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すすきのの静かな夜【コロナウイルス/緊急事態宣言】

2020年2月29日21:30、夜のすすきのを歩く。

すすきのと言えば、言わずと知れた歓楽街だ。
普段は、酔っぱらいとネオン達で賑わっている。
千鳥足や派手な色彩が目を楽しめるとともに、耳にはかまびすしさが山積する。
それがすすきのという街だ。

「緊急事態宣言」下の歓楽街は異常だ。
すすきのが閑散としている。
人通りは何時もの5分の1といったくらいであろうか。
今日はネオンだけがやかましくしている。
これまでにない程に降る雪が居場所を得ている。

札幌市内では、12人もの方の感染が報告されている。
もうどこにウイルス共が潜んでいるか知らない。
あらゆる客体が不審になる。人も物も。
過剰なリアクションかもしれない。
情報に惑わされているのかもしれない。
だが、この不審感というのは、僕だけが所有するものではないようだ。

支払いの為に財布の小銭を漁る。
定員に手渡したそれも、お釣りとして返されたそれも、誰の手を経て来たか、そんなことわからない。
普段は考えも及ばないような妄像が脳内を流れる。
「ハレとケ」で言うところの「ケ」を現在していることを感じる。

僕は、コロナウイルスのことをよく知らない。
いや、勿論、症状や拡大状況等、報じられているレベルのことくらいは一応知っているつもりだ。
しかし、僕は、それをこの肉眼で直接見たこともないし、(多分)触れたこともない。
言わずもがな、感じたこともない。
だから、僕は、それを知らない。

こういう状況においては、自分も感染者だと仮定して生きなばならないような気になる。
まあ、生活に支障にならない程度に。
感染者を増やさない為にも。

さて、そんな閑散としたすすきのにも人がいない訳ではない。
キャッチも数々少ない仮想客に、若干の諦観を浮かべつつ、声を張っている。
こういう時に、さっぱり諦めが付く人を羨ましく思う。
「かかるもんはかかるし、かからんもんはかからん!」的な感じで、何時も通りに呑んで騒ぐ。
九鬼周造も『いきの構造』に"諦め"を挙げているが、それが日本人の美徳なのかもしれない。
そんなことを思うと、自分がまた、日本人としてのアイデンティティを欠いているようで、なんとなく虚しくなったりする。
言っても、九鬼さんがどんな文脈で"諦め"を語っていたのかも覚えていないのだけど。
それはそれで、また虚しい気分になる。

こんなことが起こるのは、きっと暫時的だ。
それこそ、緊急事態だ。
類似した現象は起こる可能性はあるのだが、現象を捉える主観は、段々と変化している。
要は、この光景は刹那的だ。
そんな感傷を、今の主観を、なんとなく記録しておきたい気になって、内容のないことをざっくばらんにズラズラ書き連ねている。
中身がなくてもなんとなく面白いものをツクる能力が、この時代に求められているから、その訓練も兼ねて。
そんな雑記でございました。
失礼致しました。(以上)

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