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ブレない一本の柱を立てる

昨日の午前は、新赤坂クリニック青山(青山一丁目)にて、生活習慣法予防健診を受診した。午後は、横浜たまプラーザ運動器スポーツクリニック(たまプラーザ)で五十肩のリハビリを受けた。
昨日は、"健康を考える一日"だった。

私は、年初に、同じ新赤坂クリニック青山で人間ドックを受診している。今回の生活習慣病予防健診と合わせて、年に2回、健康の棚卸しをしている。
また、月に一度は、かかりつけ医の藤田クリニック(外苑前)に通院している。歯についても、月に一度、サンデンタルクリニック(新宿)に通院し、定期検診していただいている。

古稀を過ぎて身体の衰えを実感することが多く、それと並行して、私に残された命の長さと、私に与えられたこの世で成すべき天からのミッションを意識することが日々募ってきている。
それゆえ、「健康で長生きしなければそのミッションは果たすことができない」という思いが、私に病院通いを苦痛ではなく、楽しいものにさせているのだ。

七十路の坂を越えて五十肩が再発して、昨年3月から、たまプラーザ運動器スポーツクリニックに1年以上通っている。ようやく、五十肩の痛みは和らいできた。こちらはそろそろ打ち止めにしたいと思って、先生にそのことを話した。
先生は、「1年前とは雲泥の差ですね。手がよく上がるようになりました。痛みはどうですか。痛くないようでしたら、3月は卒業の月ですから一ヶ月遅れの卒業式としましょう」と仰って、昨日は最後のリハビリになった。
あとは、通院せず、日々の生活のなかで自らリハビリをすることになる。
今年になって、五十肩は日増しに改善してきており、もうそろそろと思っていたが、先生からのお墨付きをいただいて、ホッと嬉しい気持ちになった。

いくつかあった胸に痞えていたものが一つずつ、外れていく。
それもこれも、「私は何をするために生まれてきたのか。今、私は何をするべきなのか」と、何かことがあったら、絶えず自らの原点に立ち戻ることで、胸の痞えが取り払われていくのだ。

人間、健康になることが目的ではない。何かを成すためには健康でなければならないから健康になろうとするのだ。
健康はあくまでも、大事を成すための手段だ。

「里山資本主義」〜日本経済は「安心の原理」で動く〜(藻谷浩介・NHK広島取材班著、角川新書)のなかで藻谷さんは書いている。

「里山資本主義」の極意

人が生きていくのに必要なのは、お金だろうか。それとも水と食料と燃料だろうか。

間違えてはいけない。生きるのに必要なのは水と食料と燃料だ。お金はそれを手に入れるための手段の一つに過ぎない。
手段の一つ? 生粋の都会人だと気付かないかもしれない。
だが、必要な水と食料と燃料を、かなりのところまでお金を払わずに手に入れている生活者は、日本各地の里山に無数に存在する。
山の雑木を薪にし、井戸から水を汲み、棚田で米を、庭先で野菜を育てる暮らし。最近は鹿も猪も増える一方で、狩っても食べきれない。
先祖が里山に営々と築いてきた隠れた資産には、まだまだ人を養う力が残っている。
これに「木質バイオマスチップの完全燃焼技術」といった最先端の手段を付加することで、眠っている前近代からの資産は、一気に二十一世紀の資産として復活する。

都会に生活している人たちが忘れていることがある。それは人間の原点ではないだろうか。何が目的か、何が手段かをよく分かっていない。

私の第二生のミッションについても同じことだ。
人間の原点を見つめることだ。
私は、私のミッションの柱を「能登の復興応援」としようと思う。これは、単に能登だけのことではない。能登から、「幸せ」の全てを拡げていくことだ。
それが多くの関わってくださる人たちへの応援につながる。それがブレると、"何でも屋"になって、みんな"虻蜂取らず"になってしまう。

一本の柱を立てること。その柱から派生することに関わること。
このお手伝いは、ど真ん中の柱と絡むことはないのか、何か絡ませることで、Win Winにならないものか、と考えることだ。
コアの柱から外れて八方美人になってはいけない。

そして、相田みつをさんの本日(14日)の日めくりカレンダーは、"私がなりたい人"だ。

[ただいるだけで]

あなたがそこに
ただいるだけで
その場の空気が
あかるくなる

あなたがそこに
ただいるだけで
みんなのこころが
やすらぐ

そんな
あなたにわたしも
なりたい

また、宮澤賢治の[雨ニモマケズ]も、"私がなりたい人"だ。

[雨ニモマケズ]

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫な体を持ち
欲はなく
決していからず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きしわかり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さなかやぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し
寒さの夏はオロオロ歩き
みんなにでくのぼうと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういう者に
私はなりたい


不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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