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『知的さ』とは。

昨日、はじめてコメントを交わしたNoterさんに『文章の知的さに殺られてしまいまして』というお言葉をいただいた。

とても嬉しかった。

しかし『そんなの普通だし?』というような顔をして、ポケットに手をつっこみ、町内を最低でも5周は練り歩いた。

心も体も羽毛のごとく舞い上がり、電柱のてっぺんで歌っていたイソヒヨドリと目があうほどの跳躍を見せた。

状況が状況ならば、なんらかの賞を授与されてもおかしくない。そんな跳躍だった。


『自他共に認める、知的な文才』

これで、僕もそんな売り込み方ができるようになる。

そのことを考えると、人間としてひとつ上のステップに登ったような気持ちになった。

そして、その売り文句をひっさげて『乙川アカデミー』を設立する計画が浮かんだ。

全国から訪れた、知的になりたい生徒たちから受講料を徴収し、その半分くらいは僕の懐へと納める腹づもりだった。

ゆくゆくは『乙川アカデミー』を全国規模で展開し、その運用を卒業生に任せ、人件費を格安で済ませることにしようと思った。

各校の玄関には僕の両肩を切り落とした胸から上の銅像を置いて、威厳を誇示したかった。

そして僕自身は何もしなくても、次々に受講生もとい資金源たちがやってくるシステムを作り上げたかった。

『1人の資金源につき、2人の資金源を連れてくること』

知的な文を生み出すことのできる僕の脳は、やはり一瞬にしてそんな知的アイデアをはじき出した。

「知的になりたい資金源もといカモの周りには、同じようなカモがいるはずだ」僕の知的脳はそう熱弁した。


そういえば町内練り歩きの途中、満開の桜をたくさん見かけた。

舞い落ちる花びらはとても鮮やかだった。

そしてそれはまるで、今しがた僕の頭に浮かんだ新しい人生設計を、祝福してくれているような花吹雪だった。

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