見出し画像

自分を信じること。母親を信じ直すこと。

わたしの母は、専業主婦でいましたが、
60歳を過ぎてから勤めに出て、約12年間働いていました。

ずっとボランティア活動などしていたので、
もともと社会性が高い母ではあったものの、

一度も働いたことがない中、60歳から就職をして、

今年には独学で勉強し「社会福祉士」という資格に合格をして、
こうしたチャレンジ精神は見習っているところのひとつです。

自分が何歳であっても、
年齢や経験のなさや、いろんな言い訳をせずに
とにかくやってみる、とにかく進んでみることを教えてくれます。

わたしが「フリースクールをつくろう」と決められたのも、
後押しをしてくれたのも、母のおかげです。

わたしは、
「諦めない」こと、
「自分を信じる」ことを、ずっとできませんでした。

自分のことは疑ってばかりで、
自分のことが嫌いで、とにかく生きづらかったです。

出産をしてからは、さらに心身のバランスを崩して、
自分と向き合う中で、ひとつひとつ自分を取り戻していきました。

その、大切なことの一つとして、
「母親を信じること」と「自分を信じること」があります。

子どもの頃にみていた「母親」は、完ぺきで何でも知っていて、
なんでもわかっていて、絶対に正しい存在でした。

自分では歩けないし、食べものもつくれないし、
言葉も話せないし、わからないことだらけだった
子どもの頃の記憶のままに。

そうした「神様」のような存在として「信じて」いたままに、
自分が子どもを生んで「母親」として子育てを始めると、

自分の未熟さばかりを知る毎日で、とても苦しい毎日になりました。

「母親は何でも知っているし、神さまのような存在」だと
思い込んでいたところを「信じ直す」必要がありました。

あたり前のように思うかもしれませんが、
「理想の母親」や「母親ならできるはず」
「母親なら、こうあるべき」という「なにか」を信じていて、

そのギャップに苦しむ女性は少なくありません。

母親をひとりの「人」として、ひとりの「女性」としてみること。
そうして初めて気づいたこと、見えてきたことがあります。

子育てに関して言えば
わたしはうまくできたわけではないし、
むしろ「毒親」です。

子どもには嫌がられて、
小さい頃は息子に噛みつかれたり、家を飛び出されたり、
辛く苦しい思いをたくさんさせてきました。

限界がきて、これ以上一緒にいると
いよいよ子どもを潰してしまうと思い、
離れて暮らすことにしました。

子育てができること、
子どもと一緒に暮らせること、
子どもの幸せのために頑張れること。

それがどれほど幸せなことか、
どれほど「あたり前」ではないか、
わたしは、身をもって実感をしています。

子どもが元気に育ってくれること、
名前を呼べば返事が返ってくること、
「ただいま」と玄関の扉を開けてくれることが
なによりの幸せであること。

わたしは「不登校」であった時や
経済的に余裕がない時、疲れている時や忙しい時には
あっさりと「かけがえのない幸せ」を忘れて
八つ当たりをしたものです。

自分と向き合いながら
改善を進めている中ではありますが、

余裕のない毎日の中で、
大切なこと、かけがえのない幸せを
つい忘れてしまうことは誰にでもあることだ知りました。

忙しい毎日に流されてしまいがいですが、
大切なことを忘れずにいられるよう、
幸せを感じながら日常を過ごせるよう、
みなさんの力になりたいと思っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?