おつなぎ@エッセイ

30代会社員。夫婦二人暮らし。 人・本・旅に触れて感じたことをエッセイで書いています。…

おつなぎ@エッセイ

30代会社員。夫婦二人暮らし。 人・本・旅に触れて感じたことをエッセイで書いています。 あらゆる人や物事は互いに結びついているという感覚と自分を他の状況に置き換えて考えた視点で綴っています。

最近の記事

モヤモヤの正体を求めて旅してみた #1

どうも。 このnoteは私の気の向くままに読んだ本について感じたことを書いています。 モヤモヤの正体というユン・ウンデさんの本を読みました。 この本を読んで、自分を見つめた時の気持ちの棚卸しになります。 3つの章立てとなっています。 今回は1章で、「怒りの習慣」について投稿します。 お付き合いいただけると幸いです。 目次 1 怒りの習慣(今回投稿分) 2 自分を投影することで何かを慰める 3 私の中のモヤモヤ 1 怒りの習慣 自分に都合の悪いことがあると、よく怒る。

    • 不自由の中にこそ、日常のありがたさを感じた

      能登半島地震の災害支援に行って感じたことをつらつらと書いています 避難所生活を送ったわけではないが、10日以上自宅ではない場所で生活をした そんな体験から感じたことでもあります 不謹慎に感じられることありましたら、読むのをやめてくださいね いつもとは異なる場所で食事をし、トイレや歯磨き、洗濯をすることを強いられる 感覚としてはそんな感じに近いかもしれない 運動や散歩などの息抜きや、勉強などができず自分の時間というものを作り出すことができなかった 自分のリズムや、考

      • 日々のつながりを大切にしておく

        今年の1月1日に起きた能登半島地震 あれから早いもので、一ヶ月が経とうとしている 会社の支社が金沢にあり、年始より災害支援に入っていた 震源は能登半島の先っちょの方で、被害の大きいところも能登半島に位置する珠洲や輪島、能登町、穴水などであった 内灘町は液状化など激しく、当時から断水が続いている 一方で金沢市内は揺れはあったものの、大きな被害はなかった様子 関係者に対して安否の確認や物資を届けることが最大のミッションであったが 被害状況がなかなか明らかになっておらず

        • ほんの些細なことでいいから動いてみる

          あるところに優柔不断で自分のことがよくわからない男がいた その男はのどがかわいてたまらないので、自販機やコンビニを探していました さいわい、近くに自販機にたどり着く ところが、その男は自販機の前に呆然とたたずんだまま 飲み物を買おうとしません 同じくして、その自販機で飲み物を買おうとした人が 不思議に思って「どうされました」とたづねました すると、その男は答えました。 「飲みたくてたまらないんだけど、あまりに商品が多すぎてどれにしようか迷う し全部も買えない。

        モヤモヤの正体を求めて旅してみた #1

          Kokoroてんき

          飲み会の帰り道、どしゃ降りの雨 雨粒がすごい勢いで押し寄せる 一粒一粒は小さい 降って来るタイミングも違う 目には見えない法則に従い、わたしに向かって落ちてくる かさに伝わる雨粒の連続した振動が溜まっている気持ちを刺激する 「このままでいいのか」 「じぶんは何がしたいのか」 はるか高くにある雲から、降ってくる雨のように じぶんの気持ちからもたくさんの心の粒が流れ出ているようだ 一粒一粒は小さい 出てくるタイミングも違う 自分でもわからない法則のようなも

          目を閉じれば見えるけど、目を開けばいつも見えなくなる

          不安があるとおなかがキュッと縮む感覚がある わたしは不安があると目付きがするどくなる わたしは不安があると呼吸があさくなる それはきっと不安への準備たいそうかもしれない わたしは不安があると人のせいにしたくなる わたしは不安があると怒りが湧いてくることもある でも、それは不安に立ち向かうための心のストレッチかもしえない わたしは不安があると人に当たりたくなる わたしは不安があると自分のやってきたことに自信がなくなる そんなときは一呼吸おいて、大きく深呼吸して

          目を閉じれば見えるけど、目を開けばいつも見えなくなる

          1人だけど、1人じゃない

          コロ コロ コロ コロ コロ コロ コロ 最近は、あさが早く訪れる からだはまだ寝ているのに、あたまが起きはじめる いつものように布団をたたんで、うがいをしてトイレへ あさの静かな空間に少しづつ生活音がなり始める 顔を洗った後に、マウスピースも洗う 歯ぎしりがひどいから寝る時はマウスピースをつけている 風呂場の桶にお湯を張りマウスピースをつけておくのがこだわり コロ コロ コロ コロ コロ コロ 寝起きのルーティンが終わるとカーテンを開けて陽を入れる

          1人だけど、1人じゃない

          「こころ」の紙飛行機

          「ひゅ〜」と低い位置を飛んでいる なかなか上昇しない 「ん〜」と思わず眉間にシワが寄って 口元がへの字になる しないのではなく、できないことにしておこう そんなこともあるさ 「ひゅ〜」と低い位置を飛んでいる まだ上昇しなそうだなぁ 今日は何もやる気が起きない やる気がある日の方がすごいのかな やる気のない日もあっていいさ 「ひゅー」と飛んでいる ちょっと用事があって外に出ることに 車に乗って助手席で揺られながら たわいもない話し 帰りにアイスでも食べ

          「こころ」の紙飛行機

          ピープルミラー

          あさ、目が覚めると頭の中がリセットされるはずなのに、憂鬱さが残っている 頭はリセットされているかもしれないけど 心というものがリセットはされなかった 心というものが感じた違和感は誰にも話したことがない 自分だけが感じていることなのかもしれない そんな気持ちを抱きながら電車に揺られ 人ごみに紛れながらいつもの場所へ 自分の中の情熱はここで発散できるのだろうか そんなこともよぎる そして、とうとうリセットされずにここまで引きずってきた凶器と再会を果たす 目の前の人

          心のジェンガが崩れるとき

          こんなにも、思い通りにいかないことに、腹が立つのは何故だろう 今日はいつもと違って歩いて帰っている いつもより時間をかけて帰っている 昼間にゲリラ豪雨があり、その影響で日差しも和らいでいる コンクリートからの熱も少なく感じる 外は涼しいのに、歩みを進めるほど、身体の中から湧き出るマグマのような熱さはなんだろう 腹立たしさが怒りに変わり、マグマが溢れ出てくる マグマの熱風が足に伝わり、歩みがさらに加速する 交差点の信号が赤になり、一旦足を止めるもマグマは溢れ続け

          心のジェンガが崩れるとき

          おー盆

          日差しが強くなりセミが鳴きはじめる季節 夕方、ひぐらしの鳴き声が1日のおわりをつげる 今、鳴いているひぐらしはいつまで鳴くことができるのかな 熱せられたコンクリートの上に、無造作に、仰向けになったひぐらし 短い時間を懸命にいきた、その姿を見つめながら、思うことがある 「死んだらどうなるのだろう」 唐突に思うこの問いに正解はないと思う ある人は「無記」という。 考えても仕方のないことだそう。 たしかにその通りだと思う。 死んだ後のことをかんがえるより、懸命に

          マザーぷろぐらむ

          不思議だ。 この世界を見るときにどこか他人事のようになる なんでだろう。 そうだ。 この感覚はもしかしたら胎内にいる時の感覚なのかもしれない 自分のことのようで自分ではない感覚。 どこか不安だけどとてつもない安心感に包まれている 何かが出てきてはどこかにいってしまう ひとつひとつのカタマリがぶつかっては合わさっていく そして大きな流れになって何かの真ん中だと思われる場所に帰っていく 私もいつかはあそこにいくのだろうか 大きな流れの中の何かとしてあそこに帰っていくのだろ

          「チガイ」と「オナジ」

          違いってなんだろう 顔の形、声、手の大きさ、指の太さ、足の長さ、目の大きさ これも違い 優しい、怒りっぽい、明るい、暗い これも違い 身体が大きい、小さい、痩せている、太ってる 身体によって、この世界に作用のあるものにも違いがある 足の速さとか、力の強さ、声の大きさ これらが合わさって人というものがあるとしたら最初から違いがあることは当たり前 違うと思うものがあるからそこに同じを見つけようとする 心のどこかで同じであることに安心をしている 一方で同じであることに

          「チガイ」と「オナジ」

          心臓オン

          ドクン…ドクン…ドクン…ドクン… 心臓はみんな1つもっている 身体の機能として1人ずつ だけど、心臓の音はひとりひとり違うらしい 小学生のとき心はどこにあるのかと聞かれてそれは心臓だと思っていた 目の前を歩いてる人、電車の席の向かいに座っている人、トイレですれ違った人、レジで会計をしてくれて人 生まれて場所も、育った環境も、今やっていることも違う でもみんな心臓をもっている 顔も違えば、お腹が減るタイミング、好きな色、心地のいい場所も人それぞれ 心臓はそんな