終焉で聴いたキミの唄にボクは花束を添える。

プロローグ 
始まる世界の中 一人歌った日

 弦を張り替えたばかりのアコギ、一音一音チューニングを確かめながら弾いていく。指と弦が擦れる音、空気に溶け込んでいく音、どれもが透き通っている。
「じゃあ…、何を歌おうか」
 コンビニ『だった』建物を背後にギターを抱える。観客は、目の前に置いた空き缶だけ。
 観客で埋め尽くされたライブハウスなんて、今の世界では夢のまた夢だ。
「よし、決めた。今日は再見です」
 湧き上がる拍手も歓声もない。ボクはそれでも気にならなかった。聴いてくれる人はいつか現れてくれるはず、遮るものがこの場所にはないんだ、きっと遠くまで届いてくれるだろう。
 短めの深呼吸と共に、ボクの口から唄が流れ出す。
 同時に鳴り響くアコギの音。言葉の一つ一つ、一音一音に感情を込めて、優しく丁寧に、それでいて勢いを消すことなく歌い上げる。
『またね、なんて君は言うけれど僕は今も覚えているよ』
 自分で考えておいて、なんだかとても、顔が赤くなるような歌詞だ。『またね』なんて言ってくれた人はボクにはいないのに。またねなんていう暇もなく消えてしまったじゃないか。
 脳裏に浮かぶ両親のこと。なぜ、ボクを残して二人は先に幸福感を得てしまったのか。ボクがいなくても幸福になれたのだろうか。
 どうして、そんな言葉が脳裏に浮かんでは消え浮かんでは消え。気がつけば、頬には一筋の涙の跡ができていた。歌声だってきっとひどいものだったに違いない。
 最後のコードを鳴らし、静かにそっと弦に触れる。ミュートされる音。ボクの周囲から音は消えた。
 直後聞こえる一つの声。
「――いい曲だね」
 同時に聞こえてくる拍手の音。
 下を向いて俯いていたボクはその存在に気づくことができなかった。
 戸惑いつつ正面を見る。
 黒く長い髪、真っ白な服。優しげな笑顔。
 風になびくその髪をキミは押さえつけながらボクの方を見ていた。
「それ、君のオリジナル?」
 一歩近づいて、ボクのギターに触れようとする。思わず反射的に僕は一方後ろに下がってしまった。
 少し残念そうな顔をしてキミは伸ばしてを引っ込める。
「えっと、うん……まぁ」
 驚いた。ボクの曲を聴いている人がいたなんて。この街にはもう誰もいないと思っていたのに。
「へぇ、すごいね。唄は下手だけど」
 その一言に僕はむっとしてしまった。なんだ? 褒めてくれたんじゃないのか?
「まぁ、唄は苦手だからね、でも唄うのは好きだから……」
 ピックをポケットにしまい、アコギをケースの中に仕舞おうとすると、キミは空き缶の隣りに座って僕を見上げた。
「もう歌わないの? 下手だけど、好きだよ。君の声」
 みるみるうちに、ボクの顔が真っ赤になっていくのが自分でも感じ取れた。
 初対面の男に向かって何を言っているんだろうこの子は。
「キミは……あれか? 男みんなに好きって言っちゃうタイプの女の子?」
 キミの口元が若干引きつった。
「失礼ね、そんな事言わないよ。正直に感想を伝えただけじゃない」
 むすっと膨れてそっぽを向くキミ。あざといな、なんだこいつ。可愛いけど可愛くなんかない。
「でも驚いた。今だに歌なんか歌ってる人がいるなんて」
 置いてあった空き缶を手に取り、遠くを見据えて投げようとする彼女。静かにその空き缶を取り上げて、ボクの脇へ置く。
「これ、唯一の観客だから、ごめん」
「ふーん」とキミは言う。
「まぁ、そうだよね。こんな世界だもの」
 大きくため息を付いて周囲を見渡すキミ。
釣られてボクも周囲を見渡す。積み上がった瓦礫、忘れ去られた車。緑にほぼ覆い尽くされ、自然に帰りかけている街。
「みんな、セカイ病で消えてしまったから」
 結局アコギは仕舞わないまま、地べたに座り込む。一音一音静かに鳴らしながら僕は話を続ける。
「幸福感を得た瞬間に、光の粒になって消えてしまうなんて、今だに信じられない」
「そうは言っても、受け入れるしか無いんだよ。これが今の私達の世界なんだから」
 ――セカイ病。
 その奇病はボク達の前に突然現れた。幸福感を得た人は、消えてしまう。幸福への恐怖は他人を思いやる心を忘れさせ、人々は互いに争い始めた。国家レベルにまで進展すれば、この通りだ。
「ねぇ、あのスクーター、君の?」
 好奇心に満ちた目でボクを見るキミ。そうだと伝えるとキミは「ほう……」とだけ。
「あのさ、終焉の地って知ってる?」
 まじまじとスクーターを見つめていたキミが目を丸くしてボクの方を見た。
「君も知ってるんだ、へぇ…で、なに、君は終焉の地を目指して旅してるの?」
「まぁ……、目的地は終焉の地だけど――」
「――じゃあ決まりだね!」
 言い終わるが早いか否か、キミは立ち上がってスクーターの方へと歩き出し、置いてあったボクのヘルメットを被ってスクーターに座り込んだ。
「……は?」
 状況をうまく把握できず、呆然とキミを見つめるボク。
「奇遇だね。私も終焉の地を目指してるんだ」
 ヘルメットの被り心地を確認しつつ、少し乱れた髪を整えてキミは言う。
「いや、でも」
 アコギをケースに仕舞って、早足で彼女の元へ寄る。
「いいじゃない別に、二人のほうが楽しいよ? きっと」
 自信に満ちたキミの表情を見るうちに、ボクもなんだかこれでいいような気がしてきた。
 ……こんな世界だ、そばに誰かが居てくれるならそれはそれで。
 楽しいかもしれない。
「――それに」
「それに?」
「唄を歌うなら、聴いてくれる人が必要でしょ?」
「なんだそれ」
 そう言って軽く笑いながら、スクーターにまたがる。
 背後でクスクスと笑うキミの声を聞きながら僕はエンジンをかけた。

第1章 世界の終わり、最果ての唄へ続く。

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