見出し画像

キルギスから中国へ――絶食、カップ麺、「マルガリータ」

国境越えの夜行バス

前回ご紹介した、パリから上海へのユーラシア大陸横断の旅は、いよいよ大団円を迎えようとしている。最後の国境、キルギスから中国(新疆ウイグル自治区)だ。ただし、最大の難関の一つでもある。キルギスから中国へ陸路でわたるには、調べた限り二つのルートしかない。ナリン(キルギス)からトルガルト峠を抜けてカシュガル(中国)へ抜けるルートと、オシュ(キルギス)からイルケシュタム峠を越えてカシュガルへ抜けるルートだ。どちらも、天山山脈を超える過酷なルートだ。私は、結局後者を選んだ。

(私がこの旅をしたのは、2008年だが、翌年の7月、いわゆる「ウイグル騒乱」が新疆ウイグル自治区ウルムチで勃発し、新華社通信の発表だけでも死者192名、負傷者1,721名に上る犠牲者が出た。)

夜8時、オシュ郊外のバスターミナルで中国行きのバスの出発を待つ。バスターミナルと言っても、発着しているのは、この国際バスだけらしく、おまけに建物は廃墟のような真っ暗な建物だ。屋外のベンチで淋しく数人の乗客らしき人たちが待っている。「欧米」人、日本人はいない。バスはいつ出発するのだろう。乗客はこれだけだろうか。不安が募る。

現地で手に入れた情報によると、オシュからカシュガルまでは、バスで24〜30時間。しかし、(本当かどうかわからないが)特別トイレ休憩もないという。なので、念のため乗車する数時間前から絶食・絶飲することにしていた。

バスは結局9時過ぎに出発。バスは、縦に三列(両窓際と中央)二段で寝台が連なっている。寝台は棺桶のような形で、一度横になったら身動きもできないような狭さ。不潔度も(少なくとも日本的感覚では)半端ない。おそらく何ヶ月も洗濯していない布団・シーツ類。一瞬ためらったが、他にどうしようもないので、その中に横になる。しかも、夜が更けるにつれ、標高が上がるにつれ、どんどん気温が下がっていき、掛け布団で体をぐるぐる巻きにしないと眠れそうにない。背に腹は代えられないので、「汚い」布団類でぐるぐる巻きになる。

窓外には、煌煌と満月。バスのヘッドライト以外、他に明かりはない。満月の明かりに景色が仄かに浮かび上がり、見とれる。寝たり起きたり。とにかく道が舗装されていず、どんどん悪路になるので、寝ていても揺れですぐ目が覚めてしまう。しかし、満月の明かりに浮かび上がる景色に、この旅をしてよかった、と改めて思う。

それでも、少しは寝たようだ。目が覚めたら、空がかすかに明るんでいる。満月の下の景色とはまた違った趣きだ。遠くの峰々は雪にすっかり覆われている。それにしても、寒い。そろそろ標高3000メートルくらいだろうか。途中、3600メートルの峠を越えたあたりで軽く頭痛がし手足が痺れてきた。高山病だろうか。深呼吸を繰り返し、手足をマッサージしているうちに、何とか治ってきた。棺桶のように狭いベッドに体を押し込んでいたので、単に痺れただけかもしれない。

困難を極めた国境越え

キルギス側の国境に到着。運転手が乗客の出国手続きを一括して処理してくれる。中国側の入国手続きは如何。2時間ほど、バスの中、周囲で待機させられる。

ようやく検問の係官たちが10人ほど、車に乗りこんでくる。まずバスの内部・外部の徹底検査。荷物もすべて土埃だらけの路上に出させられ開かされ、執拗にチェックされる。私は、将来妻となる女性から旅のお守りにとなぜか白い小さなコリラックマのぬいぐるみをもらっていたのだが、こんな「おじさん」が持っていたからなのか、特に係官のボスらしき人物から大いに疑惑を持たれ、権力を笠に来た有無を言わさぬ意地悪な目つきでコリラックマの「腹」を指で押しながら、中国語で執拗に質問し、ナイフを取り出し「腹」を引き裂こうとする。こちらも英語で必死にフィアンセからもらった大事なプレゼントだと強硬に主張する。もちろん言語的にお互いの言っていることは全くわからないのだが、私の思いの「強さ」の方が勝ち、コリラックマは無事私の手に戻る。(おそらく、「腹」の中のビーズ(?)の感触がある種のドラッグか弾丸に似ていたのだろう。)

バスの底部の荷物置き場にあった私のバッグは、昨日からの埃っぽい悪路のせいで「真っ白」に、旅の「汚れ」で覆われている。それにしても、旅とは、ある意味で「汚れる」こと、訪れた地の「汚れ」に身を晒し、かつ馴染むことなのではないか。その地その地で固有の「汚れ方」がある。「汚れ方」が、自らの慣れている、身に沁みている「方」と異なれば異なるほど、それは衝撃を与え、少なくとも最初は嫌悪感、拒否反応を引き起こす(例えばトイレの「汚れ方」)。しかし、それを嫌悪、拒否し続けていては、旅が成り立たない。それを乗り越えなくてはならない。それに身を馴染ませる、それに徐々に同一化していかなくてはならない。逆に言えば、その“馴染み”、同一化の行為は、それまで自分に同一化している(ほとんど無意識と化している)「汚れ方」を部分的にも壊し、“捨てる”ことを意味する。

今回の寝台バスは、その点私にとって未知の「汚れ方」だった。最初見た瞬間、嫌悪を催した布団類が、それに仕方なく馴染むにつれ、それが全身を包むにつれ、終いにはぬくぬくと気持ちよくさえなっていった。

さて、どうにか荷物検査は終わるが、次に入国審査と検疫が待ち構えている。何人かの乗客が足止めを食っているらしく、待てど暮らせど埒があかない。仕方なく車内でゴロゴロしているが、かれこれ30時間以上飲まず食わずだったので、空腹が限界に達し、頭痛さえしてくる。近くの売店らしき店に走り、添加物たっぷりの体に悪そうな菓子と緑茶を買ってくる。その月餅のようなボソボソの菓子を貪るように食べながら、ケミカルな味のする甘い緑茶を一気飲みする。こんなものでも、空腹が限界に達すると、美味しく感じるのは、不思議だ。

さらに待つこと2時間、国境で計5時間。カシュガルに着いたのは、夜10時半ごろ。タクシーに乗り、ホテルにチェックイン。深夜で、レストランは徒歩圏内になさそうなので、近くの売店で、冷えたビールとカップ麺(他にお腹に溜まりそうなものは売っていなかった)を買う。部屋に戻り、一人で乾杯! 「新疆ビール」がやたらと旨く感じる。あっという間に大瓶を空ける。カップ麺、何と久しぶりだろう(4,5年ぶり?)。辛くて不味いが、一応(スープ以外)全部食べる。

ウルムチの「マルガリータ」

翌日、さっそく夜行列車に乗り、新疆ウイグル自治区の中心都市ウルムチに向かう。予約してあった駅近くのホテルに向かう。フロントにフランス人青年(名前を「バンジャマン」という)がいたので、二人で一泊60元の部屋(共同トイレ・シャワー)をシェアすることにする。部屋には最低限の設備のみ、古い。共同トイレはしゃがんで辛うじて姿が見えない程度のドアしかついていない。しかも鍵がない。これまでで一番辛い条件か。

夕食は、バンジャマンと外出。彼が、昼間見つけたバーに連れて行きたいという。途中、煌煌と照らされた屋台街に遭遇。その一軒で食べることに。海は遥か遠いはずなのに、魚介類が新鮮そう。魚のグリル、シャコ、海老、ザリガニなどの炒め物を頼む。頼み方を勘違いして頼みすぎ。しかし何とかほぼ完食。〆て160元。屋台の割りに高い。二人でやられた!と思ったが(頼む前に値段を聞かなかった)、仕方なく払う。

バーまでさらに歩く。けっこうな距離だ。でも、やがて着く。内部は、アメリカのバーを真似したような作り。久しぶりにウォーターパイプをやる。カクテルの「マルガリータ」を頼む。しかし、目の前に運ばれてきたのは、なんとピザの「マルゲリータ」だった! しかし、英語が通じたので、勘違いを説明すると、問題なく「マルガリータ」に変えてくれる。バンジャマンと、互いの旅における「特別な」、「絶対的な」経験を語り合いながら、夜が更けていく…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?