被虐者と言われた頃の話

確かに、私達親子の関係はどこかおかしい。

こちらが辛いと言えば、どう転がったのか母親が「死ぬ!私が死ぬ!」「自殺する、さよなら!」「もうこんな子無理!無理!」\ドンガラガッシャーン/

動けなければ揉めに揉め、暴力沙汰に。母は私のバックを蹴り、私は素手でガラスを割る。”傀儡”と称された父親は、母親と結託することが多い。

ネット上で知り合った相手と心中企図しかけた際に、母、フランスへ。曰く「自殺するかもしれないから」と私は入院。「私の人生邪魔するな!」ということらしい。

別居するようになってから、強迫性障害は緩み、自傷をしなくなった。何より拒食がマイルドになった。


しかしそれからも頑なに会いたくない私と、両親の攻防は続くことになる。

大学入学後、私は頻繁に発狂した。

娘を持て余した両親は、遂に保健所に連絡する。(これ以前に、私は両親が電話口で激しい喧嘩をした際警察を呼んでいる。正直親に対する見せしめもあった)

そこで電話を受けた保健師が心理的虐待を疑い、その線に詳しい医師と繋がりのある保健師が私の担当になり、割合すぐにクリニックで診察を受けることになった。

インテークで、医師は「私が心理的虐待を受けた被虐者である」と結論付けた。加えて、「母親は知的障害のグレーゾーン」
私よりも華やかで、リア充な母親が知的障害?私は尋ねてみた。答えとしては、「他者との共感という比較的高度な能力が上手く働いていない」

見てもいないのに?頭を過ぎったが、私は母親を敵に据えないと我慢できない状態になっていたため、暫くはこの医師を盲信し、著作も読み漁ることになる。

自分(医師)と話すことで時間が解決する、楽になると言われていたが、良くならない。むしろ一部の行動はエスカレートしている。

存在感が希薄、これはそう。
時間が止まっている、これもそう。
気分の乱高下、これはまさに。
言語性と動作性IQの著しい差、これはアスペルガーだと言われた要因の一つでもあるのだが…(殆どが母親との面接、どうせならそれらしくと言われた本人面接と書類含む)

ただし私は消えたいとは思わない。死ななければ消えることはできない。泡じゃないんだし、そんなのは虫がいいと思う。

どうやら被虐者と呼ばれる人間には、生きている実感がないため(これは当てはまる)死ぬことにピンとこないらしい。なのでよく「消えたい」という言葉を使うんだとか。

そのテンプレートに沿うため、無駄な努力をしてしまった。アスペルガーだと診断された時のように。

大学へ行けなくなってきた頃、私は保健所を再来した。ここで「母親との和解は99%ない」と言われた。さすがにそれはない。

段々不信感が募り、私はクリニックをドロップアウトした。
親のシナリオに動かされていると言われたらそれまでだが。多分そう言われるだろう。

ここのクリニックでは、「首吊りは狂言には使えない」と教わった。これは収穫。まぁ、失敗例ばかりこさえているんだが。


今日は診察だった。転勤のため新しい総合病院の神経科…(しかも汚い)。息詰まる感じ。

結局のところは自己完結しているため、診察で新たに得ることはほとんどないが、99%和解できないなんてことはないと言われたのは、一筋の光明だと思う。

私はハワイで母親との揉め事がない(地雷は踏まれた♡)ことに違和感を覚え、またこの均衡が崩れることを不安に感じている。

この医者は、トッティのような色の服をいつも着ている。雰囲気が柔らかい。ただし見た目はトッティと真逆な。


ところで、自己完結した世界に生きる、って響きだけなら超クールだと思う。


#エッセイ #消えたい #被虐者

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