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ビジネス歳時記 武士のおもてなし 第42話「敬老」

家長が支えた、武家の介護

9月は敬老の日がありますが、海外でもお年寄りを敬う日や行事は気候が落ち着く秋口が多いようです。

日本では、8世紀ごろに聖徳太子が悲田院(ひでんいん)※という身寄りのない貧窮の病人や孤老を収容する救護施設を建立した歴史的な事実があり、敬老の日の制定はそれにちなんで昭和26年(1951)ころから始まったといわれています。
 
現在、日本では高齢者は一般的に年金受給の始まる65歳以上からとされ、人口は3627万人(総務省統計局 2022年9月15日現在推計)※。そのなかで、すでに介護の必要な要介護者は7人に1人を超えており、2025年には5人に1人になることが予測され、寿命の伸びとともに増加する介護が問題となっています。
 
それでは、現在のような定年退職などの制度がなかった昔の武士は、どうしていたのでしょうか。今回は、敬老の日にちなみ武士の養老や介護について調べてみました。
 
武士は定年退職がない代わりに、病気や老齢を理由に隠居という制度がありました。ただ、病気隠居は40歳以上でなければ申請できず、老齢隠居は70歳以上になって初めて申請できるという制度でした。

しかし、隠居年齢を過ぎても職についていた武士の例もあり、弘前藩の旗奉行の石山喜兵衛のように、寛政12年(1800)に80歳で隠居するまで長年に亘って勤務することも珍しいことではなかったといいます。そうした高齢まで勤め上げた武士たちには、藩主などから長寿を祝う「鳩杖(はとづえ)」が贈られることが慣習としてありました。

それは杖の握り手の部分に鳩の飾りを施したもので、鳩は喉を詰まらせることなく餌を食べることから、痰や誤飲などでむせることもなく、長生きすることを願ったもので、この杖だけは各藩の城内での使用も許されていたということです。

江戸時代後期になると、鳩杖や米や銀貨などの下賜は家臣だけではなく、町人や農民などにも広げられ、長寿者は藩が管轄する藩校で「養老式」という形で表彰されるようになりました。長寿を支える介護者、つまり家族を労う善行褒賞として、介護や看病を通して孝行や道徳教育の思想が領民に広く伝えられるようになりました。

ところで、江戸時代の介護や看取りは家庭で行われ、家族が中心となって介護や看病にあたりました。外部の人手や施設に頼ることの多くなった現代でも、介護や看病における家族の役割や関わり方に変わりはありません。

違っているのは、家長である男性の役割。原則として家長が妻や子供の先頭になって、両親や祖父母の病や老いを看護するということを、仕事とのバランスをとりながらやっていたということです。

江戸中期の大ベストセラーとなった貝原益軒が正徳3年(1713)に84歳の時に出版した『養生訓』※は健康の指南書ですが、その中の養老の項目では、介護の心得が記され、老人の心の安定への配慮、住まいや食事の整え方などが書かれています。

このほか、安永9年(1790)、親の看病や介護に対する事項が書かれた「子弟訓」(手島宗義)などの参考書もあり、こうした書物を参考に家長である男性たちは介護に取り組んでいたようです。

実際に武士たちには、「看病断(かんびょうことわり)」や「看病不参」などの介護に関する制度や休暇があり、「看病暇」「介抱暇」などを申請すれば休暇もとれるようになっていました。米沢藩では約2週間、秋田藩では約1カ月、八戸藩の武士の「遠山家日記」(1792~1919)には祖母の病気で欠勤し、またその息子の代でも祖母の長引く病気に対してその度に休暇を申請しており、医者に応対する様子などが書かれています。

そして、今の時代の介護は、内閣府の高齢者の健康・福祉の調査※によると、介護を担う男性は全体の約3割で、7割は女性が一手に担っているという実情があります。それからすると、家長として男性が主体性を持って家族の介護にあたっていた江戸時代の武士の姿には、参考にすべき人としての道があったようにも思われます。

【監修】
企画・構成 和文化ラボ
東京のグラフィックデザインオフィス 株式会社オーバル


※悲田院
名前の「悲田」とは、慈悲の心で哀れむべき貧窮病者などに施せば、福を生み出す田となるという意味。建立の文献の初見は養老7年(723)に聖徳太子のほか、光明皇后なども名前があがっている。悲田院の慈善事業の記録は鎌倉時代まで残っている。
 
※総務省統計局 高齢者の人口
https://www.stat.go.jp/data/topics/topi1321.html
※内閣府 高齢者の健康・福祉
http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2016/html/zenbun/s1_2_3.html
https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2022/html/zenbun/s3_2_2.html
 
※養生訓
貝原益軒が84歳のときに書き上げた、江戸時代の代表的な養生法指導書。全8巻は飲食、洗浴や養老、など15の項目で構成。最近、老年期の精神衛生の書としても再評価されている。


参考資料
『江戸時代の老いと看取り』(柳谷慶子著 山川出版社)
『江戸の備亡録』(磯田道史著 朝日新聞出版)
『日本風俗史事典』(日本風俗史学会編 弘文堂)
『話の大事典 第三巻』(萬里閣)

 


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