見出し画像

「鬼滅の刃」が人身売買を考えるきっかけになっている話

▼大ヒットマンガ「鬼滅の刃」をめぐる面白い記事があった。2022年1月6日付東京新聞夕刊〈吉原観光 若者も全集中〉。太田理英子記者。

「鬼滅の刃」の人気によって、「吉原」の遊郭跡、つまり人身売買の歴史に光が当たっているそうだ。

江戸時代に幕府公認の遊郭として栄え、華やかな文化が花開いた吉原(東京都台東区)の歴史が観光資源として注目されている。(中略)街歩きする若者や親子連れが増えた〉という。

▼「鬼滅の刃」のアニメ版「遊郭編」は、2021年12月から放送が始まった。ufotableの映像は、これまでと同じく抜群に素晴らしい。このアニメなどの影響で、吉原見物の観光客が増えた。

とくに、親子で歩く例が増えているのが珍しい。けっこうなことだ。

▼記事で具体的に出てくるのは、〈母親、弟と見学に訪れた愛知県尾張旭市の中学2年、曲尾(まがりお)琉菜さん(13)は「鬼滅」のファンという。「『堕姫(だき)』(遊女に扮した鬼のキャラクター)がとてもきれい。吉原の歴史を知りたかったと話した。

▼「吉原」という幕府公認の歓楽街は、最盛期には3000人もの遊女がいたという。〈1958年の売春防止法施行で遊郭は廃止、その後、ソープランド街へと姿を変えていく。

ここで、現代からの視点で、遊郭=ソープランド=性産業と短絡(たんらく)してしまえば、遊郭のもっていた文化伝承の魅力はごっそり削られてしまう。

記事は、その短絡を避けて「吉原は、歌舞伎や落語、浮世絵などの題材にされ、江戸文化の発祥の地。この場所での歴史を伝えていきたい」という街歩きツアーのガイドの声を拾っている。

▼今も歓楽街から生まれる文化、社会風俗はあるが、吉原がもっていたさまざまな芸術への波及力を考える時、比較の対象になる街は、残念ながら今の日本のどこにもない。それは、たとえば「鬼滅の刃」の「遊郭編」エンディングで映し出される美しい帯の多様さを一見すればわかる。

▼「遊郭」の歴史を知ろうとする時、「近代」とか「国家」とか「公序良俗」という厄介な問題がそびえたつのだが、それらにぶつかるずっと前に、親子で吉原観光に来た人は、まず

(1)今の台東区には「吉原」の痕跡は「ほとんど何も残っていない」

ことに気づくだろう。そのうえで、

(2)アニメやマンガを見て、子どもたちが発するさまざまな疑問、質問

に、親はどう答えるのだろう。なにかいいガイドブックがあるだろうか。

▼まず、「公序良俗」にひっかかる事跡について、行政が徹底的に痕跡を消してしまったことが悔やまれる。

「赤線」という言葉すら、ほとんど日本人の記憶から消え去ってしまった。

「人身売買」の過酷な歴史の痕跡と、その土台の上に花開いた文化と。その両方が消えてしまった。

▼そして、それらを調べて子どもの好奇心に対応するために幾許(いくばく)かの知識を得たとして、それをどうやって子どもに話すか。現代社会が「近代化」によって変容してしまったがゆえの、難問奇問が残る。

▼ひとつの解決策は、遊郭から生まれた文化の豊かさを列挙することだろう。先のガイド役が言及していた「歌舞伎や落語、浮世絵など」について、幾つか、中学生がわかるように話すことができるか。そこに、予想外の大ヒットから生まれた好奇心に応えるヒントがある。遊郭を舞台にしたいい小説も、たくさんある。

▼「歌舞伎や落語、浮世絵など」の「など」には、「春画」という、日本が世界に誇る芸術も含まれる。筆者はここを強調したい。

これらの作品群に触れれば、自然に「現代の秩序」を相対化する機縁に触れていることになる。尤(もっと)も、触れていることに気づくか気づかないかは、人によるのだが。

▼これを「言葉」の切り口で考えれば、性産業を「風俗」という一言でくくるようになり、ひるがえって「風俗」という言葉が本来持っていた豊かさを狭めてしまった愚(ぐ)に気づくきっかけになる。

また、「猥褻(わいせつ)」という、国家が整えた概念を、どう扱うかによっても、子どもへの対応は変わるし、「鬼滅の刃」を語る態度も変わる。

ちなみに「猥褻」とは、「人々が着る普段着」という意味である。

だから、「猥褻」を蔑(さげず)む視線は、必然的に「人々の生活」「人々の暮らし」をないがしろにする態度につながると筆者は考えるが、これはまた稿を改めよう。

▼「遊郭」をめぐる文化については、考える材料は身近にけっこうたくさんある。数日前にテレビの地上波で放映された映画「千と千尋の神隠し」もその好例だ。この映画も、歴史に残る大ヒットとなった。映画に登場する「湯屋」を見れば、それは遊郭そのものであることがわかる。また、キャバクラも含めた性産業を舞台のモデルにしたことを、作り手が証言している。

▼何よりもコロナ禍に「遊郭」の歴史を振り返るなら、「現代の性産業」の過酷な現実に直結するし、「人身売買」の歴史と現実を考えるきっかけにもなる。

「性産業の危機」は海外でも同じだ。BBCが2020年9月4日に報道した、

〈欧州最大規模のドイツ売春施設、破産申請 新型ウイルス規制が影響〉

という記事も記憶に新しい。コロナ禍によって、ケルンのランドマークになっていた「パシャ」という売春施設が破産申請したのだ。

ヨーロッパ最大規模のドイツの売春施設が破産を申請した。同国の新型コロナウイルス対策の影響で、経営難に陥っていた。地元メディアが3日、報じた。破産申請したのは、ドイツ西部ケルンにある売春施設パシャ。建物は高さ10階を超え、同市の主要ランドマークの1つになっている。施設責任者のアルミン・ロプシャイト氏は、「おしまいだ」と地元紙エクスプレスに述べた。ドイツでは売春は合法だが、新型ウイルスの大規模流行が発生すると、ケルンのあるノルトライン=ヴェストファーレン州は法律で禁止した。

売春施設の閉鎖により、性労働者が地下に潜り、より大きな危険に直面する恐れを懸念する声も上がっている。

パシャでは通常、120人近い性労働者が働いている。そのほか、調理師や美容師など約60人の従業員がいる。(後略)〉(英語記事 One of Europe's biggest brothels goes bust)

▼人間の文化には、人間の「色」と「欲」の上に紡(つむ)がれてきたものがたくさんある。「鬼滅の刃」の想像を超える大ヒットは、そのことを思い出させてくれる。同時に、それらの文化が「たった今」、壊れていくことについて思索をめぐらすだけの余裕を、日本社会が失っているかもしれないことにも、気づかせてくれる。

これらの話は、「鬼滅の刃」に関わるクリエイターたちのほとんど意図せぬところだろう。それが面白い。

(2022年1月9日)
(2022年1月12日追記)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?