〝永遠の課題図書〟から、この夏は何を読もうか

1年中なにかしら本は読んでいるけれど、夏休み前になると「さあ、今年は何を読もう?」という〝読書熱〟が一気に高くなる。これって、小学生時代の宿題「読書感想文」のために、なにか良い本を読まなくちゃ、というあのころの名残にちがいない。

もう学生ではないので、長い夏休みがあるわけでもないし、夏だからといって本を読む時間がたっぷりとれるわけでもない。けれど本屋さんに行けば、〝夏の課題図書〟とか、この夏限定のしおりやブックカバープレゼントとか、〝サマーフェスティバル〟的な企画やPOPが並び、ますます気持ちがあおられる。

そんなこれからの時期、「今年こそきちんと読もう(読み直そう)」と毎年強く思うのが、いわゆる日本文学の名作といわれるもの。漱石とか鴎外とか鏡花とか芥川とか太宰とか賢治とか谷崎とか三島とかetc……。
それらはなかなか読破できない、もはや「永遠の課題図書」のような作品たち。
名前を見るだけで背筋が伸び、涼しげなまなざしを向ける文豪たちの作品が並ぶ書店で、あるいは図書館で、挑むように手に取る。いや、できるだけ読みやすそうなものを手に取ってみる。

どの作家も少しは読みかじっているけれど、全作品を読破するにはまだまだ遠い道のり。漱石については学生時代にけっこう読んだはずなのに、読み通すことで精いっぱいで、味わいきれてはいなかった。大人になった今だからこそ再読したい。と言いつつ、漱石先生を中途半端に投げ出して、去年は太宰に手を染めた。けれど読み切れなかった。今年は三島が気になる。

そういえば高校のとき、私が教室で読んでいた本のタイトルを見て、「そういう本、おもしろい?」とたずねてきたクラスメイトがいた。「おもしろいよ」と答えると、「ふうん」と語尾を上げ、言葉は悪いけど、見下すようにしてその場を離れた彼女。そのとき私が読んでいたのは、当時の若手作家の小説。今も読まれている本。
一方、彼女が当時好んで読んでいたのは、チェーホフやドストエフスキーといった、海外の文豪たちの作品。

なにに触れて感性が磨かれるかは人それぞれなので、彼女には太刀打ちできない、なんて卑下するほどではなかったけれど、彼女のことをずいぶん大人に感じ、自分よりもはるか遠くて高いところを見ている人に思えた。

彼女が本からどんなことを感じ、考えていたのか聞いてみたかった。「難しそうな本だね。どんなところがおもしろいの?」と無邪気にたずねるには、高校生の私にはすでにヘンなプライドが芽生えていたし、そんなふうにラフに話せるほど、彼女と仲よくはなれなかった。

ドストエフスキーか。何年も前から気になりつつ、まだ手が出ない。高校生のときの彼女が感じたなにかに、私はまだ触れていないのかもしれない。もしかしたらもう、10代の感性は取り戻せないのかもしれない。

本は季節を問わず、次から次へと新しいものが出て、読みたいものもどんどん増えていく。つい話題になっているものを手に取り、旬などあまり関係ない古典や定番ものは後回しになる。だから「永遠の課題図書」みたいな本が、なかなか減らない。

けれど懲りずに思う。今年こそは読もう。暑さでグダグダになりつつある気持ちを引きしめ、心にハリと潤いを。クーラーのきいた部屋で、みんな寝静まったひとりの時間に、永遠の課題図書からの1冊目。三島の『金閣寺』を。

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