうが詳しいかなと思います。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?