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OUEN Ishikawa

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"ふるさとは遠きにありて思ふもの" 日々、ふるさと石川(能登・加賀・金沢)を想い、徒然に思うところをblogに認めています。
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記事一覧

私の原点である"能登"

10年前の2014年に「地方消滅」〜東京一局集中が招く人口急減〜(増田寛也編著、中公新書)が発刊…

中能登町を過疎地のモデルの町にする

民間の有識者でつくる「人口戦略会議」が4月24日、2020年から2050年の30年間に若年女性(20歳〜…

能登は優しや 土までも

23日8時過ぎに、金沢駅前のドーミーイン金沢を出て、中能登町役場に向かった。金沢市街を抜け…

金沢のプライド

金沢は前田・加賀百万石の城下町だ。江戸時代、日本各地に城下町は数知れずあるが、三桁の石高…

志は友を呼ぶ

「類は友を呼ぶ」という諺がある。 「類は友を呼ぶ」 「気の合った者や似通った者は自然に寄…

脇役であり主役の後半人生

私の中高時代は、臨時の応援団として運動部の選手たちを応援していた。また、大学では、運動会…

日本医療企画 林諄社長との邂逅

昨日、日本医療企画社長の林諄さんと「能登の復興」について、お電話で30分ほどお話しした。熱い語らいだった。 林さんは、私と同じ中能登町の生まれだ。中能登町は、七尾市と羽咋市に挟まれた人口16千人の小さな町であり、能登半島の9市町のなかでただ一つの海がない内陸の町だ。平成の大合併で、鳥屋町と鹿島町と鹿西町の3つの町が合併して中能登町になった(林社長は旧鳥屋町、私は旧鹿西町の生まれだ)。 また、『地方消滅』(増田寛也著、中公新書)の中では、日本の896の市町村が消滅可能性都市

能登は盲腸であって盲腸ではない

3月14〜15日、1泊2日で能登・金沢に出張した。4月も22〜24日の2泊3日で出張をする。 これから…

能登半島と盲腸(虫垂)

私は、昭和27年11月8日に能登半島に生を享けた。能登半島は石川県の約半分の面積を占めている…

誰にも故郷(ふるさと)がある

先週だったか、何気なくテレビを視でいたら、NHKの朝の番組で[朝ドラ]の特集をやっていた。 …

"友だちの友だちは皆友だち"で能登の復興を応援する

私の仕事は、"人と人を"、"会社と会社を"、つなぐことだ。 ある会社が扱っている商材やサービ…

私の第二生の生き方

"能登半島地震"と"いしかわ観光特使"が、これからの私の第二生の生き方について、その方向性を…

"いしかわ観光特使"を委嘱される

昨日(令和6年4月1日)、石川県から"いしかわ観光特使"の委嘱状が届いた。 令和5年10月だったか…

中能登町を能登復興の起点にする

能登半島地震で奥能登地区(輪島市、珠洲市、能登町、穴水町)のみならず、中能登地区でも七尾市の被害は甚大なものがあったが、私が生まれ育った中能登町では家屋の倒壊、半壊はあったものの亡くなった人はいなかった。 3月に今年初めて中能登町に出張し、宮下町長から生家のある在所をご案内いただき、視察させていただいた。中能登町のみならず、能登全体のお話しもお聴きして、一段と能登への強い想いが湧き上がってきた。 4月からは、月に一度の頻度で能登と金沢に出張する予定だ。 [OUEN Ja