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危険なことに熱中する人「反社会性人格」

男性であれ、女性であれ、強い刺激を求め、危険なことに熱中する傾向を持つ人がいます。
このタイプは、反社会性パーソナリティ(反社会性P)の傾向がある人です。
このタイプが持つ強みを生かし、弱点を克服できれば、正義や心から愛する者を守るために戦う、英雄となるかもしれません。

しかし、マイナスに働くと、一転して冷酷非情な暴力性を見せるので、どちらに転ぶかによって、犯罪者か英雄かというほど極端な人生を歩む傾向があり、良くも悪くも、周りに影響を与えていくことになります。
パーソナリティ障害についての第一人者である、精神科医の岡田尊司の著作を参考に、解説していきたいと思います。

まずは、このタイプが持つ先天的な気質と、後天的に身につける性格の違いはどこにあるのか、整理してみることにしましょう。

生まれ持つ気質

このタイプは、強い刺激を心地よく感じる性質があります。
ハラハラ・ドキドキのスリリングな状況を快感に感じるので、強い刺激を求め、命知らずの賭けに出たり、冒険に乗り出そうとします。
常識や道徳にとらわれない豪胆さを持ち、ルールや法律に縛られることを嫌がる傾向があるので、この性質をどう生かすかが、大きな分かれ道となるのです。

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やんちゃで手のかかる子

幼い頃は、やんちゃでじっとしているのが苦手な落ち着きのなさを見せることが多いようです。
そうなると、叱られることも多くなりますし、大人からすると育てにくいと感じるエピソードをいくつも持つのが特徴です。

この性質を「大変面白い子だ」と肯定的に捉えて上手に育む大人がいてくれれば、人を信頼し、深い信頼関係を築く力を育み、愛する者を守ろうとする正義感の強さを発揮する、頼もしい大人へと成長していきます。
研究者や冒険家の分野にも活躍の場は広がり、持ち前の勇敢さを、社会のために大いに発揮する、真のリーダーになっていくでしょう。

反対に、絶えず攻撃や否定的な態度にさらされたり、溺愛されて育てば、人間不信や攻撃性を強めていくことになります。
成長の過程では、七転八倒した荒々しさを示すでしょう。
幼い心に、抱えきれないほどの傷を持ち、その痛みを、盗み癖や嘘をつくことでバランスを保とうとしたり、人を傷つけてもなんとも思わない冷酷さを持つことで、これ以上傷つかないように防衛するかもしれません。
やがて「他人というものは、いつ自分を否定してくるかわからない存在だ」という根深い信念を持つようになり、その結果、打算的で、真心や同情心に欠け、冷酷非情なことも平気でやる大人へと成長することもあるのです。

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偏ると冷酷で非情さが際立つ

どのタイプにも、グラデーションがありますが、反社会性Pの場合、偏りが強くなるほど、犯罪ギリギリの、かなり危険なにおいがしてきます。
まずは、偏りが強く見られる特徴について解説します。
そもそも、恐怖を感じる扁桃体の働きが弱く、危険や痛みに対して不安や恐怖を感じにくい上に、更に過酷な環境にさらされることで、一層その傾向を強めていくといわれています。
規範意識がなく、危険な状況にワクワクする側面を持ち、他人の痛みに無関心。
窮地に立たされると、自分の欲求のために他人がどうなろうと知ったことではないという冷酷さが、露骨に表に出てきます。

そもそも他人を信用しませんし、勝ち負けに異常にこだわり、自分の力を示すためには命をかけることもいとわないので、周囲にとっては巻き込まれたら大変危険な人物になります。

専門的に見ると、口がうまく『平気で嘘をつくタイプ』と、衝動的に怒りを爆発させて暴力を振るったり、性的な支配でコントロールしようとする『暴力的タイプ』に分かれるといいます。
(岡田尊司著「パーソナリティー障害がわかる本」法研より)

偏りが修正されると・・・

ところが、激しい攻撃性と冷酷さを持つ危険な人物も、極端な偏りが修正されると、個性の範囲として許容されることが増え、反対に魅力を放つようになります。
強い相手にも一歩も引かない気概を持ち、どうやってでも生き抜いていこうとする勇敢でタフな面が、良い方向に発揮されるようになるのです。
やがて、欲得や自分の力を誇示する生き方に虚しさを感じるようになり、地味な生き方の中にある”本物のチカラ”を悟り、底知れぬ魅力を持つ大きな人物になるのです。

このタイプが求めるのは2つ。
1つは、自分と同じ傾向を持つ人。
大胆で、行動的で、優等生では理解できない心の痛みや奥深さを共有できる人との出会いに惹かれます。

2つめは、自分のことを丸ごと全て受け入れてくれる人。
外では突っ張って生きているので、人には見せられない弱みや傷を抱えており、弱い部分をさらけ出せるオアシスを求めます。
ただし、相手を見下したり、自分の優位性を示そうとすれば魅力は失われ、オアシスも手に入らず、人として最も大事なものも失っていくことになるといいます。
たった一人でも、心から信頼できる存在が手に入れば、きっと相当な力を発揮することになるでしょう。

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毅然とした態度で信じ続ける

反社会性Pの偏りの強い人と関わる場合は、徹底した受容と徹底した調教の両面を持つ存在になるか、距離を置く事に徹することではないかと思います。
そして、どちらの場合にも欠かせないのが、毅然とした態度で、動じず、それでいて信じ続けること。
立場にもよりますが、影響を与える大きさによって、求められる力も相当大きくなることを覚悟する必要があります。

信じ続ける存在

このタイプが変わり始める時は、必ず心から信頼できる人物と出会えています。
本人が、傷つき弱った姿をさらけ出せる勇気を持てれば、信頼は更に強まっていきます。
それには「いつか必ず変化する」と信じ続けること。
道のりは長く険しいですが、自分を信じてくれる存在がいると気づくことができれば、まわりを「否定的」にしか見れない原因となっていた、心の奥底にある破壊的な怒りが鎮まりを見せ、別人のような包容力を示すようになっていきます。

毅然とした態度

共感性や思いやりが乏しく、冷酷さを持つ傾向があるので、人を見下し、周りにいる人に対しても、自分の言いなりになりそうな相手か、自分の魅力に屈服させられる相手かを見極めようとしていきます。
強い者に憧れ、弱い者を軽蔑するところがありますので、オロオロした態度を見せると、扱いやすい相手だとなめてかかり、威嚇したり、諭す態度で、思い通りに操ろうとするようです。
ちょっとでも付け入る隙を与えてしまうと、そこをなんとかこじ開けようと、あの手この手を使い、要求はエスカレート。
起きてくる問題も、自分に都合よく解釈し、相手を利用しようとしてきますが、それに応じないと、一転して激しい攻撃をしてきます。
決して屈しない、強い意志と覚悟を持って、毅然とした態度を示すことが求められるのです。
そうでなければ、ただの都合のいい利用する対象となることを覚悟しなければなりません。

時間がかかることを覚悟する

本人が、自分の中に深く根をはる「過去の恨み」から脱却したいと思わなければ、何も変わらないというのが正論です。
真の脱却には、傷を癒すしかありません。
真の癒しには、信頼できる他者との心のふれあいしかないのです。
ところが、多くの場合、見た目の威勢のよさとは裏腹に、人を信頼し、委ね、自分の傷と向き合う、という勇気を持てないのです。
人の真心に触れ、傷が癒えるまでにはいくつもの条件が必要で、最も重要なのは本人の気づきなのです。
ですから、とても時間がかかり、それでも乗り越えられるとは限らないことを、覚悟しなければなりません。

距離を置き、敵でも味方でもない中立な関係

小さい頃から、絶えず否定され続けてきているので、否定されることには異常なほど敏感に反応し、すぐに「敵」なのか「味方」なのかと極端な思考に入り込んでいきます。
こちらが「味方でいよう」と決意しても、真に信じてもらえることはなく、結局のところ「信じたくないのだ」という結論が導き出されることになるのです。
本人からすれば、信じると決めた瞬間から不信感が募り、裏切られる恐怖から、結局、自ら信頼を壊しにかかっていくのです。
それには、敵か味方かという二極的思考に巻き込まれないようにしなければならず、敵でも味方でもどちらでもない”中立な立場”に徹することが重要なのです。

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人は変われる!問題は大人側にあり!

反社会性パーソナリティーは、障害の領域に強く偏ると、どうしても犯罪に近づくことになります。
むしろ、犯罪者の精神構造を分析することで、見出されてくる傾向をまとめたものが、反社会性パーソナリティーとも捉えられます。
でも、そう捉えてしまうと、彼らのようなタイプが持つ幼少期の特徴(やんちゃ、手がかかる、落ち着きがない等)に、大人は不安になり、本来の魅力を引き出すどころか、一番やってはいけない不適切な方法で、幼い心を傷つけ、恨みを抱かせる育て方をしてしまうように思えてなりません。

生まれながらに、犯罪者になる人はいません。
子どもがしあわせに育つか否かは、あくまでも大人の育て方であり、大人が用意する環境であり、大人が抱える「幼さ」「未成熟さ」をどうするか、ということにかかっているのだと思います。

鶯千恭子(おうち きょうこ)

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