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「答えを迷っている時ってだいたい答えは出てるもんじゃない?」の話

「すぐ目の前に比較するものがあると、自分の幸せに自信がなくなっちゃうものなのよね」
 そう言って彼女は、チーズケーキの後ろにフォークを入れた。
「あ」
「なに?」
「いや、大したことじゃないんですけど、自分はチーズケーキの細いほうから食べるから、後ろ側から食べる人ってそういえば初めて見たなって思ったんです」
 チーズケーキをどちら側から食べようと、大した問題じゃない。だけど自分は、今まで一度もそうして食べたことがなかったので、思わず声が出てしまった。
「それと同じかもね」
「同じって?」
「私もね、昔は細い方から食べてたの。そっちのほうが食べやすい気がしない? だけどね、ふと思い立って後ろ側から食べてみたことがあるの」
「へえ、どうでした?」
「別に。何も変わらない。チーズケーキだもの。どっちから食べようと味が変わるなんてないでしょ?」
「確かに」
 私はうなずきながらも、何かすごく発見があったことを期待していたので、内心は少しがっかりした気持ちになっていた。彼女がどんな人なのかはよく知らない。私たちはルーマニアの町で出会い、私は黒髪の外国人という珍しい風貌から、彼女に誘われて一緒にケーキを食べている。年齢は四十代後半くらいだろうか。
「周りが結婚してるのがうらやましくて結婚したの。でもすぐに別れちゃって、それからずっと一人。一人でいるのが好きなはずなのに、一人でいるとパートナーがいる人のことをうらやましくなっちゃう。でも誰かがいると、一人がやっぱりいいなって思っちゃうの。勝手よね」
「人間なんてそんなもんじゃないですか」
「市内でクラシックのコンサートがあるの。無料だし、明日行ってみない?」
「へえ、そんなのあるんですね」
「プロじゃなくてアマチュアの演奏会みたいだけどね。私も昔はバイオリンをやってたから」
「そうなんですか」
 今はやっていないのか気になったが、質問はしないでおく。過去形で話したということは、今の状況には触れられたくないのかもしれない。
「私、やるならとことんやりたいタイプなのよね。やるならもっとうまくなりたいし、いいホールで演奏したい。だけど、そこまでの才能はなかったから、やめてしまったの。でもどこかで、まだ諦められないでいるみたい。アマチュアでも演奏を楽しんでいる人を見ると、悔しいような苦しいような気持ちになってしまうのよね」
「それなのに聞きに行くんですか?」
「うん、それでも行きたいの」
 バイオリンの演奏だけで生きられる人なんて、世界にどれくらいいるのだろう。たとえば好きなことが仕事になったとしたら、それを楽しんでやり続けられるものなのだろうか。私にはよく分からない。
「もうバイオリンは趣味でもあまりやりたくない感じですか? それともまだやりたい?」
「分からない」
 彼女はチーズケーキの後ろ側にフォークを入れて、切り取ったかけらを口に運ぶ。
「嘘。やりたい」
 彼女はしばらくチーズケーキを見つめて「悩んでる時ってだいたい答えは出てるのよね」と言った。
「答えが出てるのに、答えを選べない理由は、自信がなかったり、プライドが邪魔してたり。はたからみたら些細なことでも、それが大きな障害になって、自分で出してる答えを選べないんだわ。そういうことってない?」
「そうですね、ある気がします」
 必ずうまくいくっていう保証があるなら、どんな状態でもやってみようって思えるだろう。だけど、だいたいはうまくいかない。プロでやってた自分がアマチュアの中に入って演奏すること。本気でプロを目指してたのに、やめざるを得なかった自分への落胆。真剣にやっていたからこそ、演奏を楽しむというシンプルな行動が、彼女にとってはとても複雑で選択が難しいものになってしまっているのだ。
「世界のトップなんて、ほんとに一握り。ほとんどの人がちょっぴり注目されるくらいの普通の人で終わるわけじゃない。でもここが自分の人生の最大限なんだって分かっちゃうのって寂しいじゃない。途中でやめてしまえば、人生の最高地点を決めてしまわなくて済むもの」
 彼女は紅茶に手を伸ばす。レモンの香りが私のほうにまで漂ってきた。彼女は残っていたレモンティーを一気に飲み干して言う。

「自分が本当にしたいことを、自分自身は分かってるはずなのに、それを一番妨げるのは、自分を守ろうとする自分自身なんだわ」

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