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瀬戸内海のお店で聞いた「愛情とは相手を分かろうとすること」という話

 初めて広島に行った帰り、一日だけ予定に空きがあったので、四国まで行ってみることにした。といっても日帰りで四国に降り立つだけ。「初めて」という響きには、気持ちを高揚させる何かがあった。
 フェリーで香川に着くと、目の前に小さな飲食店があった。夫婦で営む店で、ランチメニューのカンパチの刺身は、身がみしみしと締まって沁みるようにおいしかった。

「あっちを片付けろって。ったくトロイんだから」
「今、やってるから」

 ランチ時間が過ぎていて、私しかいない店内で、夫婦は小さな口ゲンカを繰り返していた。

「お前みたいなノロい女は、ほかにいないぞ」
「あらあら、貴重でいいじゃない」
「牛みてぇな女だ、ケツしまっとけ」

 人がいないことをいいことに、徐々に声が大きくエスカレートしていくやりとり。私は味噌汁をすすりながら、顔を上げられなくなってくる。私は言葉を気づかう人だったので、爆撃のような言葉の刃に、人ごとながら胸が痛くなる。

「ああっ、もう後は俺がやるから、そっち行ってろ。ああ、ほら、お客さんに茶―出して」
「はいはい」

 大柄な奥さんが、私に麦茶を出し、自分にも注いで私の前に座る。

「どうぞ」
「ありがとうございます」

 私は奥さんの顔を伺うように麦茶を飲むと、彼女は大福のようにうれしそうに笑っていた。その顔は私には意外なほど、ありふれた幸福にあふれていた。

「うちは亭主がうるさくて、ごめんなさいね」
「あ、いえ」

 褒めようと言葉を探すけど、言葉が見つからない。素敵な旦那さん?仲がいい?どれもあからさまなくらいニセモノすぎる。

「みんなに心配されるんだけど、うちはねぇ、すっごく仲がいいの」
「ええっ」
 思わず大声をあげてしまって、奥さんが笑い出す。

「うふふ、びっくりでしょうー」
「いや、そういうわけではないんですけど」

 驚いたことで、仲がいいと思ってなかったことが露見してしまったようだ。慌てて取り繕おうとするが、言葉が出てこない。こういう時、言葉は本当にもどかしい。

「言葉だけを聞いているとね、そうなっちゃうかもしれない。私も出会ったばかりの頃はそうだったから」

 ダメ出しばかりしてくる旦那さんに嫌気がさしていたある時、「この人はなんでこんなに私のことに気づくのだろう」と思ったのだという。

「誰も気にしてなかったことを、あの人は気づいてくれたのね。それだけ、私のことを気にしてくれてるのかなって思ったのよ。本当に辛かった時は、ちゃんと味方になって支えてくれたから」

 旦那さんは気持ちを言葉で表現するのが苦手なんだという。照れ屋で素直な気持ちを語れない。口から出る言葉は、文句や妻への悪口ばかりだ。「私がもうちょっと甘えられる性格だったらよかったのかもしれないんだけど」、彼女はそう言った。

「私は足が悪くて、あんまり長い間立ってられないの。頭も悪いから早くも動けないし。あの人はね、文句をいうことで私に『やらなくていい、座ってろ』っていいたいの、本当は。そうやって人を思いやる自分が恥ずかしくて、素直に言えないだけなの」

 私は麦茶を片手に目を開く。とても初めての人には読み取れない、深く深くにしまわれた想いだ。

「もちろん最初はね、もっと優しい言葉がほしい、ちゃんと言ってくれないと分からないって言ってたの。それでもあの人は、なかなか言ってくれなくて。だけどね、新しく買った足のサポーターが無造作に置いてあったり、杖が買ってあったり。馬鹿みたいでしょう?」
「すごい、愛情、ですね!」
「うふふ。女は物より気持ちじゃない?何かしてくれるより、優しい言葉で十分だったんだけど、あの人にはそれが難しいんだって分かったの。それでね、あの人の行動に気をつけるようにしたら、なんだ、私のこと大好きなんじゃないのー?って、そういうのが恥ずかしいくらい、いっぱい出てるのよ」

 奥さんは大きな声でそう言い、三角巾を取りながら声を上げて笑う。視線は私と合わない。彼女の視線の先は、旦那さんだろうか。からかうような視線は、そうか、それも愛情なんだろう。「バカにしやがって、んなわけないだろう」という小さな声が耳に触る。

「愛情なんて分かんないけどね、まずは相手のことを分かろうってすることよ。自分のことを知ってほしいは、その後でいいんだから」

 先ほどの会話を思い出す。旦那さんの身を乗り出すような動作、通りやすいように少しだけ椅子をどけたこと。ああそうか。会話は、言葉だけでできているわけじゃないんだ。この夫婦は、お互いを分かり合おうと、思いやりを交わし合ってるんだ。私にもいつか、そんな風に誰かと思い合えるだろうか。

 人の想いは、表面だけでは分からないようだ。

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