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志は友を呼ぶ


「類は友を呼ぶ」という諺がある。

「類は友を呼ぶ」

「気の合った者や似通った者は自然に寄り集まる」という意味があります。趣味や好みが似ている人が自然と集まり、仲間がつくられるさまを指します。

言葉の由来は中国。紀元前の周という時代に書かれた『易経』という占いの書物に登場する「方は類を以て集まり、物は群を以て分かたる」という一説が元になっていて、“類を以て集まり”が、現在の「類は友を呼ぶ」という言葉に変化したと考えられています。

「類は友を呼ぶ」の類語
類を以て集まる
牛は牛連れ、馬は馬連れ
同類相求む


この諺は、「気のあった者は自然に寄り集まる」という意味だ。
その人のレベルに合った人、同じ感性を持った人、同じ考え方や生き方で生きている人は自然に寄り集まるものだ。ピンはピンで集まり、キリはキリで集まる。その人の友だちを見れば、その人の凡そが分かる。ゆえに、人とは気をつけて付き合わなければならないということだろう。

私の人が好い性格もあり、さまざまなキャラクターの人、さまざまな業種の人が集まってきてくださる。それはピンキリだ。よくよく人を見て付き合うことが不可欠と思う。

「原点に帰れ」と言われる。天は、全ての人にミッションを与えてこの世に送り出す。そのミッションを気づくことなく一生を終える人が如何に多いことか。ただ、のんべんだらりと生きている人が如何に多いことか。

そのミッションを自覚するために、人は紆余曲折、七転八倒して、人生を生きるのだ。
そして、ミッションを見つけることができた人は幸せである。早いに越したことはないが、たとえ遅くても、自らのミッションに気がついたら、それからの人生を一層健康に留意することで、与えられたミッションを果たせばよい。
遅かれ早かれ、ミッションに気がついて、それを果たそうと生きることに意味がある。そのこと自体が幸せである。

私の原点は何処なのか、何なのか。人は、人のために生きる、世のために生きる。では、具体的に、自分はどんなことをして、どこで、人のため、世のために生きるのか。

これが私のミッションなのか、と分かったようで、ちょっと違うのではないかと思い直す。そんなことの繰り返しが続いて、私の今日がある。

能登が大地震に襲われた。能登は、私の生まれたふるさとだ。

「そうか、生まれたところに戻れということか。それが生きる原点ということか」

"ふるさとは遠きにありて思ふもの"

東京にいて、ふるさと能登を思う、想う。原点に立ち返り、人のため、世のためを考える。そして、行動に移す。

[OUEN Japan]を、日本を応援するNPOとして設立した。
地方創生から日本を元気にする。そのCoreを、私が生まれ落ちた能登にする。そして、能登から日本に拡げていく。

"類は友を呼ぶ"はピンからキリがあるが、やはりピンは"志の下に集まる"ことだろう。高い志の下に集まることだろう。

私は能登に生まれた。今、東京にいて、能登に立ち戻ろう。
また、人の伝手とか、巡り合わせとか、何かのご縁があって、能登とご縁ができた人も、同じ志を持つ人であれば、集まってきてほしい。直接でも間接でも何でもありだ。要は志の問題だ。
熱い志、温かい志、真剣に生きようと思う志を持った人たちに集まってきてほしい。

そして、夢を現実にしていく。それをCoreから拡げていく。日本に拡げていく。

ある若き青年は言う。

次世代のために
→よりよい北陸を残す
→よりよい日本を残す
→よりよい地球を残す
その一助となる

そして、私は思う。
北陸の前に、
中能登町や七尾市という私のふるさと中能登地域を地域創生のCoreにする。
中能登から、
→能登に拡げる
→石川に拡げる
→富山に拡げる
→北陸に拡げる
→日本に拡げる
→地球に拡げる

私はせいぜい100歳現役が限界だろう。あと29年弱しかない。29年弱もある。どちらにしても29年だ。

後に続く人たちは、"志は友を呼ぶ"。志高ければ、その志が友を呼んできてくれる。友だちは集まってきてくれる。

だから、後顧の憂いなく、ミッションを果たすために、後半生を全力疾走しよう。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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