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毒を吐く。冷たい人と言われても

今月は大好きな街で働いている。
久しぶりに乗る通勤電車。
港に近い街に降り立つ。
朝の顔をした人たちに紛れ
動く歩道に乗りながら
気持ちを仕事モードに切り替えてゆく。
おはよう、ヨコハマみなとみらい。

心が晴れてゆく。
この街にいる、ただそれだけで。
ここで働くことを選んだことは
間違っていなかった。

ここに立つために
振り切ってきたものや
優先順位を下げたものがある。

ひとつは母のこと。
母は私が外で働くことを喜ばない。
近くにいてほしいと縛る。
昔からそうだった。
結婚して家を出て私自身が親になっても
自由にさせてくれない。
次第に形を変えての束縛となる。
母は老いて子どものように
聞き分けがなくなってゆく。

私は逃れることばかり考えてきたというのに
ときには、そうはっきり口に出してきたのに
伝わらない。
私自身も根負けして、従ってしまう。

父が亡くなってから状況は悪化した。
夫を亡くした母の悲しみの前で
私は父を亡くして泣くことも許されない。
私の気持ちを理解しろと母は言う。
自分と同じ場所で同じ景色を見てほしいと
自分と同じように感じてほしいと願っている。
それが5年以上続いている。

一緒に泣くことが優しさとは思わない。
父を思い出して泣くことはしても
それは私個人の涙で
あなたへの共感ではない。
私が普通に笑えるようになったことを
あなたは喜ばない。
「あんたはもう平気なんでしょ」と言う。
平気じゃないよ。
これ以上、軽蔑させないでほしい。

巻き込まれてはいけない。
心を乗っ取られてはならない。
そのためにも
好きな街で働くことを選んだ。

それでいい。
冷たいと思われても
それが私という人。
反発しながら後ろ髪を引かれて
傷つけて傷ついて。
けれど案外
切り替えもできてしまう。
それが自分。

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