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自分のスキルの見つけかた

前回の投稿で「スキルとは息をするようにできること」と書きました。
今回はこれについて、もう少し掘り下げていきます。

普段わたしたちは、無意識に息をしています。

「よし、呼吸するぞ」と意気込んで息をしている人は、あまりいらっしゃらないのではないでしょうか。スキルも同じで、無意識にできてしまっていることである可能性が高いです。

無意識にやっていることは、意識しないと気付くのが難しい。では、自分のスキルに気付くために、どのような点を意識すればよいのでしょうか?

スキルは職能ではない

まず大前提として、私が言うところの「スキル」は、職務遂行能力とイコールではありません。もっとプリミティブなもの、身体能力や耐性に近いものです。

なので、「デザイン」「プログラミング」といった、分かりやすい名前が付いているものであるとは限りません。また、学校やセミナーなどで、自発的に身に付けることができるものではないかもしれません。例えば「高いところに手が届く」や「人の話を黙って聞ける」といった能力も、私はスキルだと考えています。

最近読んだ「しょうもないのうりょく」というマンガでは、「果物の旬が分かる」「蚊を一撃で倒せる」といった、取るに足らない能力を「異能」という言葉で表現していました。

【異能(いのう)】人よりすぐれた才能。一風変わった独特な能力。異才。

デジタル大辞泉(小学館)

私が思うスキルは、この「異能」に近いかもしれません。
ちなみに、主人公の異能は「書類を崩さずに詰める」です。

スキルは相対評価で決まる

スキルが「人よりすぐれた才能。一風変わった独特な能力。」であるなら、その価値は他者との相対評価で決まります。他者の存在があって初めて、自分のスキルに価値が生まれるのです。

前回の記事で書いた私のスキルは「飽きずにずっとパソコンを触っていられる」でした。

それだけだと、私はただの「パソコンが好きな人」で終わってしまいますが、パソコンが苦手な人たちと一緒に仕事をすることによって、それが比較優位を持ってスキルに昇華されます。

比較優位は、経済学者のデヴィッド・リカードが提唱した、自由貿易・分業に関する理論ですが、働き方や組織のあり方にも応用できる考え方です。

自分のスキルを活かして仕事をするためには、絶対的な能力の高さよりも、相対的に比較優位が持てるポジションに身を置くことのほうが重要です。

たとえ、世界レベルで通用するスキルを持ち合わせていなくても、組織やチームの中で比較優位が持てれば、自分のスキルを存分に発揮することができるのです。

スキルは他者にポジティブな影響を与える

一方で、スキルとは「仕事上の比較優位」だけではないとも思っています。

例えば、かつての同僚であるO君は、「人事部長に顔が似ている」というスキルを持っていました。O君は関西人でノリが良かったこともあり、すぐに「部長」というあだ名で呼ばれることを受け入れ、皆を笑わせて社内の人気者になりました。

また、私の会社には「ご飯を美味しそうに食べる」というスキルを持っているスタッフがいます。今はリモートワークで一緒に外食に行く機会も減ってしまいましたが、以前はよく美味しそうに食べる姿を見たさにご飯を奢っていたものです。

このように、一緒にいる他者にポジティブな影響を与える特性は、たとえ実務には直接関係がなくても「スキル」と呼びたくなります。この類のスキルは、能動的に身に付けられるものではなく、まさに天性の才能と言えます。

スキルは関係性の中で育まれる

どうやら、私が考えるスキルとは他者との関係性のうえで成り立つものであるようです。

例えば、絵を描くのが天才的に上手い人がいたとします。しかし、その人の作品が誰の元にも届かなければ、決して評価されることはないでしょう。誰かの支えになったり、誰かに良い影響を与えたりすることで、初めてスキルとして価値が生まれると考えています。

なので、ネットでよく見かける「稼げるスキル」といった類のものには、どうしても違和感を感じてしまいます。自分が稼ぐためにスキルを身に付けるという考え方には、他者と関わるという視点が欠落しているからです。他者からの評価なしに、スキルだけが独り歩きして対価を生むことはないでしょう。言うまでもなく、対価を払ってくれるのもまた他者だからです。

多くの仕事は、他者とのやり取りで成り立っています。ぜひ、他者との関わり合いの中に、自分のスキルのたねを探してみてください。そして、一緒に仕事をするメンバーやお客様と、各々のスキルでお互いに補完し合う関係を築くことができたら、きっと今の仕事がもっと楽しくなります。

では。



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