ニュースを他人事として捉えたい
私は昔から、大きなニュースなどに過剰に反応してしまうところがあります。
何日も引きずったり、泣いたり怒ったり。
一応、なんで直接自分に関係ないことでこんなにしんどくならなきゃいけないの、とは思ってます。
でも、感覚がいいかんじに鈍ってきたのか、ここ2年ほどはとても大きなニュースを見ても、スルーしていることもあり。今なんて、ずっと家にいてもニュースやワイドショーをほとんど見ません。
そんな自分もどこか自分じゃないようで、居心地が悪かったりしていました。
そんなときに見かけた、カズレーザーさんの記事。忘れられないのでここに取り上げてみます。
この記事の2ページ目が大好きなのですが、タイトルのとおり、ぜんぶ他人事だよねっていう考え方です。
「この世で起きたこと全部、どこか遠い世界の話だと思ってるんですよね。身近だって思ったことないんですよ。政治とかも、もちろん勉強はするけど、どっちに転がろうが、たぶん僕は生きていける。1つひとつのニュースに、真正面からぶち当たってないのかもしれないです」
「もちろん、『このニュースひとつで人生が変わる人がいるんだな』って想像はします。けど、すべてを自分ごととしてしゃべるのはよくないと思うんですよ。感情的な意見が先にいっちゃいますから。コメントするときは、個人としての感情をなるべく挟まないようにしてますね。他人事として見てるくらいが、ちょうどいいんじゃないですかね」
こんな冷静に、他人事として捉えられる人もいるんですね。
後半部分は、つい感情的になりがちな人(私だけでなく、多くの人)が学ぶところがあるのでは、と感じます。感情移入しやすい人にとってはなかなか難しいし、個人のTwitterとかで中立的になる必要はないと思いますけど。
私はわりとなんでも明日は我が身と思ってしまうし、いつ事故や病気になるか、みたいなことをよく考えます。毎朝夫が出かけるときも「事故に遭いませんように」と思うし、これって幻想的安心感(※)が少し足りないのです。
※日常を安心して生きていくために必要な錯覚による安心感。自分に限って死ぬことはない、などの無意識的な思い。終活の勉強中に学んだ言葉ですが、検索しても出てこないので用語とかではなさそうです。
そんな私はカズレーザーさんとはおそらく真逆の人間なので、どこか遠い世界の話とは思えません。LGBTも子育ても自分には正直“関係ない”けど、自分の生きる世界で起こっていることだから自分事、のように感じてしまう。そしてきっと、そういう人はとても多い。
3分の1でもいいからこの捉え方ができればかなり生きやすくなるだろうなと思っていて、時々読み返しています。そして「ほんとうに関係ない」と思えるニュースで、その感覚を覚えようとしています。
「ニュースなんて、見なくても生きていけるじゃないですか。どっちでもいいことに、体温奪われたくないんですよ。」
カズレーザーさん、YouTubeもやっているみたい。考えすぎて疲れちゃう人がいたら、ぜひ参考にしてみてください。