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悔しい読書

本の世界(沼とも言う)に片足を踏み入れた思い出を語る。きっかけは退屈に殺されそうだった頭の悪い高校生の頃だった。

実家にある蔵書は「特攻の拓」「カメレオン」「湘南純愛組」、唯一活字らしい活字だったのは「週刊現代」くらいだったと記憶している。活字なんてものはゲームの説明書と漫画の後書きでしか読んだ覚えがない。

そんな環境で知識を得る事は魔界村をノーダメージでクリアするくらいには難しく、もちろん絶望的に活字は理解できなかった。

古典の授業は、じっと椅子に座りただひたすら時計の針が進むのを待つ苦行でしかなかった。
かといって盗んだバイクで走り出したり授業をサボる度胸もなかったし、漫画でも忍ばせて読む度胸もなかった。

無駄に効率厨を発揮し、現代文のところでも読んでいればちょっとはマシに時間が潰せるんじゃないかと思い読んだのが、夏目漱石のこころだった。千円札でしか見たことのないヒゲのオッさんが書いた小説。とりあえず書いた人の顔は知ってる。

ふん、面白いじゃないか。

最後まで本心をさらけだす事なく、どうにもできない思いと心中する先生がちょっとかっこいいんじゃなかと思った。悪魔を閉じ込めそれを悟られる前に心中する。どうにもならない思いを暴力で発散させることなく、とことんまで対峙して刺し違える。先生、マジでロックしてる。

自分の人生そのものが売り物になる時代になって、これだけインターネットが大好きだけれど、それでもどこか一歩引いて鎧を身につけているのは先生の影響がある。

読後感もそこそこに、簡単に胸糞悪くなりそうな他の本でも読んでみようか。

「パンと飲み物買うから200円くれ」
節約の為に昼飯をガム半分で済まして300円ほど貯蓄して本屋に向かった。

LUNA SEAの曲と同じタイトルじゃん、そう思って「限りなく透明に近いブルー」を手に取った。

無知は恐ろしい。無敵と書いてEXTACYと読むように、若いと書いて馬鹿と読むのはこれか。

薄いから読みきれそう、と安易な理由でレジに走った事を猛烈に後悔するほどに、生々しく難解で胸糞悪くなる物語に、少しずつハマっていった。

原田宗典、山田詠美、吉本ばなな、五木寛之、岩井俊二、、、、、なんとなく読みやすそうで新古で100円で買える。買う理由はそれで充分だった。

育ち盛りの体を構成する栄養素はそこそこに、小渕コインと小泉コインは次々と紙と文字に化けていった。

1時間に1本しかない電車に揺られて通う田舎の大学への通学、千葉から青春18切符で12時間鈍行を乗り継いで向かう盛岡、バンド練習の帰り池袋から川越に向かう日曜の最終電車、リハーサルの合間に抜け出して行った四ッ谷のスタバ。隙を見つけては本を読んでいった。

旅は観光よりも旅先の喫茶店と、行き帰りの乗り物でゆっくり読書に浸る事を楽しみにしていた。沖縄に行っても雨を眺めて本を読むくらいしかしない。

今にして思えば古典文学まで掘り下げておけばよかったと思わないでもないが、それでもこんな知識のアーカイブ沼に引きずり込んだ本というアイテムには、それなりに感謝している。

随分と意識が高い大人になったことにも。

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#コラム #読書 #エッセイ

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