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平成から令和へ(外部記憶編)

何度カレンダーを見ても、誰に聞いても、今日は4月29日。
最初は連休に入っていることも納得できない。
2019年4月末という事実が受け入れられないのだ。

それでも、受け入れるしかない。

幼馴染のRさんに連絡し、ヘルプを頼んだ。
支離滅裂なわたしの話を1時間ほど聞いてくれた。
自分の現状を話したところ、根拠なく?大丈夫だと言ってくれた。
医師でも看護士でもないが、病気や怪我に詳しい。

同じチームのSさんにも電話でヘルプを頼んだ。
すぐにMさんにもお願いした。

この3人に連絡できたことで、あぁ寝ていられるなぁと心から安心できた。
3人に感謝するとともに、そういう仲間を持てた自分も誉めたくなった。

電話のやりとりは、意味のわからないものだったようだ。
途中、泣いて電話を切ったときもあったらしい。
言っていることも支離滅裂だったが、最初に必要な用件は伝えることができたと思う。手元にタブレットを置きながら、話したからだ。

わたしは会社を辞めたあと、すべての予定をスケジューラに入れている。郵便局に行くこと、銀行で振り込むこと、他のひとが担当する案件納期、新月・満月、など。数日の記憶がないままの状態でも、前から決まっていることはしっかり覚えているのと、何より、責任というものは記憶ではないどこかに染みついていたようだ。

危機をまたひとつ乗り越えたのは、外部記憶がきちんと残っていたのが理由の1つであった。それならば、この今の状況も外部記憶に残したい。わたしのいまの状況、どこが痛くて、どんな気持ちでいるか。

しかし問題があった。右半身を打撲していて、そこには右肘も含まれていて、文字入力が難しいのだ。

  そうだ、入力できないかわりに、音声入力で残そう。

その日の出来事をスマホに向かって話そうと慌てて準備した。


そうだ!残すなら昨日のことからだ!

昨日はなんだったけ?
えーと、えーと、昨日・・・
昨日は4月26日だっけ?あれ?何曜日だろう?
わからない。なぜわからないのだろう。
もう連休だったかな?

ピピッ!
音声入力の待機が終わる音がした。

なぜスマホを持っているんだろうか。
何のために音声入力の画面になってるんだろうか。
わからない!うぇーん!!


これを繰り返しながら、少しずつ、音声入力を残した。


4月29日の感動は、外部記憶が役に立ったこと。

わたしは自分のCPUと主記憶とキャッシュを信頼していない分、ちゃんと外部記憶に残していた。

コンピュータの勉強をしていて本当によかったと、2日目もまた感動した。

電源が切れ、リセットされたわたし。

右半身が痛んで自由に身動きができない。
大事なことはちゃんと残っているのだから、どうにでもなる。


人間を模したコンピュータ、なんてすごいんだろう。
そのコンピュータを学んでいたことで
自分の状況を把握できるわたしは、コンピュータに感謝。


そう思えたことで、またひとつ不安が軽くなった。

高性能・高機能のひとなら、外部記憶にここまで頼っていなかったかもしれない。自分を過信していないわたしは、全体的にはよく設計されている。

そんなことを考えながら、音声入力でつぶやいた。


「それで結局きょうは何月何日だっけ?」


平成から令和へ(フラグメンテーション編)につづく。

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