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「真っ平ご免」と大手を振って歩く人生

ジャニーズ性加害がマスコミで姦しい。「メディアの沈黙」もクローズアップされている。

私は、このような報道に接するにつけ、鶴田浩二のヒット曲「傷だらけの人生」を思い浮かべる。


鶴田浩二

[傷だらけの人生]

「古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます。
どこに新しいものがございましょう。
生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左も真っ暗闇じゃござんせんか」

何から何まで 真っ暗闇よ
すじの通らぬ ことばかり
右を向いても 左を見ても
バカと阿呆の からみあい
どこに男の 夢がある

「好いた惚れたと、けだものごっこがまかり通る世の中でございます。
好いた惚れたは、もともと心が決めるもの...
こんなことを申し上げる私も、
やっぱり古い人間でござんしょうかね」

ひとつの心に 重なる心
それが恋なら それもよし
しょせんこの世は 男と女
意地に裂かれる 恋もあり
夢に消される 意地もある

「なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが、そういう私も日陰育ちのひねくれ者、
お天道様に背中を向けて歩く...馬鹿な人間でございます」

真っ平ご免と 大手を振って
歩きたいけど 歩けない
嫌だ嫌です お天道様よ
日陰育ちの 泣きどころ
明るすぎます 俺らには

まさに、今の世の中、真っ暗闇だ。けだものごっこがまかり通る世の中だ。
どいつもこいつも、くだらない忖度ばかりして、本来のつとめを忘れて、自分の利ばかりに走っている。

忖度をネットで繰ってみる。

[忖度]

「忖度」とは、相手の気持ちや考えを推し量ること、推察・推測することを意味する言葉です。
忖度の「忖」は「量る」「推し量る」、「度」は「推し量る」という意味があります。

忖度は、従来、相手の気持ちを考慮するというポジティブなイメージをもつ言葉で、日本では平安時代の「菅家後集(かんけこうしゅう)」や、中国のもっとも古い詩集である「詩経(しきょう)」やに登場するほど、古くから使われている言葉です。

近年、「忖度」は新たに、「顔色をうかがう」や「ご機嫌取り」「ごますり」のようなネガティブなイメージの言葉としても使われるようになりました。

テレビのニュースなどで、「忖度が働いた」などの使われ方を耳にしたこともあるのではないでしょうか。
自分の保身のために、上司や先輩など、目上の人の言動に従ったり、顔色をうかがって自分の意思とは別の言動をしたりすることが、新しい忖度の意味です。

「忖度」という言葉が注目を集めるようになった背景は、2017年に流行語大賞に選ばれて話題になった際の「忖度」の使われ方にあります。

目上の人の機嫌をとるようなネガティブな意味で、「忖度」が使われたことがきっかけで、ネガティブな意味として知られるようになりました。

言葉の本来の意味はポジティブなもので、相手の身分に関係なく使える言葉ですが、近年ではネガティブな意味で「忖度」を捉える人が増えていると言えるでしょう。

「メディアの存在意義とは何か」「人間として如何に生きるべきか」という、"本質志向"をして生きている人間は、はたして、どれだけいるだろうか。

特に、公私を問わず組織に身を置く人は、多かれ少なかれ、上司の顔色を伺って生きている。そうでなければ偉くなれないと思うからだ。
そんな組織人でなくても、生きている以上、"村八分"という世間からの仕返しが怖くて、人は、(本来の意味ではない)忖度ばかりして生きているのかもしれない。

あまり忖度ができず、一匹狼、一匹狼パンダになったこの私も、"新しい意味での忖度"を全くしていないと、大手を振って言えるほどの腹が座った人間ではない。
かつては、"明るすぎます、俺らには"と思った時もある。柄にもなく、人生を僻んで見ていた時もあったのだ。
だから、私の人生も、少しは"傷だらけの人生"の爪の垢くらいの時もあった。

しかし、この世の中、そんなに捨てたものではない。
明るく、真っ直ぐに、ネバーギブアップ精神で生きていけば、少しはまともな世の中になる。

そして、これからの私の人生は、「真っ平ご免」と大手を振って歩く人生でありたい、と心からそう思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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