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留学帰国後から始めた約600日間のnote毎日投稿を通じて伝えたかったこと

カナダ留学から帰国した2022年の8月から
noteの毎日投稿をスタートした。

なぜ文字による発信活動を始めようと思ったのか
定かではなく、自分の中にある言語化できない何かを伝える手段としてnoteを無意識に選び取っていた。

今思えばわかる、日本語話者に向けて
伝えたいことがあったからだ。

約600日間の毎日投稿を通じて伝えたかったこと
を大きくまとめると2つに集約される。

①日本は結構いい国だよ
②無知は人を傷つける

この2つだ。

①日本は結構いい国だよ

個人的には「日本は良い国」論者である。
もちろん人にはそれぞれの価値観や判断基準があるので一概には言えない。でも、個人的に日本は良い国だと思うし、大好きだ。海外でmy countryと発言した時、自動的に日本を意味することになることが嬉しいし、誇りだ。アホみたいに海外旅行ばかりしているが、日本が1番大好きだ。この先も絶対に揺るがないと思う。

下の記事では、ここ数年でカナダやアメリカで
友達になった、母国に帰りたくない留学生や
移民の話を書いた。

一部抜粋して紹介する。

(2023年のアメリカのデザインシンキングプログラムに参加した時、)
私は長めの自己紹介の時間が与えられたので、
「2022年のカナダ大学交換留学で
 40カ国の人々と話をして、
 それぞれの国に良い点・悪い点があると
 知った上で日本のことが大好きになった」
という話をしました。

私の自己紹介が終わった後、
いつも物事に対して批判的視点を忘れない
1人のミャンマー人の友達が
「自己紹介すごい良かったよ」
とわざわざ個別で伝えに来てくれました。
冷やかしでもなんでもなく、
まるで心の底から称賛しているようでした。

また別のミャンマー人の友達2人と
将来について色々と話していた時のことです。

そのミャンマー人の友達は2人とも
アメリカに移住していました。

私は「いつかミャンマーに戻る予定はあるの?」と
何気なく聞きました。

すると2人は顔を見合わせると
「2度と戻りたくないよね〜!」
「誰が戻りたいかって感じ〜」
と笑っていました。
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|(抜粋続き)
カナダには香港からの留学生や
移民がたくさんいました。

ある日の香港人の友達との会話です。
私「香港に帰る予定はあるの?」
香港人「いやないよ。多分永遠にね。」
常に向上心のある努力家な香港人の学生でした。
今思えば、もう国に帰らない覚悟をしているからこそ目の前のことに常に真剣なのかもしれないと思いました。

また、日本のことが大好きな別の香港人の友達はこうも言いました。
「あなたは日本に生まれてラッキーだね。
 私達には希望はないからさ。」
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帰りたいと思える母国があることも
この上なく幸せなことなのだと気づいた。

日本を卑下する論調が多い
昨今の世の中だけれど、
他国を知ることで自国を客観視すること
この上なく大切なのではないかと思う。

②無知は人を傷つける

①で書いてきたエピソードから
伝えたい裏テーマは何かというと
「無知は人を傷つける」ということだ。

「傷つける」というと大袈裟かもしれないが、
上記の記事で書いたような出来事があった当時、

ミャンマーのことも、
香港のことも、
エクアドル(抜粋では割愛)のことも
何もわかっていなかった。

私の自国愛たっぷりの自己紹介を
わざわざ個別で褒めてくれた
普段何事にも批判的なミャンマー人は、
ミャンマーで生まれた。

しかし、小中学生の頃にミャンマーから
タイに移住したと言っていた。
今はタイのチェンマイに住んでいて、
タイが自分の母国だとも言っていた。

後から思えば、彼がタイに移住した時の
ミャンマーの情勢は……。

「ミャンマーになんか戻りたくないよねー!」と
笑い飛ばしていた別のミャンマー人の友達は、
後から思えば、カレン族だと言っていた。

ミャンマーにいるカレン族が
どのような状況にあるかなんて
知る由もなかった当時の私は
「カレン?かわいい響きの部族だなあ」
なんて能天気なことを思っていた。
無知だった。

香港に関しても、2019年あたりに
国内で発生しているデモの様子を
朝のニュース番組で見た。

「なんか大変そ〜」と思いつつも、
私にとっては朝ごはんと一緒に
さらっと消化されてしまう
即席の情報に過ぎなかった。

だから、香港人の友達に
「私たちには希望はない」と言われた時も
その言葉の本当の重みがわかっていなかった。





全ての出来事は、なんとなくは知っていても、
自分とは異なる遠い世界で起こっている、
単にテレビで映し出される景色に過ぎなかった。

他にも、国内外問わず自分が無知なせいで
相手の心を不用意に抉ってしまう出来事は
少なからずあった。

もしかしたら、今でも自分自身が気づいていない
過ちもあるかもしれない。

「自分の身を守るために学ぶ」とはよく言われることだけれど、「相手のことを守るために学ぶ」ことも同様に大切な学ぶ理由になりうるのではないかと思った。

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