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飛び降り企図メモリーズ

私は十数回飛び降り企図をしている。

ある時はダッシュして父親に抑えられそうになり暴れていると、知的好奇心に富んだおばさんに「大丈夫ですか?」と聞かれ、「パニック障害です」と父親が答えた。私は更に暴れた。パニック障害とは医者から言われてねーよ!ざけんな!とヒートアップ。私は素手でガラスを割って無傷だったのが自慢で、プッツンすると力が湧いてくるパワー系だった。iPhoneをぶん投げて壊す、皿を割る、ドアを蹴り破る(これに関しては母親も)、壁を殴り穴を開ける…等。結局その時は近くに見つけた建物にも柵が巡らせてあり、無駄な精神的ダメージを受け、与え、それだけだった


その後になり、一番多かったのが、自転車で爆走し、当時血眼になって探しようやく見つけた条件のいい建物に滑り込むパターンである。ここは心の支えだった。死んだ方がいい理由をリストアップしたメモを繰り返し見てセルフディプレッサー(?)刷り込みすることで”死にたい”が”死ななければならない”に変わる。

ただし登って満足したり、あと一歩どころか二歩くらいは踏み出せず、本気度が足りないことも多々あった。

最も本気度が高かったのは2014年11月16日(数日の誤差あるかも)。気候と、メンヘラ丸出しの恋愛感情で、私はどんどんエキセントリックになっていった。そして、朝起きてもう駄目だと悟ったある休日の朝、私は死ぬしかないと、例の建物までバスで向かった。しかし降りるべきバス停が近付くにつれ勢いは減速、本当にできるのか?いやいやできなければ生きる屍になるのみ…でも不安だ、未遂に終わったら私は…と自問自答を繰り返していた。

脚に力を入れ、バスを降りた。近くのコンビニで梅酒を調達。持って来た大量のマイナートランキライザーをペットボトルの水で流し込み、中身が無くなったら飲みやすくするため梅酒を入れる。そして原液で飲む。かなり飲む。ラリれば飛び降りる勢いを得られるはずだと考えていた私は、なかなかラリってこないことに焦りを感じ始めていた。なので酒で薬を飲み、ミンティアのように齧り(大体の薬は噛むと甘い)、よれよれっと14階まで到着。しかし私は勢いと、”飛び降りる勇気”に欠けていた。ウロウロしまくった。飛び降りそうな姿勢になってからまた戻った。階段を上り下りした。遺書を貼り付ける演出をした。コートは落下傘の役割を果たす恐れがあるので脱ぎ、そしてまた着る。

死ねない。

死にたいのに何故だ。

そして私は禁断の、”親への電話”に手を出してしまう。この時点で飛び降りることはできない、と諦め、ヤケクソになっていたのだろう。


そこからは、iPhoneを下に投げつければいいところを延々押し問答を続けた。折悪しくも、薬はその頃回ってくる。歩くのが厳しくなった私は、「タクシーでいいから帰りなさい!」の一言に揺れ、本当にタクシーで帰ってしまった。クズオブクズ。

しかも、帰りに食べたかった唐揚げと揚げ物系おにぎりを調達し、食べ、その後ひたすら寝腐ったという…。

今思い返して、悲惨だったのはやはりこれだろう。

わざわざ高島平まで見学に行ったこともあるが、あの団地群は本当に圧巻だった。それだけ。


ここは12階。やはりふとした隙に死にたくなる。ベースが希死念慮だからな私は。

レクサプロ。かざして〜

#エッセイ #自殺企図 #ハワイ


わざわざ高島平まで見学に行ったこともあるが、あの団地群は本当に圧巻だった。

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