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大阪の医療崩壊が、医療崩壊という言葉を使わずに詳しく解説されている件

▼2021年5月16日付の朝日新聞で、大阪の医療崩壊をくわしく報道していた。ただし、医療崩壊という言葉を使わず。

代わりに、「目詰まり」という、それこそ奥歯に何か詰まっているような、わかりにくい言葉を見出しに使っている。

〈大阪の医療態勢、目詰まり/病床逼迫 患者の振り分け滞る〉

▼気になったのは、ここからで、この「目詰まり」という言葉、じつは、本文記事で使われていない。

なぜ、記事本文で使っていない言葉を、見出しに使うのだろうか。ナゾだ。記事でも一言使えばいいのに。

▼記事を読むと、保健所やフォローアップセンターという機関で、患者を振り分けるのだが、その振り分けが滞(とどこお)っている切羽詰(せっぱつ)まった状況が書かれている。

おそらく、小さな見出しにある〈病床逼迫 患者の振り分け滞る〉という事実を元にして、大きな見出しに〈目詰まり〉を選んだのだろう。

▼報道記事で、本文に無い言葉を見出しに使うのは、見出しを考える人が、事実を事実のまま報道することを、何らかの事情で、ためらっているからだろう。

その力学はよくわからないが、福島第一原発の爆発時と同じ雰囲気を感じた。あの時は、数日で起こった大災害。今は、ゆっくりと起こる大災害。

▼事実を報道して、その事実の意味を報じない姿勢は、人の意識に意味の空白をつくってしまう。

その空白に、荒唐無稽な意味を刷り込むフェイクニュースや陰謀論が流れ込む。

お互いに用心したい。

▼医療崩壊という言葉は、とても強い言葉だ。だからだろうか、使うメディアは少ない。

▼東日本大震災で、福島第一原発がメルトダウンした、あの時も、メルトダウンという、わかりやすい強い言葉は、とくにテレビでは、ほとんど使われなかった。

▼厳しい状況であることを共有するためには、正確な言葉を使う必要がある。いまの大阪を表す正確な言葉は、医療崩壊だ。

たとえばインドの惨状と比べれば、医療崩壊とは言えない、といった判断も、あるのだろうか。

それとも、あくまでも保健所などの振り分けがうまくいっていないだけで、それは医療崩壊とは呼べない、ということだろうか。

▼では、朝日の記事。適宜太字。

〈大阪の医療態勢、目詰まり/病床逼迫 患者の振り分け滞る〉

〈新型コロナウイルス感染者の死者が急増している大阪府。病床の逼迫(ひっぱく)で、必要な治療をすぐに受けられない人もいる。療養中の感染者に対する入院者の割合「入院率」がわずか10%にとどまる現場で、いま何が起きているのか。〉

▼この記事では、4月の段階で「(患者の治療に優先順位をつける)トリアージをせざるを得ない状況も起きていた」(大阪府の保健所幹部)ことや、変異株について「自分が若いから大丈夫だ、というのは明らかな間違い」(大阪医科薬科大学病院の南敏明院長)であることが報じられている。

最もわかりやすいのは、りんくう総合医療センターの感染症センター長、倭(やまと)正也氏の「自宅で亡くなられたり、亡くなってから感染の診断がついたりと、適切な治療が間に合っていないのが実情だ」というコメントだった。

トリアージせざるをえなくなったり、そもそも診断ができなかったり、そういう状況は、医療崩壊と呼ぶのではないだろうか。

▼もしかしたら、朝日新聞に限らず、風前の灯の東京オリンピックを前にして、現状を見たくない、という「否認」の傾向が、マスメディアにも、あるのではなかろうか。

▼無意識の裡(うち)に、なんとなく「否認」が社会的な趨勢(すうせい)になっているのだとしたら、日本は「縁起でもないことを言うな」という言葉が今もなお生き生きと生きている、十分すぎるほど「言霊の幸(さき)はう国」なのかもしれない。

(2021年5月16日)

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