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"宇宙の意思"と"良貨は悪貨を駆逐する"

人は何のために生きるか。
人は何のために生まれてきたのか。

人は幸せになるために生まれてきた。人は、自分が幸せになるために、人のために生きる。

だから、"真善美を心に描いて、その実現のために、人生を生きていく"ことを心がけようと思う。
「全てよかれかし」という"宇宙の意思"に沿って生きていこうと思う。

よい心がけを忘れず、もてる能力を発揮し、つねに情熱を傾けていく。それが人生に大きな果実をもたらす秘訣であり、人生を成功に導く王道なのです。なぜなら、それは宇宙の法則に沿った生き方であるからです。

仏教には、「思念が業をつくる」という教えがあります。業とはカルマともいい、現象を生み出す原因となるものです。つまり、思ったことが原因となり、その結果が現実となって表れてくる。だから考える内容が大切で、その想念に悪いものを混ぜてはいけない、と説いているのです。
積極思考を説いた哲学者である中村天風さんも、同様の理由から「決して、悪い想念を描いてはいけない」といっています。


人生は心に描いたとおりになる、強く思ったことが現象となって現れてくる――まずはこの「宇宙の法則」をしっかりと心に刻みつけてほしいのです。人によっては、このような話をオカルトの類いと断じて受け入れないかもしれません。しかし、これは私がこれまでの人生で数々の体験から確信するに至った絶対法則なのです。

すなわち、よい思いを描く人にはよい人生が開けてくる。悪い思いをもっていれば人生はうまくいかなくなる。そのような法則がこの宇宙には働いているのです。
思ったことがすぐに結果に出るわけではないので、わかりづらいかもしれませんが、二十年や三十年といった長いスパンで見ていくと、たいていの人生は、その人自身が思い描いたとおりになっているものです。

ですから、まずは純粋できれいな心をもつことが、人間としての生き方を考えるうえで大前提となります。なぜなら、よい心――とくに「世のため、人のため」という思い――は、宇宙が本来もっている「意思」であると考えられるからです。

宇宙には、すべてをよくしていこう、進化発展させていこうという力の流れが存在しています。それは、宇宙の意思といってもよいものです。この宇宙の意思が生み出す流れにうまく乗れれば、人生に成功と繁栄をもたらすことができる。この流れからはずれてしまうと没落と衰退が待っているのです。

ですから、すべてに対して「よかれかし」という利他の心、愛の心をもち、努力を重ねていけば、宇宙の流れに乗って、すばらしい人生を送ることができる。それに対して、人を恨んだり憎んだり、自分だけが得をしようといった私利私欲の心をもつと、人生はどんどん悪くなっていくのです。

宇宙を貫く意思は愛と誠と調和に満ちており、すべてのものに平等に働き、宇宙全体をよい方向に導き、成長発展させようとしている。このことは、宇宙物理学でいう「ビッグバン・セオリー」から考えても十分納得、説明できるものです。

宇宙には最初ひと握りの素粒子しか存在していませんでした。その素粒子がビッグバンと呼ばれる大爆発によって結合して、原子核を構成する陽子、中性子、中間子をつくりあげ、電子と結びつき、最初の原子である水素原子を生み出した。

さらにさまざまな原子、そして分子が育まれ、やがて高分子ができ上がり、人類のような高等生物までが生み出された。そういう宇宙の進化のありようを知れば知るほど、すべてを成長させ、進化させていこうという何か「偉大なもの」の意思が介在しているとしか思えません。

また、「悪貨は良貨を駆逐する」という諺がある。
この諺は、19世紀にイギリスの貿易・為替・金融業者であるトーマス・グレシャムが提唱した、『グレシャムの法則』が由来となっている。
『グレシャムの法則』とは、「金銭価値の違う同一表記の通貨が同時期に流通した場合、悪質な通貨が市場に出回り、良質な通貨は貯蓄されてしまう」という法則だ。
たとえば、見た目は同じで価値が違うダイヤモンドが二つ同時に流通した場合、人々は物々交換に"価値が低い方のダイヤモンド"から使用し、"価値が高い方のダイヤモンド"は"価値が低い方のダイヤモンド"が手元に無くなるまで使わず、貯蓄してしまう傾向がある。
このように、まずは価値が低いものや悪質なものから市場に出回り、価値が高いものや良質なものは蓄えられると考えたのが『グレシャムの法則』だ。

この法則は人間の心理を突いた真理であるだろう。人間の醜さであり、弱さだ。では、世の中に悪貨ばかりが蔓延るだろうか。
いや、そうではないだろう。宇宙には「全て良かれかし」という宇宙の意思・大流がある。この宇宙の意思・大流が、グラシャムの法則より少し優っている。その証拠に、宇宙は永久に、無限に広がっていっているではないか。

サントリーの佐治敬三さんは、昭和34年に、雑誌[生活衛生]で「良貨は悪化を駆逐する」という巻頭のことばを書かれている。
人間の知恵はそんなに浅はかではない。

「良貨は悪貨を駆逐する」
佐治 敬三

『悪貨は良貨を駆逐する』というのは、まだ金貨が流通していた時代に、貨幣の素材の良否について見出された有名なグレシャムの法則であ ります。
もっとも悪貨が良貨を追い出してしまった結果は、貨幣価値の下落を招き、結局、一般市民が塗炭の苦しみに陥るということになり、何等か の新たな救済策が講ぜられたり、政 権の交代があったりしたわけですから、長い眼で見たときには、このグレシャムの法則が自己を貫いていると言えないかも知れません。

ところで、一般の商品についてはどうでしょうか。誠に残念なことですが、文化の進んだ今日の日本に於ても、尚、この法則に似た現象が見られる様に思われます。
手工業の時代には、1つの仕事、1つの品物についての責任が、直ちに職人のものでありました。つまり消費者と生産者とは1対1の対応をしていて、品物の良否の判定は、そのままに生産者たる職人の評判となり、悪貨の生産者は社会から姿を消すに至ったのです。
しかし、資本主義的な生産の時代になると、大量生産、大量販売が普遍的となり、生産者と消費者との関係は疎遠なものとなりました。
現代はマスコミの時代といわれています。マスメディアを駆使する宣伝、広告というものは、大量に生産される商品の販売のためには不可欠のものであり、消費者大衆はその消費する物資についての知識の大半を、マスコミを通じて得ていると申しても過言ではありますまい。
従って このマスコミに乗った宣伝活動が、正しく運営されるか否かということは、消費者の利害にとって、非常に重大な問題だと思います。誠に、宣伝広告は、販売上の強 力な武器であります。良い品物を販売するためにも、劣悪な商品の販売にも、それは強力に働く、いわば、両匁の剣とでも申せましょうか。
この様な強力な武器の使用が、今日必ずしも妥当な状態にコントロールされていないとするならば、その害悪の恐るべきことは明らかであります。
私の携わっている洋酒について、外国の例を参考にして見ますと、その広告面の活躍の華々しさに正比例 して、虚偽、或いは誇大にわたる広告、消費者を欺瞞するおそれのある表示等についての規制は、きわめて厳重であります。
戦後、特に占領行政のおかげで、我 が国でもこの様な動きが、徐々にではありますが起ってきていることは、誠に喜ばしいことであります。既に広告界自体の中からは、広 告倫理化運動が誕生し、活動をはじめております。今日ではまだ充分の効果をおさめているとはいえませんが、明るい希望をもたせてくれます。食品医薬品等については、関係法規が整備されてきましたので、昔の様に、野放図な状態は見られなくなり、生産の面においても、業者の自覚とあいまって、品質水準は著しい向上をみせております。
『良貨を以て悪貨を駆逐する』グレシャムの注則を裏がえしたこの表題の言葉は、私共商品の生産に携わるものの理想であり、目標でもあります。勿論そのためには、何よりも先づ、第1に私共の商品の品質が優秀であり、良心的でなければなりません。生産技術の向上や技術革新の大胆な採用、生産の合理化、品質管理、等々、1日も休むことのない努 力が要請されるわけです。
一方、これを受け入れる消費者の側 には、良品を良品として認めるだけの知的水準が是非とも必要です。 消費者の側においても、その衛生思想は、戦後、富に高まり、生活水準 の上昇と相まって、品質の良否について正しい判断を下す素地が養われてきたことは、大そう喜ばしいことであります。
生産販売に携わる者の良心、広告界の正しいあり方、それらを支持する消費者の態度。この三者の力の上に立ってはじめて、"グレシャムの法則"が裏返るのだと思います。私共 の"良貨による悪貨駆逐"の戦いは、長い苦難の時代を終え、いまやっと明るい希望の暁にあることを感じます。
あらゆる方面からの理解ある支持のもとに、私共はこの戦を更に一層強力に推し進めてゆきたいと思います。これこそ、私共生産に携わる者に与えられた社会的な使命でありましょう。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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