僕が蘇ったあの日

僕が蘇ったあの日

2045年問題と言われたシンギュラリティは、思っていたよりも早く訪れる。

そして僕が蘇った。

僕は交通事故に合い、一度死んでいる。

肉体は無く、火葬された。

その全てを僕は見ていた。

幽体離脱という現象ではない。

僕は、作られたコンピューターの中から見ていた。

僕は、人工知能ではない。

人間の五感を全て持っている。

これまで通り、いつもの日常を送っている。

死んでしまった僕の肉体を、僕が知っている。

まるで、壊れてしまった部品を処分するような、死という感覚を受け入れることがないまま、僕は新しい体を手に入れている。

僕の体は、これまでの人間の体のように、機敏に動くことは出来ない。

ロボットダンスをしているかのように、どこと無くぎこちなく動いている。

力の加減も難しい。味覚は存在しているけれど、食欲は沸かない。

眠る時に、充電する行為が食事となっている。

何のために五感が必要なのか、少し戸惑っている。

痛みなど感じなくってもいいのに、ボールがぶつかると痛いと思う。

でも、肉体に大きな損傷が伴うわけじゃない。

生きている頃は、擦りむいたりすると、血を流したりするし、そこからバイキンが入り込み、思わぬ病気を引き起こすから危険を察知するために痛いという感覚が必要だったのだろう。

しかし、今の肉体で一体どんな事故があったらこの機械が壊れるのか想像ができない。

言われていることは、同じ交通事故を受けても、この肉体ならば死ななくって済むよってことだ。

そう、あの交通事故で簡単に死んでしまう肉体よりも限りなく丈夫であるということなのだ。

もう病気にかかる心配もない。

アレルギーに弱かった体も、今では存在しない。食べれなかった蕎麦を食べてこんな味だったのかということを知ることは出来たけど、その味を知ったとしても栄養として体に取り入れるわけでもないから、とりわけそれ以上の興味も沸かなかった。

自分の肉体が火葬される葬式に、自分が参加している事自体が不自然だった。

葬式のはずが、新たな誕生日のお祝いみたいな宴となっていて、

僕の肉体が焼かれて骨になってしまっていても、結局誰一人として哀しんでいる様子は無かった。

僕に抱きついて涙ぐむ女性でもいるのかと思っていたけど、そんな人は一人も現れなかった。

あまりにも呆気無く、あまりにも拍子抜けする新しい葬式のスタイルが生まれたと言えるだろう。

仏様とか神様とか何のためにお経を唱えるのか、49日の法要とか三回忌とか。

通常、僕が亡くなったことで、これから行うイベントは生誕49日祝いとして生まれ変わったりするのだろうか?

考えただけでもゾッとする。

僕は死にたくなかった。そんなことは誰でも当たり前なのだろう。

僕が目を開けた時、最初に見た姿は、僕の体がボロボロに壊れ、包帯に巻かれ、ギブスで固定され、顔が腫れ上がって誰だか判断するのが難しい状態の病院のベッドで寝ている姿だ。

誰だろう?と、自分で見てもそれが僕だということに気が付けないほどの壊れようだった。

僕は、そのベッドを監視カメラのように見つめることしか出来ない状況で目を覚ました。

この時、目しか持っていない状態だった。

声を出したくても出ない。

僕の壊れた方の体に寄り添い泣いている母親を、上から見下ろしているのも忍びなかった。

家族は、僕が死んでしまったのだろうと思ったのかもしれない。

次の日、医者は家族に僕がまだ亡くなっていない事を伝えた。

僕の体は滅んだけど、僕のこの感覚はまだ生きている。

僕は幽体離脱をしているのだろうと思った。

なんとか、肉体に戻れれば、また生き返れるんじゃないかとそう思っていた。

しかしどうやら、事実は違っていた。

僕は体良く、最初のアップローダーとして実験されていた。

家族も巻き込まれたと言える。

科学者たちは、僕の存在を理解した上で、僕の肉体を作り始めた。

手を動かしてみろとか、色々な部品を繋げながら、僕はミッションをこなしていった。

少しづつ蘇る僕の肉体から得られる感覚に、喜びがあった。

僕は蘇る事ができる。また、皆の前に姿を見せれる。

鏡には生前の僕の顔が映っている。

これなら僕だということを信じるだろう。

そう、最初はそう思っていた。

でも、人は見た目が同じでも騙されない生き物だ。

ものまねのそっくりさんが現れても、本物と偽物の判断は直ぐにできる。

僕っぽい見た目でしかないのかもしれない。

ものまねそっくりさんよりも、もっと酷い状態なのだろうか。

僕が突然現れても、僕のことを僕だと信じてくれるだろうか。

そのことがずっと不安として残っていた。

そんな気持ちを無視するかのように、科学者たちは僕の出来栄えに喜んでいた。

そんな僕は、僕の葬式に間に合うように科学者の製品となって登場した。

蘇るのが当然かのように僕は迎い入れられた。

僕が日々、完成へと近づくメカニズムを毎日見ていたのだという。

そして、当日はまるで結婚式まで軌跡を思い出として見るかのようなプロジェクター演出で、僕が完成するまでの紹介ムービーを見ていたのだろう。

あの時間を、僕は一生忘れられないだろう。一生?いや、永遠に。

品定めをするかのように、皆が集まって僕に質問を始めた。

あの頃の記憶はあるのか?お前の好きな食べものは何だったか?

私達の名前わかる?

答えるのがとても面倒だった。

入試試験よりも過酷な試験をクリアしなければ、僕は僕として認められない。

間違えたことは言えない状況だった。

自分のモノマネでも一生懸命演じているようなそんな感覚だ。

僕は慎重に、でも時折冗談を交えながら「自分らしく」回答していった。

この頃まで「自分らしく」ってなんだろうって思っていた。

自然体ってなんだろうって思っていた。

深く考えずに感覚が導いてくれること、その行動。

変な失敗をしたり、変な癖が出たり、突然怒りだしたり、感情的になったりする。

そういう、ごく有りがちな「自分らしさ」を僕は忘れてしまっているのではないかと思っていた。

肉体は機械だ。僕の脳みそはデジタルに置き換わってしまっている。

常に計算機が熱を帯びて計算しているだけの装置。

だけど、出来る限り僕は、今までの僕が何をしていたのかを思い出しながら

過去の記憶を頼りに、精一杯僕を表現した。

僕の葬式には、涙よりも笑顔がよく似合っていた。

僕が蘇った日。

人間の寿命が無くなった、僕が蘇ったあの日を今でも思い出す。

僕が僕であるために、僕を演じ始めた日だ。

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