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熱き心で、"ふるさと能登"へ

今日(14日)・明日(15日)と、1泊2日の能登・金沢の出張だ。今年初めて、石川県に出向く。
1月の[OUEN 信念会]を終えてと思っていたのが、元日の能登半島地震で中止を余儀なくされた。2ヶ月遅れの出張になる。

ふるさとは遠きにありて思ふもの

私は、中学3年の15歳まで鹿西町(ろくせいまち。現、中能登町)で育った。もう56年前、半世紀以上前のことだ。
中能登町には、既に私の実家はない。ただ、祖父母と父が入っている眉状山(びじょうざん)の麓にある墓だけが気掛かりだ。今は、墓守りは従弟にお願いしている。そして、母が万が一のタイミングで墓じまいをして、お骨は南麻布の了聞に移そうと思っている。

今日は、東京駅で9時に黄さんと待ち合わせして、9時20分東京発の[かがやき507号]で金沢に向かう。金沢着11時54分。12時、金沢駅にてゼオライト(福岡市本社)の嶋村社長と河村取締役と合流し、中能登町役場に向かう。

中能登町役場訪問は15時だ。
レンタカーで"のと里山街道"を七尾市まで走り、中能登地域が地震でどうなっているのか視察するにはたっぷりの時間がある。しっかりとスマホで撮してこよう。

宮下中能登町長とはじっくりお話しができる時間がある。何で困っていらっしゃるのか、これからの中能登町の復興をどのようにお考えなのか、小中学校の1年先輩でもあり、ザックバランにお話しをお聴きしたいと思う。
中能登町から七尾市へ、そして奥能登へと、[OUEN Japan]の応援を拡げていこう。

翌15日は金沢で[OUEN COMPANY]の4社を訪問し、[OUEN Japan] の取り組みをお話しし、アドバイスもいただきたいと思っている。

そして、来週19日に、能登・金沢出張の報告会を開催する予定だ。
参加者は、昨日現在で15名になった。[TEAM OUEN  NOTO]には、これからさまざまな会社が加わってくださるだろうが、幸先のよいスタートになりそうだ。

当初はどれだけの方がご参加いただけるだろうと不安だったが、取り越し苦労だった。
"類は友を呼ぶ"、"友だちの友だちは皆友だち"だ。
心温かい、心熱い、人のことを思い遣る"恕の心"を持った人たちが集まってきてくださる。10年〜20年の長丁場だ。そのような心根の人たちが集まると、緩やかでも強固な団結で結びつくことができる。
[OUEN Japan] はそのような人たち、会社の集まりだ。そんな人たちや会社の集まりにしたい。

凸凹の私だからこそ、私の凹んだところを埋めてくれる人たちが集まってきてくださるのだ。
そう思うと、私は凸凹人間で良かったと思う。凹んだ人間は、凹んだところを埋めてくださる"人の情け"がありがたいと思う。だから、私は、私の凸の部分を磨いて私に情けを掛けてくださった方々に恩返しをするのだ。

そんなことを思うとき、私はゼオライトの故河村勝美会長のことを思い出す。
彼女とは、たった1年あまりの短いお付き合いだったが、私たち夫婦は一方ならぬお世話になった。
私を"布袋様"のようだと、それはそれは、特別に可愛がっていただいた。河村会長のような心の清らかな人はいらっしゃるものだろうか。私たち二人の間には、心と心が通じ合っていたのだろう。
私の事務所には、ゼオライト本社で撮した河村会長と私が写ったスナップ写真が、稲盛和夫さんの写真の隣に飾ってある。

「団長、ゼオライトをよろしくお願いします。嶋村社長以下、役職員をよろしくお願いします。後継の貴博をよろしくご指導ください」と、いつも私に仰っていた。

もうお亡くなりになって13ヶ月になる。そして、私はまだ何もできていない。忸怩たるものがある。
しかし、能登の復興のために、ゼオライトは大いに貢献してくれるだろう。そして、私は、これから、ゼオライトのサポートをすることができる。それも10年〜20年の長丁場だ。私の命が続く限り、応援することができる。
これで、ちょっとは河村会長のご期待に応えることができるのではないか。

能登も Win、ゼオライトも Win。自分のためは人のため、人のためは自分のため。"情けは人のためならず"だ。

[OUEN COMPANY]の皆さんと一緒に、ふるさと能登の復興に尽くしたい。ビジネス&ボランティアで能登の復興に尽したい。

本日、熱い心でそのスタートを切る。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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