マガジンのカバー画像

クリエイティブの源泉

8
未来学者アルビン・トフラーの「生産消費者 (prosumer) 」という概念に準えて、「人は何をきっかけにつくる人になるのか?」ということについて考察しています。
運営しているクリエイター

記事一覧

自分の頭で考える

仕事をしていると「どうすればいいですか?」という、あたかもこちらが最適解を知っているかのような問いを受けることがよくあります。 私も全知全能の民ではないので、分からないことはたくさんあります。しかし脳は空白を嫌うので、自分の知識や経験から当てはまりそうな答えを探して、どうにかこうにか回答を導き出します。 このような質問をされると、脳のリソースを吸い取られてぐったりします。ですが、毎日のように「どうすればいいですか?」と向き合っているうちに、考えて決断することが上達していく

「難しい」で終わらせない

ニューヨーク・タイムズの「2024年に行くべき52カ所」で3番目に取り上げられ、にわかに浮き足立っている山口市に早速新たな名物が誕生しました。 山口市湯田温泉の観光誘客事業を企画する山口フェス実行委員会は、2月から飲食店複合施設「こんこん山」で販売する、白狐の形をしたチーズプリン「湯田温泉プリン」を開発しました。 湯田温泉の白狐伝説湯田温泉の起こりは、室町時代の三十世大内義興公の時代にまでさかのぼります。 村のお寺にあった小さな池に、ケガをした一匹の白狐が毎晩傷ついた足

ものづくりが人をつなぐ

今週末は「Global Goals Jam Yamaguchi / Shunan 2023」に参加中です。 国際的な市民参加型ワークショップGGJGlobal Goals Jam は、持続可能な開発目標、 SDGs(Sustainable Development Goals)の達成に向け、グローバルな視点で持続可能性を考え、ローカルな課題解決のアイデアを生み出す国際的な市民参加型ワークショップです。 2日間のグループワークを通じて、SDGs へと繋がるサービス・プロダクト

選ばれる理由をつくる

2019年11月28日以来、実に4年ぶりの東京出張でした。 かつては展示会などで毎年のように東京へ行っていましたが、2020年4月の緊急事態宣言以降はオンラインへ軸足を移し、地元に居ながらにして全国から仕事を請けられる体制へとシフトしました。 環境の変化に伴って、Webの仕事はオンラインで完結できるようになり、東京へ行かなければならない理由は年々減っています。とはいえ、リアルイベントでセッションに参加したり、他の参加者と対面で話したりするという体験は、オンラインでは味わえ

報われなくても気にしない

運用にシフトしていきますよということで、早速10月にひとつイベントを企画しました。 以前紹介した「マーケティングZEN」の著者でもある、コンテンツマーケティングコンサルタント/株式会社クマベイス代表取締役CEOの田中森士さんを招聘して、古くて新しいメールマーケティングのセミナーを開催します。 山口県内では初登壇ということで、とても貴重な機会です。ビジネスで最も重要な「信頼」を獲得するための考え方が身につく内容です。「いまさらメルマガ?」と思われた方にこそ参加してほしい。

あるものを活かす

わたしたちが運営しているファブラボやまぐちという施設では、3Dプリンタやレーザーカッターなどのデジタル工作機械を、市民の皆さまに開放しています。 2015年から8年間運営していますので、それはもうたくさんの方々にご利用いただいています。ありがたい。 近年、事業で活用してくださるユーザーさんが増えてきたこともあり、どのように活用されているかをインタビュー記事として掲載し始めました。 なぜユーザーインタビューを始めたのか?端的に言うと、事業で活用してくださる方々をもっと増や

生活に寄り添う仕事

山口にファブラボを作ることに決めた2015年、台湾で開催されたものづくりの祭典「Maker Faire Taipei 2015」を見学に行きました。 当時の会場の様子を撮影した動画を見つけました。懐かしい。 その時に出会った文創という言葉を、今改めて思い返しています。 台湾で進行中の文創ムーブメント文創とは「文化創意産業」の略語で、英語ではCultural and Creative Industryと訳されます。台湾独自の伝統文化を取り入れた創作を奨励し、産業として発展

クリエイティブの源泉

ファブラボという施設を山口県山口市で運営しています。ちょうど8年前の2015年6月に、ファブラボ山口βをオープンしました。 ファブラボは、マサチューセッツ工科大学(MIT)で行われていた研究の、アウトリーチ活動としてスタートしました。Center for Bits and Atoms(CBA)の所長でもあるニール・ガーシェンフェルド教授と、メル・キング元MIT非常勤教授が、ボストンの貧困区とインドの小さな集落にラボを設置したのが始まりと言われています。 そこから、世界中の