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親じゃない私から見た世界

近年、noteやTwitterを見ていると、世の中のママさんパパさんってすごく考えて子育てしてるんだなあ、と感じることが多い。

自分で考えられる子に。
人の気持ちに寄り添える子に。
お金の使い方がわかる子に。
決めたことをやり遂げる子に・・・
など、その内容は様々なのだけれど、混沌とした時代にひとりの人間をしっかり育てあげるという覚悟が感じられて、ただただ感服する。

やっている人からしたら、「そんなの自分の子どもなんだから、普通じゃない?」と思うのかもしれないけど。
それって、当たり前のことなのだろうか。


自分の親を考えてみる。私はそんなふうに、親から生き方の基本となることを教えられただろうか?と思い返すと、これが特にないのである。(忘れてるだけだったらどうしよう)
それが多数派か少数派かはわからないし、時代もあるのかもしれないけれど、誤解を恐れずに言うなら『まあまあテキトーに育ってきた』感がある。

別に自分の親を非難したいのではない。親がいなくてもしっかりした大人に育つ人はいくらでもいるし、最終的には自分自身の問題だしね。ただ、子どもの育ち方や将来についてもう少し興味のある親(?)であったなら、私は学生のうちからもっとしっかり物事を考えられる人間になっていたのだろうか、とふと考えてしまうのだ。

私は自由に育ってきた。よく言えば子どもの意志を尊重、悪く言えば放任。
あまりに口出しされなさすぎて、19歳で急に就職しなければならなくなった時も、就活というものを何も知らずフリーターになってしまった。アホだったのでたぶん高校生よりも社会の仕組みを知らなかったし、さすがに親の助言が欲しかった。

母はあまり物事を深く考えない。母子手帳もなくしたか捨てたようで、私は麻疹にかかったかと聞いても忘れたと言うような人だ(愛情は普通にある)。あれこれ言うより、とにかく元気に育てばいいと思っていたのか。まあ、進路云々については、母は高卒で集団就職する世代だったし父親が担うものなのかもしれない。

ところがその父はたぶん変わり者で、学歴はあるほうだと思うけれど人間にあまり興味なさそうというか、ましてや子育てに関して何か考えたりするような人ではなかった。中学くらいの時に「今何年生だっけ?」と聞かれたこともある。アルコール依存症にもなっていた。

繰り返すが、別に自分の親を非難したいのではない。

いい歳をした今の私は「自分の親はそうじゃなかった」というフェーズはとっくに越えて、「自分はこんな親にはなれない」という思いの方が強くなっている。


だから、世の親御さん達が真摯に子どものことを考えて、しっかりとした考えをもって接しているのを(ネットで)目の当たりにするたび、私にはできないなというじっとりとした劣等感と、純粋に何かきれいなものを見るような憧れが交錯する。

親になることを選ばなかった私だけれど、別に子どもが嫌いなわけではない。赤ちゃんなんて年々かわいく見えて仕方ないし、小学生よ、子どもらしくあれと心配したりもする。


そして、こんな世の中でもしっかり生きていけるようにと子育てしている人たちは当たり前なんかであるはずがなく、とても眩しくて、その思いにふれて勝手に勉強させてもらった気になって、勝手に喜んだり、悲しんだりしている。

私にできることなんてないのかもしれないけど、一生「自分ってどうしようもない大人だな」で終わらないように、子どもを取り巻く環境にできるだけ目を向けたいと思うし、それなりに危惧したりもする。(だから過去に校則ブチギレ記事などを書いている)


世の中のママさん、パパさん。子どもいなくて呑気に生きてそうなそのへんの人でも、無関心じゃないから!!
何かできることがあったら、教えてください。

って、最後はもう何が言いたいんだかさっぱりわからなくなってしまった。誰やねん、と自分にツッコミを入れたところで終わりにします。

※見出し画像のチョイスは、すごく可愛かったのと、母が言った言葉で強烈に覚えている唯一のことが「掃除は汚れる前にやる」だからです(耳が痛い)


#エッセイ #子育て