田中理紗子@フリースクール準備中

札幌市でフリースクール準備中です!「子どもの不登校を受けいれることが難しい、、」と感じ…

田中理紗子@フリースクール準備中

札幌市でフリースクール準備中です!「子どもの不登校を受けいれることが難しい、、」と感じる女性の力になれたらと毎日発信します。子どもが「なにを感じているのか」を大切にして活動する場づくりを目指し、不登校を決めたからこそ歩める人生を応援します。元児童相談員、心理カウンセラーなど。

最近の記事

「わたしがガマンをすれば」誰かを幸せにする方法が変わった時代を生きる

今は、戦争中ではないから、 自分の幸せのために、他人の幸せのために、 誰も、他人の犠牲が不要になりました。 もちろん、社会の中を生きる上で、 守るべきマナーはあるけれど、 「犠牲」が「幸せ」を生むことはなくて、   「犠牲」は「犠牲」で 「幸せ」は「幸せ」だから 「わたしのガマンが足りない」と ガマンを足しても、 「幸せ」は生まれないし、 「ガマン」を足して、 「波風」はおさまるかもしれないけれど 「笑顔」が増えているかどうかは、 わからない。 「犠牲」や「我慢

    • 【発達障がい】「ふつうになりたい」から、解放される。

      子どもの頃から、 何度も「ふつうになりたい」と願い続けて、 「ふつうは、こうだろうか?」「これで合ってるだろうか?」 と、「ふつう」を追い求めてきませんでしたか? 自分を捨てて、「ふつう」を生きようとがんばること。 それが「生きること」だと思ってきたように思います。 わたしは、「ふつう」に合わない自分が嫌いで許せなくて、 「ふつう」以外の部分は、ないことにして、ごまかして、 嘘をついて、どこからどうみても「ふつう」をやってきました。 というのは、わたしの思い込みで、

      • 不登校は、大人の問題。子どもには、なにも関係がない。

        「息子は、公立小学校は合わないだろうな、、」と 思っていたのに、 フリースクールにも、合いそうな私立学校にも、 通わせることができませんでした。 それは、わたしの経済的な問題です。 「息子に合う場をつくろう」と思わなかったのは、 わたしの自信や覚悟のなさが問題です。 つまり、 息子の不登校は、わたしがつくったのです。 息子は、ぜんぜん関係がありません。 経済的に厳しいからと 仕事を変えたり、増やしたり、 お金を借りたり、もらったり、 ただ問題を改善解決すること

        • 【不登校】「学校に行きたくない」から始める親子のしあわせ

          「学校」は、子どもが「自分の幸せ」「自分らしい人生」 「自分の活かし方」を知ったり、知るために好奇心を育んだり、 自分で決めて、何かの練習をしたり、 鍛錬する場ではないですよね。 学校は、学校の目的があって、 わたしたち、親の目的とはぜんぜん違うのですけれど、 つい同じように錯覚をして 期待をしてしまうことがあるなと感じます。 不登校をきっかけに、考えること、 思い出すことがたくさんあると思います。 子どもが生まれた時、 わたしたちは、子どもになにを望んだでしょう

        「わたしがガマンをすれば」誰かを幸せにする方法が変わった時代を生きる

          「発達障がい」よりも「自己否定」に困ってきた40年

          わたしは、自閉症スペクトラム症ですが、 自分らしさの中に「自閉症」があると認められたのは40歳過ぎてからです。 自分を認め受け入れることは、 「早い方がいい!」とつくづく思います。 わたしも、まだまだですけれど、 小学生の時から「自閉症」や「ADHD」と 言われる「発達障がい」の部分を 否定して隠していたことは まちがっていました。 大学を卒業して上場企業に入社して、 国家資格を取得して、資格を活かして働いて、 20代後半で年収600万円、 社内結婚。 「正解」

          「発達障がい」よりも「自己否定」に困ってきた40年

          正直に、素直に、自分を表現した結果が不登校

          子どもが、 どんなに明るくしていても、 サボっているようにみえても、 舐めているようにみえても、 「良心」があって、「真心」があって、 「向上心」も「好奇心」もあって、 誰かの役に立って、誰かをしあわせにして、 自分もしあわせになりたいと思っているもの。 学校に行っていても、行かなくても、 それは同じ。 わたしは、自分が今でいう「発達障がい」だと 気づいてから、 ずっと 「こんなわたしでごめんなさい!」 「生まれてきてごめんなさい」をベースに生きてきました。 もの

          正直に、素直に、自分を表現した結果が不登校

          学校に行けない、行かない理由は、自分でもわからない。

          わたしにとって、学校生活はかなり大変な冒険でした。 例えば、歴史を学ぶこと。 縄文時代から弥生時代、、、と もう、ずっと「争い」の物語を 聞かされているようで、 学べば学ぶほど、 人間に対する不信感が増すばかりで、 ほんとうに、怖くてしかたがなかったです。 「人は怖くて野蛮な存在だから、気をつけましょう」って 言いたいの? 「情熱をもって生きることは、危険なことですよ」って 注意しているの? 「これからの未来も、ずっと争いが続きますよ」って 伝えたいの? と、た

          学校に行けない、行かない理由は、自分でもわからない。

          自分を信じること。母親を信じ直すこと。

          わたしの母は、専業主婦でいましたが、 60歳を過ぎてから勤めに出て、約12年間働いていました。 ずっとボランティア活動などしていたので、 もともと社会性が高い母ではあったものの、 一度も働いたことがない中、60歳から就職をして、 今年には独学で勉強し「社会福祉士」という資格に合格をして、 こうしたチャレンジ精神は見習っているところのひとつです。 自分が何歳であっても、 年齢や経験のなさや、いろんな言い訳をせずに とにかくやってみる、とにかく進んでみることを教えてくれま

          自分を信じること。母親を信じ直すこと。

          【不登校】一番の後悔は、子どもを無理やり行かせようとしたこと

          「子どもは、学校に行くこと」が正しい、 「子どもを、学校に行かせること」が正しい。 「不登校」は「まちがい」。 「不登校」は「問題」。 これらの思い込みや 「まちがい」をした時の「恐怖心」で とにかく「学校に行ってくれさえすればいい」と 自分の都合を押しつけたことが、わたしの一番の後悔です。 どうして、息子の気もちに寄り添えなかったのか。 なんで、自分の保身や自分の都合のために 子どもに負担を負わせようとしたのか、 後悔してもしても、自分が許せませんでした。 自分を

          【不登校】一番の後悔は、子どもを無理やり行かせようとしたこと

          誰にでもある「わたしの夢」の見つけ方

          自分には夢がない、想いがない。 いいところがない、できることがない、 やりたいことがない、好きなことがわからない、、、 大人になると、ほんとうに「自分のことが全然わかってないんだな」 と、気がつく機会がありました。 子どもの頃から、いろんなことを諦めて、 自分の地図が塗りつぶされていたり、 自分の可能性をちがう描き方をしているからなのだと思います。 わたしはずっと「自分には夢なんてない」と思っていました。 たまたま「夢」を持てる人がいるだけで、 ほとんどの人には「ない」

          誰にでもある「わたしの夢」の見つけ方

          「大きくなったら何になりたい?」と聞くこと、聞かれること

          子どもの頃に、「将来の夢はなんですか?」「大きくなったら、なにになりたい?」と聞かれることは、とても困ることでした。 みんな、困っていなかったのかなぁ、、なんて思ってしまいます。 自分が大人になることなんて、まったく想像できなかったし、 どんな仕事があるのかも、どんなことをしている自分がしあわせなのかも、 なーんにもわからなくて、 「パン屋さん、ケーキ屋さんとかが、よさそうかな?」とか 「どういえば、おかしくないのかな?」「なにが正解かな?」と考えて、 きちんと答えと理

          「大きくなったら何になりたい?」と聞くこと、聞かれること

          優越感も劣等感も、気のせいだから

          わたしは4人兄弟ですが、 子どもの頃から、わたしは兄弟と「比べられる」ことが ほとんどありませんでした。 弟が3人で、同性がいないことも理由にあるかもしれませんが、 親に「比べられ」ることがなかったことは、 自分自身に安心して生きるために、 いかに大事なことかを身をもって実感しています。 母も、兄と弟がいて「女は自分ひとり」という環境で 育っているので、経験を通してか、無自覚にかはわからないけれど、 「比べない」環境で育つことは、とてもよかったです。 なので、一歩家を出

          優越感も劣等感も、気のせいだから

          子どもを大切に想う気もちが「心配」では伝わらない理由

          わたしたちは、 「心配をすること」=「愛していること」「大切に想うからすること」 と、体験で学んできています。   子どもが不登校になった時にも、 勉強に遅れることを心配し、人間関係を築けなくなることを心配し、 将来を心配し、とにかく心配でいてもたってもいられなくなるもので、 わたしも、ありとあらゆることを心配して、いろんなことを考えました。 当時は必死でいたけれど、 心配されることはとても気が重いことで、 息子自身、ただでさえ考えることがあるのに さらに不安に追い込んでし

          子どもを大切に想う気もちが「心配」では伝わらない理由

          誰でもみんな「母親失格」からスタートするのだから

          「出産」というのは、本当に大きなインパクトがありますよね。 女性の身体は、受精をしてから、体内で赤ちゃんを育て始めて、 物凄く食べたくなったり、食べられなくなったり、毛深くなったり、 胸は大きくなるし張るし、母乳が出たり、、 とにかく、それまでにない大きな変化をするし、 ずっと変化をし続けていき、、 「これまで通りの自分」を生きることが とても、難しくなることを実感しました。 そして、心ももちろん大きく変化をして、 赤ちゃんのお世話をしながら、 それまでに感じたことのな

          誰でもみんな「母親失格」からスタートするのだから

          誰かを「責める」ことを終えるきっかけが「不登校」

          結婚をする時には「どんな夫婦でいたいのか」「どんな家庭にしたいのか」自分なりに思い描くように、 子どもの学校も「どんな学びの場がいいのか」「どんな学びを伝えたいのか」「どんなことを学びたいのか」を、親も子も、きっと思い描いていく時代がくるのだろうと思います。 不登校を決めた子どもたちは、一足先に決断をして、 後から続く仲間たちのために道をつくっているようにさえ感じます。 そんな勇気ある子どもたちを、全力でサポートしていきます。 「学校のことは、学校の先生にお任せ」と、

          誰かを「責める」ことを終えるきっかけが「不登校」

          わたしが学校が苦手だった3つの理由

          わたしは、公立の小学校、中学校、高校へ通って、 さらに、卒業後は私立大学に通って卒業しているのですが、 小学1年生の時に幻滅して以来、ずっと苦手でした。 とっても個人的なその理由を3つほど、挙げたいと思います。 まず、ひとつが「年上の人と、遊びたい!」が叶わなかったこと。 わたしは弟が3人いて、 家では年下の弟たちに合わせて遊ぶことが多かったので、 小学校に行ったら年上の人と一緒に遊ぶことを とても楽しみにしていました。 「姉」ではない、自分で遊びたい!!と、 期待に

          わたしが学校が苦手だった3つの理由