見出し画像

幸せを求めて、能登に出向く

私の外苑前の事務所の壁には、能登の地図と石川県の地図が貼ってある。石川県の出張のおりや東京で開催される石川県人会等で入手したものだ。
"ふるさと"というだけで、他には特別の意味はなかった。ご来所いただくお客様は、その地図をご覧になって、私が石川県の能登半島出身だからだと思われるだけだろう。せいぜいそれだけの意味だった。

しかし、元日の能登半島地震以来、この地図はもっと深い意味を持つものになった。地図に魂が入ったと言うことだ。
3月に、2つの地図の中能登町と七尾市のスペースに、マーカーで色を塗った。中能登町はピンク、七尾市は紫に塗った。さらに、能登の地図にある市町の境界線に、濃紺のマーカーで線を引いた。そのマーカーが地図に魂を吹き込んだのだ。

能登地方には9つの市町がある。平成の大合併で9つの市町になった。以前は19の市町村だった。

能登は3つの地域に分けられる。奥能登と中能登と口能登だ。以下は、私が思う3地域の分類だ。
✳︎町を"まち"と呼んだり、"ちょう"と呼んだりする。
穴水町と中能登町と志賀町は、"まち"と呼ぶ。他方、能登町と宝達志水町は"ちょう"と呼ぶ。

地震で大被害に遭ったのは、⑴の奥能登地域だ。⑵の中能登地域も少なからず被害を被ったが、そのなかで中能登町だけは死者ゼロだった。

⑴奥能登地域(能登北部)
①珠洲市
②輪島市(輪島市、門前町)
③能登町(能都町、内浦町、柳田村)
④穴水町

⑵中能登地域(能登中部)
①七尾市(七尾市、田鶴浜町、中島町、能登島町)
②中能登町(鹿島町、鳥屋町、鹿西町)
③志賀町(志賀町、富来町)

⑶口能登地域(能登南部)
①羽咋市
②宝達志水町(志雄町、押水町)

マーカーで色を塗ったり、線を引いたりして、能登への想いがますます募ってくる。

ちょうど、昨日の午前、外苑前の事務所でのビジネスマッチングの一方の社長は、七尾市出身で、卒業した高校は中能登町にある鹿西高校だった。その七尾市に紫、中能登町にピンクがマーカーで塗ってある。それだけで、その社長の想いは高まる。

ビジネスマッチングのみならず、直接的に、私の能登復興応援に参加してふるさとを応援しようという気持ちが高まるだろう。
ビジネスのベースにボランティアが入ってくる。ビジネス≒ボランティアになる。

夕方には、渋谷のセルリアンタワー東急ホテルにて、第17回[TOKYO 金澤 CLUB]が開催された。300名を超す大宴会だった。

先代と当代(19代)の加賀藩の前田当主のご挨拶があった(石川県は、加賀前田藩でまとまっている。日本が天皇でまとまるのと同様だ)。
北國新聞社、北陸放送等の地元マスコミや北國銀行、北陸銀行の地元金融機関の会長の皆さん、金沢市と姉妹都市である文京区と板橋区と目黒区の区議会議長の皆さん等もご紹介された。

そして、金沢市長の乾杯のご発声で、宴会はスタートした。

30以上のテーブルがある。私が座ったテーブルは、高校の後輩の弁護士さんがお声を掛けて出席した人たちだった。そして、私の隣に座った、私と同年代の女性と懇意にお話しをすることができた。

その女性は、明るく、積極的にお声を掛けてくださって、非常に好感が持てる人だった。
私の事務所と自宅が外苑前だと話すと、外苑前駅から明治神宮球場に行くスタジアム通りに面してある"燈庵"という和食のお店に時々行くのだと。とても美味しいのだと。
外苑前は私の地元であり、スタジアム通りの燈庵については、知ってはいるが入ったことはない。

「近いうちにご一緒しましょう」
ということになった。

その方は、年に3回は海外旅行を愉しむのだとか。
私といえば、能登復興の応援で頭が一杯だ。愉しいという表現は正しくないが、それを生き甲斐にして生きていこうと思う。
人それぞれ、いろいろな人生がある。人生は愉しくなければ生きている甲斐がない。

何かことをすることに愉しみを覚え、それが人を喜ばせることになる。そのことが私の幸せである。

そんなことで、私は幸せを求めて、能登に行こうと思う。

来週の22〜24日は、金沢市〜中能登町〜七尾市の出張だ。
有意義な出張にしたいものだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?