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ビジネス歳時記 武士のおもてなし 第49話「割粥」

ひと碗に込められた、忖度の粥

1月も終わりに近づき、年始の行事や新年会なども済み、そろそろ胃腸にも疲れが出てくるころではないでしょうか。1月は七草粥、小豆粥などの行事食が知られていますが、身体の中から温めてくれるお粥は消化もよく、胃腸をやさしく整えるのに役立つ料理です。
 
この粥に一家言あり、こだわりを持っていたのが豊臣秀吉です。晩年は飽食を戒め健康に気を使い、粥を食べていたという秀吉ですが、山寺でもてなされたひと碗はどのような味だったのでしょうか。今回は、この粥にまつわるお話です。
 
秀吉が好んだのは、ひと手間かかる「割粥(わりがゆ)」。普通の粥と違うのは、使う米をあらかじめ小さく砕いてから水で炊くこと。粥※には、通常は米と水の量によって、全粥、七分粥、五分粥、三分粥、重湯と5段階くらいの調理方法があります。
 
割粥は、米をはじめに細かく砕くことで、水の量にかかわらず米に早く火が通るので、より消化の良い滋養に富む粥に仕上がるのです。ただ、胡麻のようにすり潰せばいいというわけではなく、石臼の中に米を入れ、一粒が2~3片くらいなるように、人力で突き砕くという前処理に手間がかかる粥なのです。しかも、普通の木製の臼では硬い米がめり込み砕けないので、堅い石臼が必要になるわけです。
 
時代は定かでありませんが、ある年、秀吉が高野山に登ったとき、寺の料理人に割粥が食べたいと頼みました。ややしばらく待たされて、ひと碗の割粥が秀吉に出されました。秀吉は上機嫌で粥を平らげると、料理人を次のように誉めました。
 
「この寺には、石臼はないと聞いていたが、私が割粥を食べることを知っていて、事前に用意していたとは、料理人として立派な心構えだ」と。いやいや、秀吉は寺に石臼がないことを承知で割粥を発注していたわけで、これはある意味でイケズなパワハラです。
 
しかし、それではどうやって、寺側は割粥を用意したのでしょうか。寺には、本当に石臼がありませんでしたので、大勢の寺の者たちが、まな板の上で米を一粒ずつ包丁で切り砕き、その米をかき集めて、なんとか調理した貴重な割粥だったのです。ある意味で確信犯的なイケズな秀吉のもてなしに人海戦術で対応した、忖度なひと碗だったわけですね。
 
これには後日談があります。のちに包丁で切った割粥だったことを知った秀吉は、自分のような権力を持った者は手間のかかる割粥を食べるような贅沢はするが、一粒ずつ切るなど人手をかけて並外れた贅沢三昧を求めることまではしないと、話したとされています。
 
信長の草履を温めるような人たらしといわれ、人の心の先を読み取り行動してきた秀吉は、「あらかじめ石臼くらい用意しておけよ」というリサーチ不足を指摘しているのか、「寺にはご存じのように石臼はないので、柔らかな五分粥を召し上がられてはいかかでしょうか」というプレゼンができる力を持てというのでしょうか。

どちらにしても、大勢の寺人たちが参加して必死に作り上げられた粥は、忖度という特別な隠し味がついたひと碗だったことでしょう。

 【監修】
企画・構成 和文化ラボ
東京のグラフィックデザインオフィス 株式会社オーバル


粥※
⽶などを、⽔分を多くして軟らかく煮たもの。⼀般的な粥の作り⽅は、⽶を洗って厚⼿のなべに⼊れ、⽔を加えて30〜60分くらい水に浸して⽕にかける。沸騰するまでは中⽕、その後は弱⽕で1時間くらいかけて炊きあげる。粥はその濃さによって全粥、七分粥や重湯などの種類がある。重湯は、病院で回復食のはじめに出されることも多い。粥は消化吸収がよいので病⼈⾷、⽼⼈⾷、離乳⾷とされることが多いが、⽇常⾷としている地⽅もある。とくに近畿地⽅では「茶粥」として朝⾷にするところも多い。

○お粥(全粥・七分粥・五分粥・三分粥・重湯の作り方
東京都保健医療局:
https://www.hokeniryo.metro.tokyo.lg.jp/nisitama/hokeneiyou/eiyousyokuseikatsu/fureiuyobou/recipe/porridge.html
 


参考資料
 
『飲食事典』(本山荻舟著 平凡社)
『名将言行録 現代語訳』(岡谷繁実ほか著 講談社学術文庫)
『事物起源辞典 衣食住編』(朝倉治彦ほか著 東京堂出版)
『カラー図説日本大歳時記 新年』(水原秋櫻子ほか監修 講談社)
『浮世絵で読む、江戸の四季とならわし』(赤坂治績著 NHK出版新書)
『日本風俗史事典』(日本風俗史学会編 弘文堂)

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