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元講師が打ち明ける「歌手やシンガーソングライターを夢見る君へ」:「見切り」について

プロらしい発想「見切り」とは

私が若い時、自分が音楽を志そうかどうか考えている時点で知っておきたかったことのひとつが「見切り」だ。

そして「見切りをつけること」は、プロとして活動するためには必須の考え方と言える。

「見切り」の考え方は、君は歌手やシンガーソングライターを目指した瞬間から、君が死ぬまで君の人生に役立つ考え方となる。

「見切り」とは、物事の限界を見越して選択肢のいくつかあきらめることである。

それは決して悪いことではなく、むしろ大半はより良い選択を君にもたらすものだ。

ごめん。「無限の可能性」なんてない

子どもには「無限の可能性」というようなことを言うことがあると思う。

それは、親や先生などの大人が君により成長してほしいから、やる気を出させるために言っていることが多いのだろう。

大人にだって、無限の可能性をアピールするケースはある。例えば、何かの商品を売る宣伝文句に、このモノを買うと無限に楽しめます、みたいなことをアピールする場合がそう。

しかしこの世に、少なくても私たちが手に入れられるものに、無限のものなどない。

全ては限界があり、終わりがある。

君の才能にも限界があり、若さも命も、背の高さや体力、何かの技術についても、伸ばせる限界は絶対にある。

技術は永遠には伸ばせない。体力が必要な技術は、体力が衰えれば伸ばせなくなるし、体力があまり必要でない技術も、命が終われば伸ばせなくなる。

無限に思えるものはそれくらい「多い」ということ

無限なように感じるくらい「多い」というのはある。それは、人の個性だったり、君にとってどんな音楽が「よい」か、ということであったりする。それを無限と考えてもいいが、人の総数が78億人だとしてもやっぱり終わりはあるのだ。


見切り=捨てる

見切りというのは、物事の限界を見越して、選択肢のいくつかを諦めること。
言い方を変えれば、「何かを選ぶということは何かを捨てるということ」

ここからは、歌手やシンガーソングライターを目指す君にとっての、いくつかのステージで想定できる「見切り」について考えていこう。

君が歌手やシンガーソングライターを目指すうえでの「見切り」

君が歌手やシンガーソングライターを本気で目指した場合、絶対に何かを捨てることになる。だから、何を捨てることになるのかをある程度でも理解して、決心してほしいのだ。

例えば、医者を目指しながら「同時に」オリンピック選手を目指すことはできない。

つまり、君が進路に「歌手」「シンガーソングライター」を目指すということは、ほかの職業になることを捨てるという意味になる。

どんな職業でも同じだけれど。

じゃあ、職業を選ぶことで捨てることって何だろうということになる。
もちろんいろいろあるが、まず最初に言うなら、ずばりお金だ。


生涯収入、考えたことある?

例えばわかりやすいところで言えば、生涯に稼げるお金。

歌手やシンガーソングライターを専業にするということは、正社員という生き方を捨てることになる。

長く生きていれば何となくいろいろな職業の月収はわかるので、そこから大体の目安を計算することができる。

君が大卒で一流企業に正社員で就職した場合、生涯で稼ぐお金は少なくても3億円くらいだ。君が大卒でも中小企業に就職したら、これが2億円になる。

高卒でも、たとえ中小企業でもしっかりとした会社に正社員で就職し、切れ目なく定年まで勤め上げれば生涯で稼ぐお金はやはり2億円くらいになる。ただし、大卒に比べて4年も働いている期間が長いので、月給で考えると大卒よりは少し下がる。

生涯アルバイトだった場合は、時給1000円、フルタイムで18歳から65歳まで週5日程度働いたとしても生涯収入が1億円を超えることはない。

人によっても差があるが、大人が一人で暮らしていくには、最低でも年250万円くらいはかかる。
生活費が年250万円というのは、狭いボロアパートに住んで、スーパーで1円でも安い食材を探し、携帯代払うので精一杯。自動車は夢。旅も滅多に行けない、くらいの生活感だ。

結婚も子育てもできなくはないが、夫婦共働きが必須で、本当にカツカツな一生になる。

これの調子で仮に18歳から78歳まで60年生きたとして、年の生活費が250万円でも1人1億5000万円かかるのだ。
バイトがいかにきついかわかるよね・・・。

これが、国家公務員は3億円後半、医者は4億円以上になる。

さらに70歳台で多くの人がフルタイムでは働けなくなるが、その生活を支える年金も、正社員は厚生年金で、歌手やシンガーソングライターは国民年金になる。もらえる年金額はざっくり2倍違う。どっちがどうなのかは調べてみてほしい。

もちろん、お金が人生の全てではない。でも仕事だって人生の全てではないのだ。

君がいくら「歌は命」、「No Music No Life」だと思っていても、音楽は君の人生の50%以上にはならない。

シビアな話だ。もちろん若い自分がその事実を知っていたって、結局音楽の仕事を目指したと思う。でも、知っておきたかったと思うのだ。

人生の職業選択システム「学歴」

さらに「学歴」という限界の例でいえば、職業の選択の幅という点に影響が出る。

仕事に就くうえで一番制限があるのが国家資格だろう。

国家資格が必要な仕事の多くが、その資格がなければ絶対に本職としては働けない。(手伝いバイトはできるけど)

大学卒でないとできない仕事、高卒以上ならできる仕事、というように、明確なルールがあってもなくても、学歴が高いほうが選べる仕事や取れる資格の種類が多くなる。

学歴や生涯収入の怖いところは、ちょうど音楽に夢中になる10代後半~20代と同時期に「上下の分かれ道」があり、下の分かれ道に行くと、上の分かれ道にはなかなか戻れなくなることだ。

18歳~遅くても22歳くらいまでに大学生にならなければ、生涯収入はほぼ2億円以下になるということ。基本的にあとは、それより下になるかの分かれ道しかない。

もちろん、数は少ないが例えば起業して普通の収入を大きく上回るようになる人もいる。でもそれには運もあるし、やっぱり結構少ないのだ。

なぜ少ないのかというと、人間の能力には大差はないのと、限界があるからだ。

人の能力に大差はない=選択による差は大きい

5日間寝ないまま、しかもエネルギー全開で働ける人はいない。

世界的なお金持ちのイーロンマスクも君も、必要な睡眠時間は2倍違うということはない。

人の能力に、誰かと誰かとで10倍の差というのはない。
でも稼ぐお金には100万倍というのが当たり前にある。
君はこの事実をどう思う?

このように大差ない人間たちがひしめき合い、それぞれ一生懸命頑張っているのが社会。その中で、なぜかお金だけは何万倍以上に差が開くことがある。

車で言えば、時速200キロ出る車は存在せず、時速80キロがせいぜいの車しかない世界で、渋滞しながら、時速60キロとか55キロとかで多くの車が入っている。そこで高速に乗るのか、砂利道を行くのか、道じゃない荒れ地を走るのかという選択ポイントが人生に5回くらいあるって感じ。

そんな社会で、受験や就職という、その人間の社会の選択システムをスルーしたことを、なかったことにするくらい巻き返していくというのはそれくらい大変なことなのだ。
あ、これは幸せではなくお金だけの話ね。

医者や公務員、一流企業の会社員をしている親は、今まで話したようなシビアな生涯収入の話を、自然と子どもに話しているのだ。
親が話さなくても、高収入の親の子が集まる学校なら、そんな話が出るのだ。

でも、庶民の親はそういう人たちの生活を知らない。
医者の子どもが、子どもの頃から一人で移動するのに全部タクシーを使っているなんて想像もしていない。

自分と医者の具体的な生涯収入の差などあまり気にしていない、というか生きていくのに大変で気にする余裕もない。だから、子どものうちから夢のない話をしたってなあという感じになったりして、あまりそういう話はしないのではないかと思う。

私の親もそうだった。やりたいようにやればいい、という感じだった。というか、私も独立独歩な性格だったこともあり、進路について教育されたり相談したりしたことはほぼない。

家庭でも学校でも、世間ではお金について教育することが少ないのだ。
なんでそんなに避けてるんだろう。

でも君には、歌手やシンガーソングライターになることを真剣に検討するために、お金についてもいろいろな知識を知ってから決心してほしいのだ。


全部捨てなくていい。「何を」「いつまで」捨てるのかも選べる

別の例を挙げると、今までの生徒さんや知り合いの中にも、親に歌手を目指すことを相談した結果、許す条件が看護師の資格を取ること、というパターンが2~3人いた。

その人たちは、看護師の資格を取ってから歌手を目指し、そのうち1人はプロ歌手になってデビューした。その人は大変綺麗な女性で、歌も上手かったが、残念ながら売れず、シングル1作で終わった。

でもこれは、人生経験、そして社会のいろいろな人の顛末を知っているご両親が提案したよい選択肢だと思う。

君はこれを、限界を見切って、ダメだった場合のスタートポイントを作っておく提案だったということに気づけているだろうか。

あらためて君に伝えよう。

進路として歌手やシンガーソングライターを目指すことを決める際には、「何を」「いつまで」捨てるのかを見切ってほしいのだ。

見切ったからと言って、「全部」捨てなくてもいいのだ。

例えば、「高校生から大学生3回生まではオーディションに出そう。それでどこにひっかからないのなら、一般的な仕事に就こう」とか、そういうスケジュール込みの進路の考え方も上手な考え方なのだ。

「業界と関連の深いメジャーな広告代理店に入ってプロを目指そう」でもいい。

「歌のほかに洋服も好きだから、洋服店をやって、地元のライブハウスやクラブで歌う歌手になろう」でもいいのだ。

「英語を頑張って話せるようになり、一般的な仕事で海外で働き、平行して世界的な歌手を目指そう」でもいいね。

特に今は、ネットでいくらでも自分の音楽を国内外に発信できる。
まずは一般的な仕事に就いてから、君がネットで発表した音楽がバズって本当にメジャーな音楽の会社からお声がかかれば、そこで初めて音楽業界に入ったっていいのだ。

このように「見切り」をつけて視野を広げ、選択肢を多く持ってから、さらによりよいと思える選択をする「賢さ」を持ってほしい。そしてその賢さは、実際に音楽活動をするうえでも必要になってくる。


そしてこの記事で伝えた内容を理解し、自分でも調べ、すべてに納得してそれでも音楽一本で行くというなら、それもいいだろう。一度しかない君の人生、思う通りに進めばいい。


音楽活動をするうえでの「見切り」とは

音楽活動をするうえでも、様々な場面で「見切り」が必要になってくる。

まずは自分の才能や能力についての見切りについて。

歌手やシンガーソングライターをやっていくうえで、君の得意は何だろうか。また苦手は何だろうか。

楽譜は読める?ピアノかギターは弾ける?高音が得意?低音が得意?痩せてる?太ってる?美形?マッチョ?

プロになっているということは、仕事がもらえているわけで、お金を払って仕事を頼んでいる人がいることになる。

お金を払う側の人も意外に普通の人なので、君もお金を払うつもりになって考えてみれば想像がつくのだが、何か得意を持っている人に頼むのではないだろうか。

ラーメンで例えようか。君が塩ラーメンが食べたい時に、わざわざ豚骨ラーメンが得意な店にお金を払うことはないだろう。

つまり、プロになるということは、ほかの人にはない、君ならではの得意というか特長があり、それに対して仕事の依頼が来るのだ。

もちろん、簡単な仕事すらこなせないレベルの苦手は克服する必要がある。でも、プロになれるかどうかの決めてはやっぱり「得意」なのだ。

はっきり言えば、全方向に平均的な技量があって、そこそこ歌えるという人は、歌手やシンガーソングライターのようなフロントマンとしてのプロにはなりにくい。もし君がそう思うなら、何かを捨て、何かを伸ばして君だけの強みを作ってほしい。

君が、歌手やシンガーソングライターを目指していく中では、自分自身を冷静によく見て、「得意だから伸ばす部分」「苦手だから思い切って捨てる部分」「苦手だけど必要だから克服する部分」「得意だけどほかを優先するために捨てる部分」などの見切りをつけていくことが必要となるのだ。

自分の強みや魅力を見つけて伸ばし、そして苦手を捨てるという「見切り」をできていないと、ただ漠然とやっているだけではチャンスをつかみにくいのだ。

さらに1日24時間、体力にも限りがあるという「見切り」もあるため、君の努力を、どの方向に、練習や制作、ライブなど、その分量を振り分けていくかということを考えたほうがいい。

若い期間には限りがあると心底見切れる人は、一見携帯のゲームやSNSをするくらいしかないような短い時間でも、オーディションの告知を探したり、何かの勉強をしているのかもしれない。


はっきり言ってしまえば、ポップス系の歌手の場合、楽譜が読めなくてもスターになっている例はある。誰かは敢えて言わないけど。そういう人は、自分にできないことを受け入れ、他人の力を上手に借りているのだ。

自分で何でもやるという完璧主義を見切り、自分が得意なことだけをやる、と覚悟したうえで、自分にできないことは人に頼むようにして、一人だけでやるよりはるかに良い結果を出している。

誰にでも、できないことなんてたくさんある。だったら得意なことを思いっきりやればいいのだ。


歌も作曲も、もちろん1曲をじっくりやるのもいいが、多少難があってもある程度で見切りをつけて、とにかく完成まで持っていき、何曲も何曲も数多く仕上げていくほうが半年や1年という単位では絶対にスキルがあがるのだ。


プロにとって最大の見切り「締め切り=納期」

最後に納期についての見切りを考えてみよう。
これは本当に仕事ならではの話になる。

仕事には絶対に締め切り(納期)がある。
だからプロの仕事では、納期に間に合わせることを絶対として、そこから逆算してどの作業にどれくらい時間や労力をかけるのかを最初に考える。

私がサウンドクリエイターだった頃の話をすれば、まずは音楽のパート(楽器)数が納期によって変わってくる。あとは曲の長さ。これの見当を間違えると、締め切りまでに完成までは持っていけない。

音楽は「後回し」。だから納期がキツくなりがち

様々な案件で共通なのは、映像作品でもCMでも、音楽が入る工程はどの媒体でも最後のほうになるということ。

だから音楽制作の仕事というのは十分な納期をもらえることはほぼない。

「これだけの時間で、自分の実力で、求められるクオリティはこれくらいだから、じゃあ長さはこれくらいで、パート数はこれくらい。それなら納期に間に合う」という見切り、しかも正確な検討を付けられなければ納期を飛ばしてしまう。

納期を飛ばしたら仕事が来なくなる可能性が上がる。私は納期を飛ばしたことはないけど。そんなこと怖くてできなかったのだ。プロでやっていると、どこかでそういう雰囲気を感じるので、自然とそうなる。きつかったけど。


ぐにゃぐにゃサンドイッチ事件

私が納期に対する見切りを学んだのは、喫茶店のバイトの時だった。

ある日、喫茶店に大量のサンドイッチのオードブル(大皿)の予約注文が入った。たしか80cmくらいの楕円のお皿で50皿くらいだったと思う。

当時、私は喫茶店でキッチンをやっていて、料理はもともと好きだったので、注文された料理を丁寧に作っていた。好評だった。まかないで先輩のウエイトレスのお姉さま方に、手作りドレッシングのサラダを作ったりしたこともあった。サンドイッチも得意で、きれいな三角形に切って、美しくお皿に盛ってお客さんに提供していた。

大量のサンドイッチの予約の日、店の勝手口には大きな1本丸ごとの食パン4本が入った箱が、何段も背の高さほど積まれていた。

私は朝一からそれでサンドイッチをぶっ通しで作っていたが、午後になっても半分も完成していなかった。そこに、血相を変えてバイトリーダーが飛んできて、「もうどいて!あとはやるから!」と言って私と交代し、調理台に天井近くまで積みあがっているサンドイッチを切り始めた。

その切り方がひどかった。確かに私の倍以上速かったが、きれいに切ろうなどとは最初から思っていない。そのバイトリーダーはいい人で趣味でエレキギターをやっていて普段から仲良しだったが、仕事は普段からあんまり丁寧ではなかった。

その時は5本の指を垂直にサンドイッチのパン生地に突き立て、パン切包丁を力いっぱいグリグリ押し当てて切っていた。少しでも早く切り分けるため、腕の動き1回で、なで斬りにするという切り方だった。その結果、サンドイッチの側面は指の跡がはっきりわかるほどボコボコになり、ふわふわだったパンはぺったんこに潰れ、ぐにゃぐにゃの三角形になっていた。

あーあ、やっちゃったよこの人、どんなクレームが来るんだろうと思いながら私はバイトリーダーを見ていた。何とかサンドイッチは予定時間内に全部完成し、ぐにゃぐにゃの大量のサンドイッチが注文先に届けられていった。

クレームは来なかった。

バイトリーダーは特に何も気にしていない感じだった。もちろん私にも何も注意などしなかった。

でも私は後で気づいた。もしこれが、自分がやって予約した時間に届いてなかったら、確実にクレームだったろうな。全てが完璧ではなくても、納期に間に合わせるというのも大切な考え方なんだな、と。

何だこの長い昔話は。

でもその時は、それが自分がプロとして音楽をやっていくことに深く関係する大事な考え方になるっていうのには結びつかなかったんだよなあ。結びつけて考えられるようになったのは、仕事になった後だった。

余談になるが、納期という点からもう一つ言えば、「速くやれるか」が、プロになれるかどうかの分かれ目になる。

歌が上手ですぐにOKが出る人は、スタジオ収録が早く終わる。スタッフも早く帰れて、スタジオ使用料などの予算も減る。そういう歌い手は本当にスタッフたちの評判になり、仕事も来るようになるし、裏方から愛される。


完璧にこだわると見切れない

「見切り」とは物事の限界を見越して選択肢のいくつかあきらめることである。

「一人で何でもやる」とか、「すべてにおいて最上を実現する」というのとは逆の考え方ともいえる。現実的によりよい結果を求めるということなのだ。

時にそれは、他人から見てかっこよくはないのかもしれない。
でもそれが今の自分の現実だし、最終的には他人の目よりも、何をよしとするかは自分次第なのだ。


限界があるからこそ、楽しく、美しい。

限界があるからこそ、集中できる。

限界があるからこそ、アイディアが生まれ、自分の予想よりよい結果になることがある。

何にでも限界があることを承知して、そこから逃避するんじゃなくて、その中で、それでも何か面白いことをやってやろうとするから楽しいし美しい。

へなちょこでも、やれることがまだあることが幸せなことなのよ。
やりたくてもやれない人が世界にはたくさんいるんだ。

直感で人生を決めてもいい。
自分の音楽の良しあしを判断するのも最後は直感だ。
でも直感は見切りの中で研ぎ澄まされ、際立つ。
「未熟な直感」というのもあるのだ。


「可能性がある」ってあんまりよくない

「無限の可能性」とか「可能性がある」って実はあんまりよくない。
何の可能性も試してないって意味にもなるんだぞ。

無限の可能性って、1年後にまた見ても無限の可能性のまま、ただ広がっているんだぞ。何も試してないから、なんも変化ないじゃん。
よくよく考えてみたら、つまんないことだよな。

他の可能性を捨てて、何かの可能性に賭ければ、1年後には絶対何かしら変わってるんだよ。そのほうのが楽しくないかい?

いくつもある可能性のカードの大半を捨てて、1個の可能性を試す。
それは、君が進む道の第一歩から最後まで続いていく。

例えば君が、歌手やシンガーソングライターの入口にいるなら、このドアを開けるかわりに、他のドアはその時は開けられないってことだし、その後も、そして運よくプロになれたとしても、そういう「見切り」は続いていく。

まあ、お互い、見切りの中で楽しめたらいいよね。

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