語彙が豊富な方が人生が楽しくなると思う理由を語らせてほしい
こんにちは、お月見もちもちです。
Twitterを見ていると、ときどき「尊い」創作作品がタイムラインに流れてきます。そして、そういった作品には、「語彙力が消し飛んだ」「語彙力なくした」というリプが賞賛の意味を込めて付けられています。
私もそういう「尊い」作品に触れると、頻繁に語彙力がなくなって呻くしかできなくなるのですが、それはそれとして、普段の生活では語彙力があった方が人生楽しめるよなぁと思います。
今回はそう思う理由について語らせてください。
理由① 色々考えることができるようになる
私が「語彙力が豊かな方が人生楽しめる」と思う理由の第一位がこれです。
語彙力とは、単語を知っていて、それを使いこなす能力のことですから、語彙力が豊かということは、沢山の単語を知っていて、その単語の意味が分かっているということになるはずです。
単語の意味が分かっているということが重要で、私たちは意味の分かっている単語を媒介にして、抽象的な物事でも具体的に考えることができるようになります。
例えば、「りんご」という文字を見ると、頭の中にぽん、とりんごのイメージが湧いてくると思います。「りんご」という言葉を知っていて、そしてその言葉が何を指し示すのか知っているから、「りんご」という言葉と具体的なイメージが結びついてくるのです。
もう少し抽象的な例で言うと、例えば「美しさ」という目に見えない概念を指し示す言葉を聞かされても、「美しさ」の意味が分かっていれば、具体的に「美しさ」について考えることができるようになるわけです。
言葉を知っていると、抽象的な概念を扱っていても色々なことを考えることができるようになるのです。
理由② 新しいことを知ることができる
理由①の要領で色々なことを考えられるようになると、それとセットで新しいことを知ることができるようになります。
例えば「美しさ」という抽象的な概念について考えられるようになると、今度は「美しさ」には色々あることに気が付くようになります。
人の「美しさ」、自然の景色の「美しさ」、文章の「美しさ」………色々なものが見えてきます。
「美しさ」ではちょっと身近すぎるかもしれません。
例えば、「すみれ色」という言葉を初めて知ったとします。
その言葉を知るまでは、すみれの色を見ても、他の青紫色の花とすみれとの違いが分からなくて、全部一緒くたに「青紫」で済ませていたかもしれません。
でも、「すみれ色」という言葉を知ると、他の青紫の花々の中から、すみれがぽん、と浮いて見えてきます。
言葉を知ると、世界の解像度が上がるのです。
言葉って面白いと私は思う
さて、これまで2つ理由を挙げてきました。
本当は2つに収まらないくらい、言葉を知る利点というのがあると私は思っているのですが、もう少しまとまってからまた改めて文章にしていきたいと思います。
残念ながら、語彙の豊富さの素晴らしさを語っている私も、そんなに語彙が豊富なわけではありません…。知れば知るほど世界が広がっていくのは、何も言葉の世界だけではないでしょう。
というわけで、かなり尻切れトンボですが、今日はここまでで、筆を置きます。
それでは、また。
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