近松秋江は「情けない」かもしれないが言文一致は主客を転倒させる

日本の自然主義文学に関心があるので少しだけ読んでみました。
どうやら斯界では島崎藤村と徳田秋声が双璧のようなのです。
当時の所謂「文壇」では自然主義が幅をきかせていたようですが、所詮「文壇」などは狭い世界であり一般的な読者の人気は夏目漱石や森鴎外にあったようです。漱石や鴎外は帝国大学出身のエリートで「余裕派」とか「低徊派」と文壇からは侮蔑含みで称されます。
どちらかといえば藤村ら文壇の方が敵愾心をもっていたように思えます。
実際に漱石は藤村の『破戒』を高く評価していたようですが漱石が人を介して藤村に対話を求めたのに対し藤村は固辞したとのエピソードがあるほどです。

そうはいっても、自然主義文学への風当たりも強かったようです。初めて夏目漱石の伝記を書いたとされる赤木桁平が『「遊蕩文学」の撲滅』という短い論評を読売新聞に掲載していますが、自然主義文学全般を目の敵にしています。
特に近松秋江の著作を「乞食文学」と断罪していて、作品だけではなく作者の人格も併せて攻撃しています。尤も自然主義文学が作者本人の日常を「露悪的」に暴露することを方法論としているので、書き手と作品を別けて評価することはできません。作品を貶せば同時に作者の言動を批判することになります。
作者が問題を惹起しても作品の価値は別であるということがそもそも成り立たないのが自然主義文学の特質でもあります。

この経路から「私小説」というある意味日本独自のジャンルが成立していくのですが、善悪の悪に就いて、特に本来秘匿しておくべき羞恥の根源を自ら小説の形式で告白する分野が「私小説」であり当然、自然主義文学とは相性が良いわけです。
日本では葛西善蔵や弟子筋にあたる嘉村磯多が私小説の極北に位置していて、「駄目な奴」扱いをされながらも「駄目過ぎて逆に凄い」的な称賛のされ方もされます。現在でも純文学界隈では珍重されたりもするので話はややこしかったりもします。

田山花袋の『蒲団』が性的な嗜好の自己暴露だったのに対して、「私小説」は貧困による生活の崩壊の方に舵を切ります。
作者の実体験を脚色を排し実感に基づく範囲に作品世界を限定します。葛西善蔵や嘉村磯多が貧乏過ぎて修行僧のような宗教色を醸し出し始めたことが畏敬の念に連結されたようになる一因です。そして貧困者に落ちぶれながらも小説を書き続ける姿に読者は魅了されます。分野は異なりますが山頭火や放哉が人気なのも同じだと思います。ある種「貴種流離譚」願望なのでしょうか。
葛西善蔵などは蛇蝎視される生活破綻者であるのですが太宰治が「善蔵を思う」などを書いてしまうのでそれなりの魅力はあったのだと思います。


で、自然主義文学界の「駄目な奴」の頂点に君臨するといってもよいのが近松秋江です。衆目の一致するところと言い切りたい気持ちもあるのですが、藤村の『新生』などもあるので秋江を単独頂点とはせずに「頂点の一人」としておいた方が良いかもしれません。

秋江は『黒髪』にしても『別れたる妻に送る手紙』にしても女性に対する基本姿勢は一貫しています。この首尾一貫性には男女問わず「呆然」とするでしょう。
秋江の「認知のズレ」ではあるのですが。
常に秋江の独り相撲であり、自分が真剣に相手を想えば相応な応答をしてくれると一寸の疑義なく信じている。いや、信じているなら裏切られる覚悟もあるはずで、実際、相手が娼婦であることに思い至って距離をとることもあるのですが少しでも相手に意識が傾くと他事を忘却して距離間は刹那に霧散します。
多数のお客の内の一人に過ぎないと思われることに自尊心が耐えられないのです。
特別な一人でありたいのですが、すべてのお客に自分だけはと思わせることが娼婦の職能であるのに何故か本気になってしまう。
秋江も流石に「お客さん」であることくらいは一応分かってはいるのですが自分だけの「所有」にしたいのです。この「所有」は自然主義文学の作品で多様されています。実証できてはいませんが、「流行」だったのでしょうか。女性をモノ扱いしています。
厄介なのは男は頭の中ではそんなことは百も承知なのに、それにもかかわらず、いやそうだからこそ、それでも自分だけは特別な存在であることで優越性を自分自身に証したいのです。
しかし矜持の持ち方が虚栄心に転化していることに気付くことができません。
本来なら女性のためにここまで入れあげるような自分ではないのに、そんな男に惚れられたのだから感謝しろくらいのことを心底では思っていそうです。しかし、そこまで露悪的にはなれないのは自然主義文学としては詰めが甘いとも言えます。
酷い奴ではありますが。


単に露悪的では成り立たないのが自然主義文学の告白の要であります。
言いたくないこと、知られたくはないこと、しかしそれらを敢えて文章に載せる。小説にする。
生皮を剥ぎ、血を吐く思いを乗り越えることに克己の矜持をもっているのが自然主義です。その側面から秋江は「浮足立って」いるようにもみえます。

日本近代文学の言文一致の到達点としての自然主義文学。文学というより「小説」の優位性が明らかになった時期でもあります。
自然主義小説は「内面」と「風景描写」を同じ文体で書くことが可能になった画期でもあり、言文一致の完成期でもあります。
「表象」としての「内面」が「実体」として立ち上がってきます。
近代以前は修行によって技術や技巧として身に付けるものであった「文章」が、言文一致の口語体が「発明」されることによって誰でもが各自の内面を「自由」に「表現」できるようになったことは特に銘記する必要があります。
この流れは現在にも繋がっています。私は柄谷行人の著作で学びましたが、近代化と内面を表現する文体の「発明」がそれ以降の思考を形作ったことは作者と作品の関係性の問題にも繋がる重要なことだと思っています。
表現とは何か。内面と表現の関係。作者と作品と読者の鼎の在り方。現在に於いても現実的な問題の原点がこの時機の口語文の完成期に存在しています。
「表現」が「内面」を生むのであり、逆ではないと認識する必要性を感じています。
おそらく、納得できないと感じる方が多数派であると思います。