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祖父母の教えと陽明学

私は、人と人をつなぐことを生業(なりわい)としている。これが私の正業(せいぎょう)なのだが、ここのところ、私から、"人"を選ぶことはほとんどしていない。人さまが人を連れて来てくださる。上から目線と言われるかもしれないが、私がその人を品定めすることになる。何も偉そうなことをするのではない。この人なら、あの人を、あの会社を紹介して差し上げようと思うか、やめておこうかと言う品定めだ。

それにはどうしても、その人と気が合うか、ちょっと胡散臭くないかどうかと、私なりの判断基準がある。気持ちの乗りということもある。
そんなことで、私の気持ちが乗ってお手伝いをした場合でも、時にして、風の吹きようで追い風から向かい風になることがある。しかし、私も人間だから情が湧く。どうしたらいいのか悩む。そんな時は、悩んで、悩んで、悩む。
そして思う。"人間の原点に立ち帰ろう"と。

私の原点は、やはり生まれ育った"能登"だ。元日に大地震に見舞われた能登半島だ。
単に、私が能登に生まれただけではない。私の育ての親としての祖父母から薫陶を受けた、"人間としてのあり様"が、私の人生観のど真ん中にどんとあるからだ。
今までは、あまりそのことを意識して生きてこなかったが、私が幼少の頃の祖父母の歳に近づいてきた今、妙に祖父母からの教えを反芻して自らを制しようと思うのだ。

人を羨むな。
人を妬むな。
人を騙すな。
嘘をつくな。
正直に生きよ。
曲がったことはするな。
人を大切にせよ。
傲慢になるな。
お世話になった人には、必ず恩返しをせよ。
感謝の心を持て。
人のために生きよ、そうすれば必ず自分に返ってくる。
お国のために尽くせ。

等々、当たり前のことを事あるごとに私に説いて聞かせてくれた。

慈父だった祖父であり、厳母だった祖母だった。

チャンドラーの箴言のように、
強くなければ生きることができない。しかし、優しくなければ生きる資格がない。
ことを祖父母は私に教えてくれた。

そんな祖父母が眠っている能登のために、私はこれからの残りの人生を生きていこうと思う。
私は何をしたいのかと言うミッションは、能登の復興応援だ。このミッションをど真ん中に置いて生きていこうと思う。

そのため、能登の現地の人たちのご意見やご希望を傾聴すること、応援してくださる仲間たちのアイディアやパワーをフル活用することだ。

そして、応援してくださる仲間たちを応援しよう。主として、その人たちを応援することをもう一つのミッションとしよう。学生たち、OUEN COMPAOYの皆さん。

私の身は一つであり、それなりに歳も取ってきた。無理はできない。一層の健康に留意が必要だ。
一寸法師のように、一点集中で一つのところを突いて、突いて、突きまくることだ。そうすれば、先は見えてくる。そうすれば、鬼をも倒すことができる。

そして、"知行合一の陽明学的発想"で行こう。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

江戸時代、陽明学は庶民の間で流行していった。
その大きな理由は、「心即理」という考え方が、庶民の心をぐいっと掴んだのだと思う。そして、陽明学的な考え方は、日本人のアイデンティティの一部となっていく。

王陽明が解説した儒学は、人口的にマジョリティであった庶民に、広く受け入れられていった。
その理由の一つが、幕府が推奨した朱子学が、「すごく堅苦しかった」ことが挙げられる。

朱子学も、陽明学も聖人(いわゆる、"人物")になることを目的とした哲学だ。しかし、両者は聖人になるための「方法」が違った。

朱子学は、何よりも、まず知識を身につけなさい、勉強しなさい、それが強調される。四書五経を覚えるくらい読み込んで、偉い先生の話を聞いて、そこを目指しなさいと。

それこそ、聞いている者にとっては、「あの偉い先生の爪の垢を煎じて飲みなさい!」と、そう言われている感じがするのだ。堅苦しい、すごく息苦しい感じがする。

その点、王陽明は楽天的だ。「何が正しいかは、人に教えられずとも、ちゃんと知っているだろ?」と問いかける。

例えば、困っている人が目の前にいれば、助けたい、助けるべきだ、と思うだろ?
行動できるかどうかは別として、人として、何をすれば良いかは、教えられずとも、ちゃんと分かってるだろ?

習わなくとも、教えられずとも、何をすべきかは、誰もがちゃんと知っている。それを【良知】(良心)という。

「聖人たる心は、元から自分の中にある」

人は教えられずとも、人の中には、最初から聖人性が備わっている、そのように陽明は説いた。

しかし、人間には、「良心」とは反対の「私心」があると説く。
「わかってるけど、面倒臭い」、「恥ずかしい」、「自分だけ損したら嫌だ」など、そんな心だ。
その私心があるがゆえ、良知の通り、行動できないときがある、そう言うのだ。

例えば、目の前に困っている老人がいても、周囲の目を気にしたりして、本当は手助けしたほうが良いと分かっていても、ついつい、見て見ぬ振りをしてしまう。

しかし、落ち着いて考えれば、良心はちゃんと知っているだろ。

陽明は言うのだ。
ちゃんと君の心の中にも、聖人たる心(理)があるだろ?
それを「心即理」というんだよ。

そして、陽明は、「何も難しいことはないよ。いつもその良心に忠実に、行動すれば良いのだ。そうすれば、ほら、すごく晴れやかで気持ち良いだろ?あなたが良心に忠実に行動し、助けてあげたおばあさんが、涙ながらに感謝している。すごく幸せな気持ちになるだろ?」

そのような心はまさに聖人たる心だ。

自分の中に、聖人たる心(理)は元からある。そのように考える。
この聖人たる心は、「天理」の一部だと説かれる。「天理」とは、今の言葉で表現すると、大自然の摂理と言えるかもしれない。

聖人になるために、小難しい分厚い書物を読む必要はないのだ。
自分の心の中にもともと、ちゃんと答えはある。

「心即理」

学のない庶民や下級武士には、非常に魅力的であった。

高いお金を払い、書物を買い、塾に通わなくとも、聖人になれるのである。

流行るのも納得がいく。

王陽明の解釈は、日本にあった既存の宗教と親和性があった。禅宗、特に臨済禅、浄土真宗の阿弥陀信仰、そして、神道。

それらは学のない庶民の間で、明確な区分をされることなく、「心学」と呼ばれた。そして、日本人のアイデンティティとなっていった。

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